早いのかも。早いと思える思えば早い。
明日が暦の上で「節分」になっている。
古い人間であるがために、そんなことも思い出したりするのである。
実際「現代に生きる日本人?」。である。自分を思ってみても事実は事実。古いやつでしょうが、どうか笑ってやってください。これでも昭和12年の生まれです。
冬になれば雪が降る。夏は暑い。9月1日(ともなれば風雨が必ずくる)すなわち210日(のちには野分が一般的か)必ず、嵐が来る。各地にそれなりに時期には時期の天候が定まっていたように思う。近年はそのような季節到来の感じが全くなくなっているようだ。
地球温暖化の影響であろうか?。それ以外にも原因があると自分は信じているのである。
雪の朝↓
昼頃から「みぞれ」になった。外は寒そうにみえる。
9時から例によって長寿会有志のグランドゴルフに興じる。(一時間程度)
昨夜も、寝ている時から(寝ていても)「寒いなあ!」。
老年になってからは一年ごとに冬になると、寒さが身に応える度合いが強く感じられる。
でも、これは致し方のないことであり自分の責任ではない。
それでも、風が吹きっぱなしで寒いときとはまるで違う。越後の豪雪地帯で生まれ育っている自分としては冬に雪が積るということは、当たり前のことだ。幸い今の自分は、殆どの冬、雪が降らない地域に居住している。
当たり前といえば当たり前のことだが、今の環境(雪のないor降っても微量)になれるまでは、とまどいもあった。
冬になれば、緑色の小枝一本が、宝物に見えたものだ。ほとんどの大木は「杉の木」以外、お目にかかることはなかった。
時代は戦中戦後。履物から防寒具まで、すべて自分で作った記憶がよみがえる。あれから70年以上の歳月が過ぎた。
ところで「平成」の時代もまもなく終わるが、それまでは、元気で生きていたいと思っている。「昭和は遠くなりました」
朝は寒い
寒い日が続いてます。
特に朝は寒いので、痩せ老人には身体全体に応えています。
何とかならないかこの寒さ!。
下着から防寒対策をしっかりと整えていないと、途中で重ね着をすることになる。
齢はとりたくないもんです。でもこればかりはどうにもならない。
さて、9時から狭い公園での長寿会有志によるグランドゴルフに。(約一時間)
10時30分に家のすぐそばにある別の公園に1回/月巡回図書館が来る。
先月借りた本を今日は返却する日です。そしてまた違う本を借りることが出来ます。
家の玄関から見える公園なので、有難く便利に利用させてもらっています。
今日は暦の上では「大寒」になっている。
でも、これは古来の暦の上でのことであろうから近年の気候変動には当てはまらない。
さて、今日は朝は寒かったと思うところだが、午後にはポカポカ陽気を思わせるまでに好天に恵まれた。
9時からは高齢者のグランドゴルフにしばし興じた。(1時間少々)
午後はもっぱら家に籠もって家の周り点検やら、猫の額ほどの空き地に立ってみて、暖かくなったら必ずしも良くない陽当たりと周囲に生えている常緑の「タマリュウ」という背丈の低い植物のさらなる増殖法はないか?。でも植物全般に言えることだが、太陽光が当たらない日陰には殆ど芽を出すことはない筈だし、などと考えたり、「ぶどうの苗木」を一本植えてみたいが、陽当たりが必ずしも良くないが?・・・などと思ったりして過ごす。(ぶどうの苗木のことに付いては自分の年齢からして生存中には試食もできかねるだろうと思い乍らである。)
人の寿命ばかりは本人はもとより、周囲の者にもどうにもならない。
まだ、寒のうちだが、出来ることなら一日でも多く暖かい日差しが欲しい。(老人の思いである)
昼頃から雨に、しとしと本降りになる。
この手の雨は自分は嫌いだ。たいした根拠に寄ることではないんだが、自分の心がなんとなく滅入ってしまうような気がする。
外に出れないので、家の中で滅入っていたが、午後に急遽思い立って床屋さんに行ってきた。
自宅に帰るとほぼ同時刻に、本格的な雨になる。
これは小さなことではあるが、まあ、ラッキーとまではいかないでも、運がよかったかな。
まあ、今日も何とか無事に終わりそうです。
加齢のためか、最近の気温の急激な変化には体の方が付いていけない。若いころ、自分の住む当たりもそ30cm位の雪が積もった年も結構あったと思う。
近年、降雪が(特に積もるような)なくなった。降るところには降っているのだが、幸いに、自分の住む地方だけを見れば、それはない。
いま、15:30時。
しかし外は風がやや強く、そして驚くほど冷たい。
暦の上では小寒。大寒は20日になっている。
こういうことは、信じない自分だが、加齢により暑さ寒さだけは身に応えるのだ。
ただ何となく外の空気が吸いたくなって表で突っ立ってると、知り合いの人が通る。
「寒いね!」互いにあいさつ代わりになった。
夏の酷暑からは予期できない寒さだ。
「寿命が尽きれば、どうせ死ぬ」覚悟はかなり以前からできていたことだが、暑いとか寒いとかは時限の異なる事柄。
人それぞれにこの世に生まれ出て、それぞれの環境で生きて、そしていつかは必ず死を迎える。
近年、生活環境がよくなって、日本人の寿命も随分延びたと思う。
「きんは100歳、ぎんも100歳」とテレビの話題になったのは近年のことに思われるのだが、今は100歳以上のひとの数は随分多いのだと聞く。
昨日の葬儀でも思ったことだが、孫たちの背丈が自分よりもかなり高い。
日本中の若者の体格は親からの遺伝子にもよるが、親よりも劣る人はあまり多くはなかろう。
そして敗戦直後の若者のそれと比較してみれば精神面のそれを別にして考えてみれば、歴然としている。
野生動物の世界を見ても環境によって成長の度合いや、体躯の大きさなどに差があることがわかる。
人間も環境によって変化していくものである。「人も自然の一部である」所以だ。
少し疲れました。
昨日、長男の奥さんのお母さんが大晦日の夜と元日との間あたりで亡くなりました。
家内と二人で、1月3~4日と出かけて、通夜式と葬儀に。次いで初7日の儀式に出させていただき夕刻帰宅となる。
古くからの家で、親戚関係者も多いのでご主人様も大変だったことと思うところです。
孫たちの学校が休みの間であったのが救いだったと思いました。
落ち着いたら、ご主人様にはゆっくりとお休みになられることを思うところです。
私どもは何かの力になることはかないません。(合掌・・・・)
昨日から一段と寒さが厳しくなった。
でも、今年の気候変動ではまだまだ、寒さも信頼できない自分だ。
地球の変動で、各地の気流などに変化が確実に起こっているということであれば、そのことに対する反論する
ことはできないのも事実。
でも、それにしても、冬が来ていることはまちがい。
「16時30分現在の天気予報は明朝も冷えて気温は低い」場所により差が多く、いずれにしても冷えるだろう。
冬至までは少しずつ昼が短くなる。当たり前のことだが、早い時間に暗くなる時期は自分は嫌いだ。
春の到来は遠い道のりだ。そして自分たち夫婦はいずれも高齢だ。火の始末、等にには必要以上に気を付ける。
12月8日だ。昨夜は深夜頃から、気温がぐっと下がり、寒かった。
例年、寒くなると、利用したりしていた、敷き布団の上に敷く「電気毛布」なる薄物を取り出して、利用することに。
夏の酷暑ともいえる暑さにも応えたが、「冬は暖冬?」を予想していた自分は今回も見事に裏切られた。
こ頃の日本列島、というか、気圧の動きはどうなってしまったのか?。
自分の頭の衰えからは離れて自分勝手に思うようになった。
ところで、今日は「トラトラトラ」「新高山登レ 」と聞けば高齢の人たちならば、即、思い出す。
高齢の人であればだれでも言わずと知れた「大東亜戦争」の勃発である。
真珠湾にあったアメリカ海軍最大の基地だ。そこに戦争をするとの通知もなしに、深夜、アメリカ海軍の艦隊に総攻撃を
したのである。
そして広島、長崎に原爆投下だ。
大戦に負けて日本国は何もかもゼロにされてしまい、戦犯として処刑された人。国土も少なくなってしまった。
その他刑務所に入れられた人々。A級、B級などに分けられて、受刑された。
これらの決まり事は「ポツダム宣言」によって定められたように実行され、「マッカーサー元帥によって統治された」。
農地解放」つまり、小作人はその時点で田畑を耕作していた人のものになった。
只、日本列島には田畑のみならず、森林も多くあって、これについては手を付けられていないと、記憶している。
学校には行っても行かなくてもよく、小さな子供がさらに小さな子供を子守しながら(背中におんぶして)遊んでいたものだ。
山村などでは、着衣もままならず、上の子のものを下の子が受けて着る。
破れたら、ぼろ布で縫い付ける。そんな生活がかなりの間、続いた。
それでも、男子ならば、成人したら徴兵検査があって、まとも(健康及び体躯面で)な人は学生であろうが、職業人であろうが例外なくである。
やがて、「英霊」と言われた戦死者が「骨箱」に入って地元に帰ってくる。
外地で戦死した人の場合、本人の遺骨かどうかわからない。海軍に入れられた人は、航空隊同様、「骨箱の中身は小石や砂が一握り」であったとあとで聞いた。
学校の築山には戦時中は「明治神宮」と掘られた大きな石塔があって、朝一番の朝礼時には、最後に男の若い先生が
「明治神宮に向かって最敬礼」と大音響で号令をかける。(戦後はその場所にに)二宮尊徳のコンクリート像が立っていたのは記憶しているが、その後、その像はたおされて転がっていたのを思い出すが、今はその築山には杉の木が植わっている筈だ。その学校のあと地も年月を経て高校の分校になった。
NHKテレビの「朝ドラ」を見てて、遠い記憶を思い出した次第。
昨日に続き、暖かく気持ちの良い日だ。
狭い庭に出て、芽を出してきた花(宿根草)や木の芽はどうか?。
などと思いながら昨年の秋に「確かこのあたりにあったはず」などと思い、発芽を確認して安堵しているここ数日だ。うっかりスコップを入れて、大事にしてる「宿根草」や「ゆり根」などを傷つけて「しまった」ということもある。
充分なスペースの面積があるわけでもないので、種類にも限りがある。
当然、自分本位でやってるので、宿根草でも偏っているが、これは当然。
このあたりでは今日から明日、にかけて桜満開になるだろう。午前に見たところではそんな感じだった。
すぐ近くにある中学校グランドの外周部の桜も同様だ。自宅から一分でご覧の風景が。↓
晴天、朝から風が強い。
本来なら、今頃は寒い日もあるが、結構あったかい日もあったりして、春に近くなるパターンが多いように思うのだが、この冬は、趣が若干異なるように感じられるのは、自分の加齢に意識しないでいるためかも?。
現在、草花に変えて、食用の菜花の種をばら撒いてある狭い空き地にも菜花が少しずつ伸びてきている。そして蕾もついている。にもかかわらず、地面、植物の葉などがいまだに毎朝、凍っている状態なので、菜花のような寒さに強い野菜である植物でも、同様だ。それでも背丈が異常に低いのに花芽がいっぱいついている。
オリンピックで羽生、宇野の二人の選手、活躍は極めて立派なことである。
先ほどパソコンを復元した。このことが以後、◎と出るかXと出るかは全く不明だ。
とりあえず、外の空気を吸いに行ってこよう。 苧ヶ瀬池は波高し。
春近し2
暖かな陽気に囲まれた日だ。
近くのコミュニティーセンターで10時から1時間30分程、地元選出の市会議員報告会が予定どうり行われる。型どうり、時間どうりに終わる。その後、会費制の懇親会があったので、それに参加して帰宅。まあ、こんなものかと思った通りであった。アルコールも少し入った。
折りしもオリンピックの最中。落ち着かない人も何人か参加していたが、私自身も早めに退散し、オリンピックの「フィギユアースケート」観戦に。日本選手の演技観戦が第一だ。そして羽生結弦選手、宇野昌磨選手、の順で一位、二位の成績で万々歳だ。
羽生選手の場合、体に故障があったはず、つらい部分も多かったろう。でも、良かった。よかった。宇野昌磨選手が銀メダル。よかった。よかった。
どうも、この冬の天候は読めませんね。「うぬまじいちゃん」としても全くお手上げです。
今日は天候の面から見れば気温は上がるものと、朝の時点では、いい天気で、このまま雨が降って
気温が少し高くなるものと思えたんだが、今日も風が強いし、それなりに寒かった。
明日は雨が降り、気温が少し上がるが、その後また、寒くなって雪になる旨、予報官の知らせだ。
こうなると、従来のパターンとはまるで変ってしまった。二月末に雨が降る日がでてくると春に近づくのは昔からのパターン。しかし、その後また寒くなって雪も降るということになると、わからない。韓国でのオリンピックも寒さは厳しいものらしい。
北朝鮮の関係についての問題もあって何かこれ以上に、ことが起きなければいいが。ということが
妥当なところか。
取り敢えず寒波は去ったようだ。
個人的な思いだが、局地的に麻痺状態になった人たちの思い。そして、ひとまず、安堵された方々も多いと思うところだ。
まだまだ落ち着くどころかこれからが大仕事だ。との思いの方々も更に多いんだと自分としては感じている。
なぜか、自分自身が、生まれて育った地が、国内でも有数の豪雪地帯で知られているところだからだ。
それぞれの地域、それぞれの立場の人によって社会はなりたっている。
三日前から寒波がきた。昨日と今日は更に厳しくなった感じ。道路も、長靴を履いていても、身をそらして大股での歩行は、路面が凍っているのでできない。(転倒危険のため)
自分の居宅は古いものだし、大通りから左に少しのぼったところにある。
その辺りだけは慎重に、ゆっくりと歩かないと転倒危険である。
明日ぐらいからは、この寒波もゆるむらしい。過去数年間のうちでは無かったものだ。雪はほとんど降らない。
朝の冷え込みは氷点下である。明日からは寒波もゆるみ、雨も近くなるのではないかと思っている。
自宅の駐車スペースに溶けた氷がつるつるになって残っている。今日の午後にスコップで割って置いたが、明日はほとんど氷は無くなると思う。
玄関横にスコップで掘った畑状のスペースが一坪程度あって、今は野蕗の蕗の薹が出ている。春になれば百合などの花が咲く予定になっている。(下は実家近くの消火栓と今の実家、)