人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

夜は涼しくなった。

2019-09-25 | 

 連日の暑さには参りましたが、夜になり就寝するころには、さすがに涼感が漂うようになった。
 この夏の暑さ厳しさには、この老人、死ぬのかと本気に思った。
 地球温暖化によるというようなことが、出回ってるが、本当かな?と思ってみたりの自分だ。
 狭い、日本列島により、いくつかの海流や、自然現象なども加わり、いまの暑さがもたらされているのか。
 自分は体躯が痩せているんだが、このように暑い日が続くと、自分が育ったころの気候を思えば、まるで違い、とまどってしまうのだ。
 蝉がいなくなって1~2週間近い。秋の虫も出てきているが、今年は細かい虫が眼の前で細かく小刻みに飛び回る。虫の名前は分からないが数年前には、こんな虫は見たこともないがと思いながら手で払うが顔からは離れない。更に網戸の細かい隙間から、くぐって室内に入って来るので厄介だ。
 10月から消費税のパーセントが上がる。これも厄介者だ。老人にしてみれば更に住みにくい状態になる。       ナナカマド 

 

 

 


温帯低気圧になった台風17号

2019-09-23 | 台風6号

 夜間、目覚めたら「ガタガタ」と戸袋の中の雨戸が音を立てていた。
 風によるものだ。自分がで住んでいる地域では、かなりの年月、台風とか地震による被害は聴かない。
 有難いことだし、自分たち夫婦も、齢から言ってもそうそう長生きできるものではない。
 しかるべき時が来ればと、心の準備は出来てる。
雨は降ったが、予想よりも少ないし、有難いことです。
 いま、自分たちの住んでいる場所は、そういう点では、偶然とはいえ、不思議なほど自然災害が少ない。
 本当に有難いことだ。
 
 敗戦と同時に無くなった。樺太師範学校の記念碑。




               利尻島 




蒸し暑さはまだ続く?

2019-09-10 | 

 今日は9月10日だ。
 これから先というか今夜からはどうなるかは不明だが。
 この地方は連日、夜間になっても暑さは収まらない。昨夜の場合は、この夏、初めて冷房を入れずに寝た。
それまでは暑くて夜になっても、冷房をしなくてはとても眠れる状態ではなかった。
 窓に網戸を取り付けてある場所を開放して、寝てた。蚊に対しては去年から使ってる、「アースマット」を利用してる。
 そういう状態であってもこの老体だ。ぐっすり眠れたという実感は得られない。
 早朝に起床してしまう。これはしょうがないことと思ってる。
 本来であれば、目覚めたら飛び起きて、涼しいうちに一定の距離または時間を屋外での散歩となれば、一番いいのだが、これはこれで家内は起きない。じっと布団の中で我慢をした後で、我慢をしきれなくて、起床して、別室でパソコンを覗いてみる。何か事件や事故など、大きなことは無かったか?。
 そのあとパソコンでニュースをみる。テレビを見る。「今日も事故など大変なことはなかったんだ」と確かめる。


 



厳しい暑さが収まらない

2019-09-09 | 

 厳しい暑さがまだまだ続く。
自分の古い感覚で天候を予想することは、最早できなくなりました。
 明日の天候が、わからないのだ。
こんなことがありうることが、不思議だ。
自分の予想など、最早通用することはないことがつくづく解った。
 自分のショックも相当なものだ。
今日はもう9月9日だ。もう何もかも狂っているのだ。
 そしてこの暑さはどういうことだろう。
自分の記憶をたどってもこの現実は夢のまた夢だ。
 つまり自分は、既に過去の人間となり果てている。
この令和の時代に、生きてることは正常ではないということか?。
ということは、過去の人間が、令和の時代に住んでいることは、
生きていることは不思議以外の何事でもない。

 自分中心に考えてみると、「過去にこんな人間が現実に生きていたんだ。」
ということにでもなろうか。それはそれでいい。やがて消えていく身だ。

               利尻富士  とても涼しい          



                 礼文島 ↑ 訪問時は涼感いっぱいでした。

                       紅ドウダン 


9月になっても涼しくはならない。いつまで続くこの暑さ

2019-09-07 | 

 暑い日が続く。
9月になっても涼しくはならない。
 地球の変動期にでも入ったんだろうか?。
どんなに暑くても、生きていかなくてはならない。
それがこの世に生を受けたものの勤めだろうと思う。
 それにしても、ここまで暑いと、食欲も落ちるし、夜間も冷房なしでは眠ることもできないし、老人にしても生きづらい状態だと思うところだ。
こんな日が継続すると、本来あってしかるべきものが、どうでもよいように思えてくる。
 人間のというか日本人の順応性を試されているような気もしてくる。

 テレビの画面で、南極の氷の岸壁が次々と崩れて海にしぶきをあげて、落ちていく場面を見た記憶があるが、「現実は思っているより、早く進んでるんだな」そんな感想をもったものだ。それにつけても、自分たちの人生を振り返ってみると、結構いい時期に生れて、人生を過ごしたものだと思えるのだ。利尻富士 

               荒島岳 


湿度が高く蒸し暑い

2019-09-05 | 台風6号

 昨夜のの大雨、雷を伴い久しぶりの夕立だったと思ってる。
近年、この地方では、夕立らしい雨がめったにありません。
 ピカット光って、カミナリがなる。そして大粒の雨がザーとくる。「昔人間」ならずとも、思い切って外に飛び出て、衣類もろともビショヌレになって雨の中を悠々と歩いてみたいと思うだろう。
 夕立とはそういうものだと思う。数10年前のことを思い出した。台湾でのことを。
彼の地は亜熱帯といわれるところだ。動物園を見学してたら突然、ザーと降り出したのだ。私たち同行のものは、急いで軒下などに雨宿りを考えるが、現地の住民は全く、そういう素振りもなく小さく編んだスゲ傘(それも小さきもの、日本にもある)を頭に乗せて、何事もなかったように悠々と歩いてるのだった。
 そうか、自分も気付いたものだ。これが当たり前のことであったのだと。
シャツ、ズボンが濡れて当たり前のことなんだ。
 そのまま歩いてれば、そのまま乾くのだ。それが日常なのだ。という事実に。


久しぶりの雷雨

2019-09-04 | 

 随分長い間、暑い過ごしづらい日々が続きました。
蒸し暑くて息苦しいようなイメージの夏の日々だった。
 特に老人にとり、厳しい夏だったんではないか?。
わが身を思ってみても、心底おもった夏でした。湿度も高いように感じた。
 このような暑く息苦しいまでの日々が続いたのは82年、生きてきた自分の実感から見ても、過去には無かったんでは?。
 1時間ほど前、急にゴロゴロ、ピカリとカミナリがなり、子供のころから慣れ親しんだ「夏の終わりのカミナリ」に懐かしさを覚えた。これで本来の陽気に戻ることが出来るんではないか。薄いシャツとズボンで外に飛び出て、子供のときのように、びしょ濡れになったら、さぞ、気持ちが良かろうなどとまで思った。誰にでもある郷愁というやつだ。
 これを契機に本来の夏、そして秋らしい秋がやってきて欲しい。
 ここまで来たからには本格的な証拠として、高い電柱のテッペンに乗った百舌鳥がこの秋の第一声「キキー、キキキーツ」を聞くのが待ち遠しい。そしてカエルなどをどこか目立つ細い棒などに突き刺して見せる風景。
 「うぬまじいちゃん」としてはささやかだが強く望んでいるのだ。
 そして、毎日の早朝、八木山からキジバトの啼き声も無くなるのだ。これらが「うぬまじいちゃんの」頭と心に定着した年間の行事だ。