人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

長く暑かった夏もようやく過ぎた

2019-10-06 | 

 長く暑かった夏も過ぎてようやく秋になる。昨日はこの秋になって初めて本格的な百舌鳥(モズ)の高啼きを聞いた。(近所の公園で)
 

 老いぼれである自分にしてみれば、何はともあれ助かったという思いだ。
これは自分だけの現象か、あるいは社会全体の状態かは不明ではあるが、自身にしてみれば看過できないことである。とはいっても、自分がいま倒れても社会には何の影響もないのだし、「これはこれで良し」なのであろう。
 生まれ故郷である新潟の豪雪地帯から、過日この秋の新米が大量に届いた。これについては自分と家内の二人ではとても食べきれるものではない。
 愛知県に住む長男、長女家族に分けてやろうと思ってる。
 長寿会の仲間と近所の公園で雨天でなければ週に6日、グランドゴルフで1時間程度興じる。こんなことでもないと、体の方がすぐに駄目になってしまうのだ。
 すべての人とは異なるとしても、世間一般的に見て、程度の差はあるが同じように感じるがどうだろか?。


 
       岐阜県関市で見た風景   心が癒されます。

 


蒸し暑さはまだ続く?

2019-09-10 | 

 今日は9月10日だ。
 これから先というか今夜からはどうなるかは不明だが。
 この地方は連日、夜間になっても暑さは収まらない。昨夜の場合は、この夏、初めて冷房を入れずに寝た。
それまでは暑くて夜になっても、冷房をしなくてはとても眠れる状態ではなかった。
 窓に網戸を取り付けてある場所を開放して、寝てた。蚊に対しては去年から使ってる、「アースマット」を利用してる。
 そういう状態であってもこの老体だ。ぐっすり眠れたという実感は得られない。
 早朝に起床してしまう。これはしょうがないことと思ってる。
 本来であれば、目覚めたら飛び起きて、涼しいうちに一定の距離または時間を屋外での散歩となれば、一番いいのだが、これはこれで家内は起きない。じっと布団の中で我慢をした後で、我慢をしきれなくて、起床して、別室でパソコンを覗いてみる。何か事件や事故など、大きなことは無かったか?。
 そのあとパソコンでニュースをみる。テレビを見る。「今日も事故など大変なことはなかったんだ」と確かめる。


 



厳しい暑さが収まらない

2019-09-09 | 

 厳しい暑さがまだまだ続く。
自分の古い感覚で天候を予想することは、最早できなくなりました。
 明日の天候が、わからないのだ。
こんなことがありうることが、不思議だ。
自分の予想など、最早通用することはないことがつくづく解った。
 自分のショックも相当なものだ。
今日はもう9月9日だ。もう何もかも狂っているのだ。
 そしてこの暑さはどういうことだろう。
自分の記憶をたどってもこの現実は夢のまた夢だ。
 つまり自分は、既に過去の人間となり果てている。
この令和の時代に、生きてることは正常ではないということか?。
ということは、過去の人間が、令和の時代に住んでいることは、
生きていることは不思議以外の何事でもない。

 自分中心に考えてみると、「過去にこんな人間が現実に生きていたんだ。」
ということにでもなろうか。それはそれでいい。やがて消えていく身だ。

               利尻富士  とても涼しい          



                 礼文島 ↑ 訪問時は涼感いっぱいでした。

                       紅ドウダン