言葉には出したくもないが、確実に正しくきびしい暑さだ。
何ともなりません。人間も虫けらも野生動物も、皆同じだ。
あとは雷雲の発生、「ピカリ」「ゴロゴロ」と夕立に期待するか?。
でも、もうその日も近いことに望みを託して待ちましょう。
強気に構えているが、この痩せ老人だ。いつ、ポックリとなるかわかりません。
自分のホームページの中にある雪景色の中から、冬景色の画像をいれてみましょう。
暑さが続きます。たまりませんね。
でも、これも、盆までと割り切ってます。
その頃には台風も来るし、雨も降るでしょう。
心配してもどうにもならぬことは、致し方がない。
あれこれ心配したり、ウロウロしてもどうにもならないことは考えないことに。
ただ、この痩せ老人のこと、いつ、寝込んでしまうかもわからないのだ。
蝉の啼き声は朝5時前から夕刻暗くなるまでずっと耳に入ってきています。
2~3日前から、自宅でも抜け殻が目立つようになってきている。
でもこれも蝉の最後の姿であるから、見つめるだけだ。
生きたままで地面に落ちてる蝉を拾って見る。まだ羽をバタバタさせて元気そうなので庭の植木の葉の上にのせてみても、すぐに地面に落ちてしまうのだ。つまり、無事に生きて最後の使命(次世代)を残した姿なので、自然にまかせる。
連日、暑くてたまらない。
朝は曇っているように思うが、9時頃からは直射日光が照りつけて近所の公園で長寿会の希望者者が原則日曜日を除き、グランドゴルフの練習にでてくる。約一時間程汗を流して、8ホールを2ゲームを済ませて終了だ。
ラジオ体操から始まっての長寿会メンバーのスポーツの大切な年中行事だ。
勿論、義務もなし、各人が当日の健康状態を自覚している。そのための保険にも加入している。男女を問わず長寿会のメンバーであればそれでよい。当日の健康状態に懸念があれば本人の判断次第。老人とは思えぬほどの頭脳と体力の持ち主や、旅行や、身内の中での行事もあれば当然のこと、参加者本人が、きめる。
突然にといってもよいほどに、酷暑が訪れた。
自分が老人である故に、夏は暑いのが当たり前、でも徐々に雷雨を繰り返したり、「ピカツ」と光って「ゴロゴロ」雷が鳴って、それも暑くても真夏の暑さの前触れとして捉え、それなりに楽しんだように記憶にある。
終戦後のこと故、何もないのが当たり前の時代だ。
何が無くても無くても夏休み、大急ぎで雑炊鍋をかき回して食べたもの。囲炉裏のうえの火棚から「身欠きニシン」を一本引き出し、齧りながら川まで駆けていったものだ。
海水着などないのは当たり前、ごろ石だらけの道を裸足でかけ続けて川まで、駆け続けたものだ。
小さな川だ。砂防用の堰堤の下の深みで少しの間、泳ぐ。といっても誰も正しい泳ぎ方は知らない。手足をばたつかせ、浮いたり、沈んだり、繰り返したりであっても、水は冷たくて楽しかった。もちろん、水泳用パンツなどあること自体知らなかった。
一旦は酷暑が収まって、やれやれと思ったら、すぐにもとの酷暑に戻った。
この夏、日本列島はどうなってしまったのか?。
本気で心配してる、「うぬまじいちゃん」だ。
地球全体の問題でもある、温暖化現象?。
日本だけの問題ではないと本気で思ってる、昨今だ。
東京オリンピックの文字が時々テレビや新聞でも散見されるが、いまやそこまで来ている事柄だ。
でも、地球全体の問題として考えたとき、はたして計画どうりに開催がなされるのか?。
暑さの問題だけ、考えてみても????。
雨が降るなら降ればいいのだが、一旦降りだせば、今度が豪雨があり、各地に甚大な被害が出る。
地球が変動期?。それも、あまりにも短い尺度での考え方になろう。
日本国という国を俯瞰したとき、すでに斜陽に入っているようであり、この先大きく飛躍する余地はなさそう。
南極の氷が溶けて次々に海に崩れ落ちる場面もテレビの番組か何かで見たことがあるが、地球そのものが、そういう状態になったということだろう。
先の短い老人が、心配することもないが、これから生まれ育つ子供達の未来に思いを致すと、心穏やかにはなれない。
海外旅行からの帰りに思うことだが。
晴れていれば、雲の切れ間から見えてくる日本国。
「緑が多く、とても美しい。」これが祖国だと思い嬉しくなったものだ。
利尻、礼文の島を訪問した時の写真から(↑)
子供たちの夏休みも残りわずか。
でも、この暑さはなんだ。いつまでこんな暑さが続くのか?。
これでは体力の衰えている世代。特に老人は日々どうやって過ごそうかと考える日々。自分だけがこんなに暑さに弱いのかと複数の人(近隣)たちに聞いてみるが、皆さん同じ思いであることが分かった。自分の住む地域には近くに森もあり、ちょっとした山並みもある。
家の周りの土の部分を掘り返してみれば、石ころや、木の根っこに混じって、土もあるから、まだよい方だろう。
大都会に住んで、道路は別として、素手で素足で土を握ったり、歩いたりできるところは原則的にない。
いかに文化的に恵まれた地域に住み、便利な生活用品に囲まれて日々を送ったとしても、人間として、あるいは地上に生きる生物の一種としても当たり前のことではないと思うのだ。
人間であれば、土の上を裸足で歩いてみる。とても幸せに満たされた気分になれるものだ。そういうことが出来ないということは、人間として不幸なことと思うのだ。(↓苧ヶ瀬池慕情)
暑さの程度が変り、やれやれと一度は安堵した自分だったが、長く居座った酷暑は簡単には退散しないようだ。
全く、近年の天候は、自分のような古い人間には、全く予想もできないということが分かった。
昨夜の暑さ、今日の朝からの暑さはまだ、酷暑が続いていることを思い知らされた。
言ってみれば、自分という人間は過去の日本人の生き残り(身体も心も)であるということを思い知らされた。(昔人間である)
時代に順応できない体や脳(心)になり下がった昔人間だ。
「蝉しぐれ 心病む吾には 喧しく」
現在の自分の心を俳句風に表すと上記の如くになる。
昨日の高校野球決勝戦(甲子園)凄かった。
東北、秋田からの出場。目を離せなかった。準優勝はすごい快挙だった。
「見事としか言い表せない」これは自分の感想だ。秋田県民は当然として全国の大方の人たちは、はらはらしながらのテレビ観戦だったに違いない。
「天は見放さなかった」これが自分の感想である。(↓は摩周湖)
午前中から、暑い日差しが照りつけている。
暑い一日です。テレビのニュースや天気予報パターンがきまってきた。
「命に係わる暑さですから、熱中症を防ぐため、十分注意してください。」
家の周りを見渡せば、ミミズ、ダンゴムシ、が干からびて死んでいます。
蟻🐜は元気だが深い穴の奥に潜って出てこないのかな?あまり姿が見えない。
植物、観葉もの、鉢植えなど、日に一回以上たっぷり水やりが必要だ。
そうでなければ、大方のものが枯れてしまう。
樹木、木なども大木でない限り、同様のようだ。
そんな中、蝉だけは早朝から日没まで、啼いている。
しかし、この夏はアブラゼミを見ていないが、自分のみた範囲では「クマゼミ」とこのあたりで
呼ばれている、羽が透明なものだ。(アブラゼミは自分が見ないだけなのかも)
公園でアキアカネの群れているのを見たが、数が少ない。これから本格的に群れるのかも。
食欲が落ちたり、お腹を壊して体重が減ってしまった。自分で驚いた状態なので、気を付けて
沢山食べなければとの思いが強いけれども体が受け付けない。
ああ、情けないと思うは老人の悲哀だ。
今日も暑い。湿度が高いのか?。
ムッとする暑さだ。
この住宅団地のすぐ上に300メートルに届く山並みがある。今日、グランドゴルフに行って公園で眺めていて気付いたが、山の斜面の樹木の葉が枯れ葉色に近い状態であることがわかった。
山自体が岩盤みたいなところが多いし、麓以下にしか、水が出るところもないので、山の岩盤にへばりついている、松や他の雑木などの葉が枯れ葉に近い状態に見えた。
一旦、このような状態になると、急峻な場所にへばりつくように根を張っている雑木。草などは雨がたっぷり降って水を含むまでは元の状態は取り戻せない。
公園で気付いたことだが、今年初めてアカトンボが群れて飛んでいた。「早くもアカトンボ」が。
仲間のひとたちと少しの間、眺めた。1年ぶりだ。
「暑い、暑い」と云ってるうちに、今日は8月9日だ。
「歳月人を待たず」といいますが、過ぎ去った年月の短かったこと。
子どもの感じる1年と40代の人、60代の人、80代の人、100才以上の人、それぞれに自分の生きてきた現実に考察をしてみれば、実に異なるものとなるだろう。
「これでよかった」「良くなかった」「あの時こうすればよかった」等々、納得、反省、その他の行動をとる人もあって、一概には言えない。
広島、長崎の原爆忌も年々再々巡ってきて瞬く間に、過ぎていく。
人々の喜びも悲しもやがて、歴史の彼方へ、大自然に溶け込まれる。
そして、昨今の、豪雨、台風、地震などの多発も珍しくも無くなって歴史の中に包み込まれてゆく。
それにしても、太平洋上に浮かぶ島国、日本列島。近年においてはまさに災害列島とでも考えたくもなります。
そして、いま日本国の財政赤字は天文学的な数字で表すほど、大きなものであろう。
石山寺
危険な暑さが続く。全く閉口だ。
窓は常時閉めて、カーテンは厚いもの。しっかり閉めて、外の熱気を遮る手法をとってるが、これも2重の構造になってれば2重にしたままの方がいい。
雨戸は試してないが、金属なので熱がこもってる分暑いのではないか?。
エアコンは、昼夜、つけっぱなしでないと心身に影響がでる。
テレビの天気予報では、連日、「命の危険を避ける工夫を?」。とこれは伝えている。
これは非常事態であることがわかる。
雨が降らない。
いつまで続くこの天気。
昔なら地域農民一同、集まって「雨ごい」をしたであろうと思える状態だ。
気まぐれな天気、いつ降るか、当分降らないのか。全く分からない。
この付近でも、ちょっとした里山で「雨請い岩」が残っている。
そんなことまで思い出している自分だ。
自宅の周囲に植えた、トマトなどは随分前に根から抜いて処分したし、いくつかの目的があって、例年のような天候を見越して植えたものもすべて枯れて処分した。
この暑さの中、気付いたことがある。
家の周りの生き物、蟻🐜と蜘蛛の動きである。それと普段は全く見られなくなっていた、蝿(ハエ)である。
蜘蛛の動きの変化のついて、これは「蜘蛛の子を散らしたような」という表現があるが、今年の蜘蛛の様子を見ていると、あまりにも暑さが厳しいので、葉っぱの陰や太陽光を直に浴びることを避けて営巣してること。
青カエルはクチナシのような、常にグリーンの葉に覆われている植え込みの中でも葉の中ではなく、少し下がった位置の小枝のに乗って、早朝や夜間であれば風や、空気の少しでも温度の低いと思われる位置に動かないでじっとしているのである。
虫たちの生きる知恵がよくわかる。
蟻🐜たちは、人目にも付く場所を堂々と、日光を浴びて長い長い行列を作って、自分たちの大切な巣までの行進を見せてくれるのだが、この厳しい暑さの中、行列はあまり見られない。
たまに姿を見せても、巣の近くで、人の目につきやすくても、ブロック塀の下とか、日差しのない場所などを選んで、行進し、自分たちの巣穴をめざす。地下の様子は図鑑などで見たことがあるが、この暑さの中だ、かなり深い場所に本部があるのだろう。
家の周りには小さいトカゲもいる。彼らは愛するべき連中だ。この家に自分たちが住みだした頃からの仲間だ。40年位の間、毎年、姿を見せる。捕まえて尻尾をもってぶら下げてみても、慌てない。彼らも代を重ねて数十年。数も増えているようだ。今年生まれの子供も見られる。(小さくて可愛い)
早朝、蝉しぐれがすごい。日中はあまり聞かない。これだけ暑いと蝉も「朝だけ」のものに
なるのか?。
「小さな、小さな自然」である。
今日も朝から暑く、早朝からの蝉の声が休みなく、続いてる。
家の外で少し、作業したいことがあったので、AM:5時過ぎから、外で作業。20分程で終了。
こんなことでも日中にやるということは、出来ない。
日が昇ってきたら、すぐに強烈な暑さだ。自分のような体力のない者にはそれは出来ない。
暑さが厳しくなったあとしばらくして、恒例のグランドゴルフ(近くの公園で)には、係りの人が「しばらくの間、休みにします。」(約1週間)
その期間が過ぎても全く天候に変化が現れない。更に厳しい暑さの日々が続く。老人と言っても元気な人で健康にも問題ない人にしてみれば我慢できない。
休みの期間が終わってしまえばやっぱり、グランドゴルフだ。この暑さの中ですが、皆さん元気に楽しんでいるようだ。自分はずっと休みだ。
ここで一句。
「蝉しぐれ 心病む吾には 喧しい」