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平和を護るということ

 遂にやってきました。その日が。日本人が、人質になってしまった。日本の平和は是非もなく、荒らされた。どこの国においても、その歴史上、ずっと昔から、部族の争い事もなく、平和で推移してきたということはないと思う。一国内だけでも、領土や利権がもとで、大昔から、争い事が続いている。急進的な超過激派はどこにでもいるもの。獲るものと獲られるものとの争いだ。これは野生動物の社会でも変わらない。そういう観点から見れば、総理大臣の「積極的平和主義」というのも、「その理念は」他の国があるから、うやむやになってしまう。日本は先の敗戦があったから、いまは他の国に比して、多数決の原理とでもいいますか、選挙があるだけ、良いほうだと誰もが思っている。70年もの間、戦争をしてこなかったから。(これはすごいこと)国民の日常生活になると、資源の乏しい国の口惜しさ。なんともなりません。一部の儲けるものは、加速度的に儲け、そうでない一般の人たちは日常が厳しくなる。「知恵、才覚、能力でのし上がってきて、どこが悪い。税金もたっぷり、多額納税者だ。」と言われたら、「ごもっとも」です。ところで、この冬は久しぶりに、冬らしい冬になりました。老いの身には応えます。私の生まれ育った地域では現在の積雪量で4メートルを超えているようです。「住めば都で」子供のころに馴れているので、こんなものか、といった感じだ。今日ネットで見たら、小正月の行事で毎年行われている、「婿投げ」「顔に墨塗り」がアップされていた。「新婚の婿殿を高台の提から投げ飛ばしてしまうといったもの」どんど焼きで正月行事で使ったもの、書初め等を雪に立てた数メートルの木に藁と一緒に巻き付け、法螺貝を鳴らす合図に点火する。その火で餅を焼いたり、残りの灰墨を誰彼に関係なく塗りつぶす。後は温泉にて洗い流す。これがメディア流れる。
でも、私が子供時代は、それぞれの家で「どんど焼き」が行われた。直径10センチほどのブナの木を切って雪に立てた。法螺貝は鳴らしたが、顔に灰墨は塗らなかった。その場所は春、一番に雪が消える。黒い灰が陽光を浴びて消えるのだ。そして、その田圃が苗代になる。大雪の年であっても稲の苗だけは、早く育つ。田植えが遅れずに行われる。

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終日の雨

  夜来の雨、そのまま終日降り続く。半端な降り方ではない。2回、玄関の の戸を開けて雨の降り具合を見ただけ。一回目は不燃物収集日だったので朝、7時過ぎ。いやですね。この雨は。人はじつに身勝手なものだと同時におもう。前回、雨が降ったのはいつだったろうか。覚えてないが、随分前だったようにも感じる。
  正月の延長で毎晩、アルコールは普段飲めない酒(値が張る)ばかり飲んでいたのだが、昨夕からは、焼酎の湯割りになる。やっぱり、味が違います。稼ぎのない自分ゆえに、承知していますが、ちょっぴり虚しさを感じます。
  新聞を隅々まで見ました。敗戦後、70年という節目の年、そういった関係の記事が目立ちます。私は国民学校2年生だったかと、思うのですが、敗戦からしばらくしてから、食料難もですが、人々の心の荒れた様子が、今も脳裏に焼き付いている。あの戦争は結局、何だったんだろうと、いまも折に触れ、思います。
 現在の日本人は、私の感覚から判断すると、地球上で一番贅沢をして、旨いものを食って、いい衣類をきて、これが当たり前だと思っている人が多すぎる。こんな生活が長く続くはずがないことに、気付いていない人が多すぎる。
 「天罰が当たる」という表現があるが、それがいつか分からないので、皆、のんびりしているが、「それは必ずある」と私は信じている。
 昨年御嶽山の噴火がありました。その後も大雨で規模の大きな、土砂崩れ、橋の崩壊、その他諸々の天災といえる大事故が各地で起きています。加えて国の大借金。余命、幾らもない私ようなものです。どうでもいいことかもしれませんが、孫たちの苦労を思えばそうも言ってられません。私も元気を出してガンバリます。新年に幸あれ。

 

 
  

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