どうしてかは私には解らないが、この夏の暑さには閉口した。涼しさの秋まであと一息。と思った日々の長かったこと。待ちくたびれて、今日は(午前に)この夏2回目だが近くの病院でビタミンの点滴を受けてきた。看護師さんたちの話を聞いていると、「今日は朝一番から私と同じ目的の患者が異常に多いこと。そしてこの暑さはまだ当分続くそうだ」云々。その原因については話題にならない。
しかし、ついに降った雨、15時ごろパラパラの音、まぎれもなく雨だ。10分程度のきまぐれな雨。
あとはそれまでと変わらぬ夏の陽が燦々。隣家の木の葉が雨の間、少し揺れていたが、いまは微動もなし。予報では、気圧の変化に伴い、局地的に雷雨も?。と報じていたが、夕方から夜にかけてはどうだろう。
(うぬまじいちゃん)としては、いまはともかく、いずれ、この反動で各地にもたらす(?)大雨による被害が心配だ。
いつまで続くこの暑さ、昨夜はエアコンを利用しても、老体故にガンガン冷やすこともならず、窓を開けても外気温が高い。今朝からは気分がスッキリしない、早朝の散歩はヤメ。遅くまで横になっていた。玄関を開けてみたら、扉の、脇に置いた小さな鉢の観葉植物に虫がいる。昨夕、この鉢の受け皿に水をイッパイ充たしてたので、水の気配を察したのだ。キリギリス?、よくわからないが、どうやらコオロギらしい。(まだ色が薄い)近くに水が全くない。虫たちも命を全うするまでは頑張るしかない。近くには夜の間に地中から涼しい場所を探して這い出してきたミミズが小さな蟻の群れに全身にまとわりつかれて、すでに往生してる。昨夜、テレビをつけてたら、どこから潜り込んで来たのかカナブンが3匹ブンブン飛び回った。その都度捉えて、外へ。気温以外は完全に秋だ。
今日は松が丘いきいきハウスの日だ。
今月のいきいきハウスは「夏メロ」「ハワイアン」がテーマ。はじめに今年「新美南吉生誕100年記念」の年であることから、南吉の作品朗読からはじまった。
「ごんきつね」「手袋を買いになど」は誰にでもおなじみの作品であるが、今日は「でんでんむし」の母と子の会話の作品。私のようなものにとっても郷愁というか、懐かしい思いがこみ上げてくる。
そのあと、地元の住民でありながら、地域のみならず、広く活躍されている大谷泰史氏によるエレクトーンの素晴らしい音色とそれに合わせて、歌姫さんたちグループによる懐メロならぬ「夏メロ ハワイアン」をタップリと堪能させてくれた。最後は全員による「ハワイアン」の大合唱。
毎月、企画し、実行してくださる方々、頭が下がります。ありがとうございます。
今朝、サギ草がやっと2本咲いた。あと、何本かは咲くと思われる。町内の人が小型の植木鉢のサギ草を鉢ごと下さった。ご自身で大切に育てられたものだ。散歩の途中に丹精込めて作られた草花をながめているとき、ある日、一鉢私に下さったものだ。頂いた私は育て方を聞き、大切にしていたが、気づくと根腐れで根がなくなっていた。気をつけていたが、それでも肥料が効き過ぎだったらしく、以後、根のないままに水分だけは切らさずに、直射日光はなるべく避けての日々。根のないサギ草だったが、たっぷりの水を含んだ「水こけ」に包まれて過ぎた。そして今朝。「ありがとう。バンザーイ」サギ草は50年ほど前には、日陰の多い沢沿いならばどこにでもあったと思うが、今はない。どうしてか?
昨夜はテレビを見ていて、就寝時間がいつもより遅れた。タイミングがずれるだけで寝つきが悪くなる昨今。おまけに、いつもにも増しての寝苦しさ。窓を全開して寝る習慣になってるのだが、昨夜は外気温が高い。窓を閉めて、エアコンつけても、雰囲気が微妙に違う。昼間、暑さに負けてゴロ寝してたので、少し「うたた寝」したらしい。結果、なかなか寝付けず、今朝の早朝散歩はは中止。
些細なことだが、加齢に伴う障害について不本意ながら実感。
ゴマメの歯ギシリにも劣る老人の悲哀。下の画像は我が家の猫の額(空き地)のミョウガです。暑さでくたびれてしまってます。それでも、ことしも大分収穫しました。まだ、まだまだ採れます。
雨がたくさん降ったので、少しは涼しい日があるかとの、期待をみごとに裏切る今日の暑さ。たまりません。体力がなくなってるからか、老齢の故か、たぶん、その両方と思うが、今日は近所の病院でビタミンの点滴を受けてきた。しかし、体に感じる変化は殆どない。顔見知りの看護師さんが「XX(うぬまじいちゃん)さんが通いだしたから、夏も本格的、暑さも本物なんだね」。と、いう。「そして予報ではあと10日は続くって」「うーん参ったな。しかし、頑張らなくちゃ」、の気持ち。「もう10歳若ければ涼しい山で過ごすのに」の思いしきりだ。それでも、ここのところ早朝5時ごろから約1時間の散歩。(苧ヶ瀬池まで、そして一周)帰宅後近くの公園で町内の「子ども会夏休みラジオ体操」と続くのだが、今日はなぜか子供たちはいない。体操はない。土曜日でも日曜日でもない?ポカーンとして帰宅。もう、体操は終わりなの?子供中心ではなく、母親中心なんだろうと納得。
私が居住している地域、とくにこのあたりに限ったことではないが、田圃、畑の耕作を放棄されているところが、目立ってきている。
夏場は早朝、雨でなければ毎日のように近くを散歩する。健康を保つためだ。私は古い人間ですので、とても気になるし、割り切れない部分がある。
耕作放棄された田畑が多いこと。また、放棄されていなくても、その管理が充分でないことが、誰が見てもわかる状態だ。
政府の農政部門の方針に一貫性がなかったのか、また、この地が経済的にあまりにも豊かで恵まれていたからだったから?
私は、地方の豪雪地帯の出なのでわかる気がするのだが、その両方だったと思う。この地方にしてもいわゆる高度経済成長以前のことを思い出せばすぐわかる。東北をはじめ、年配者でも出稼ぎに出なければ一家を養っていくことができなかった現実、1~2代前の人が、この現実を目の当たりにすれば、とても驚くことと思う。
先日来の猛暑には閉口した。
加齢や服薬などのため、体のほうはこれ以上は無理、と思えるところまでやせ細った。
昨年も体力の衰えから、数日間、通院してビタミン剤の点滴を受けている。今年は2週前位に一度通院した。まだ、継続してないが、そろそろかなの予感?。
猛暑日の連続だったが、昨夜来の雷雨、人間は勝手だから暑い日が続くと、一雨ほしいと思い、少し激しい雷雨には何とかならないかなどと、自分中心に思うところ。
でも、山のダムも一息つけるといったところか。
日常は何とかできても、体が機敏に動けない独居老人も多い昨今のこと。
昨夜の雷雨の最中、そんなことを思った。