人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

日没が早い

2017-11-30 | 晩秋

 11月も末日となる。
 明日は師走だ。もう年末が日、一日と迫って来るのみ。
曇り空の日であったが、気温は低い方ではない。何といっても日没が早い。
 家の周りや空き地に適当に植えてある菊が、いま、真っ盛りに咲いている。
菊は切り花にする程度で鉢植えなどは一本もない。つまり、毎年、秋になれば菊の花が咲くもの
という感じで、切り花にして花瓶に挿す程度だ。丈夫で邪魔ならば、踏んづけても枯れることがない。
 便利な花と言える。 
 日中、徒歩で買い物に行ってくる。できるだけ歩くようにしている。
 車ばかりに頼っていると、いざ、車を手放す段階になった時に困る筈だ。実際にそういう状態の人も知っている。
その段階では、杖に頼ってよろよろと歩けばよい方だ。場合によっては歩けなくなっている自分に気付き、
愕然とすることにはなりたくはない。




 
 

 


不要なもの。ばらして処分する。

2017-11-29 | 晩秋

 朝食後、外は雨、しばらく様子を見たが、変わりなく、今日はグランドゴルフは休みだ。
家の中でやること、やりたいと思ってたことが、いくらでもあるので、今日は何に手を付けようかなどと思うところだ。
 2階の部屋の一つがまだ、かたずいていないので、不要なもの、といってもほとんどが不要だ。これを片付けることに思いつく。
 どこまでやれるか、やれるまでやってみよう。ガンバロウー。
 家内と一緒に2階でタンス(50年前の和箪笥。3段)外せるところは外して燃えるゴミとして出せる部分とその他に分けて次回のゴミ収集日に出せる状態にまでした。(金属などは外しておく)
 これから、順次、家具、その他についてかたずけていかないと自分(自分と妻)がいなくなった時には困るだろう。二人ともに地元の出ではないから、特に迷惑をかけることになる。
 雨が降ると実際の気温より寒く感じるのが一般的だが、痩せ老人である自分は体に応える。



 昭和10年頃の雪国、新潟、豪雪地帯の囲炉裏端付近。後方に見えるのは箱膳
(当地キョロロの)画像を無断で拝借しました。(自分の実家近くです)

 下の画像は名古屋港水族館での鰯の群舞です。
館内が暗かったので、実際の目で見た場合と比べると、光の当たっているところ、そうで
ないところで大きく差が出てしまいました。




 






晩秋にしては暖かい日でした

2017-11-28 | 晩秋

 終日晴天。しかも暖かい日でした。珍しく風もなく、のどかな感じの日でした。
午前、午後の大半をパソコンの中の整理であるとか、忘れていた機能の勉強であるとかに費やして過ごす。
 若いころの自由自在とまではいかないにしても、ホームページ作るとか、計画表を作るとかがさっぱり思い出せない。
脳梗塞を患って入院してからというものは、体の方もだが、脳の方が、弱ってしまっているのか、過去の何分の一もできなくなった。
 今更、脳の手術もできない。今の頭、体で我慢して生きていくしかないのだ。
 不満は持つまい。これで良しの心構えを大切にしよう。


穏やかな温かい日

2017-11-21 | 晩秋

 穏やかな一日だった。「この天気も明日は曇りから雨になるでしょう」
これが天気予報だ。 
 最近は雨の日が多いので、今日のような日が何日かは続いて欲しいと思うのが大方の人が思ってるだろう。
秋は菊の花がきれいだ。
 近年は菊の種類も改良がなされている。従っていろんな花を楽しむことができる。







 


風もないのに寒かった

2017-11-20 | 晩秋

 今日は朝から晴れた感じなのに、細かい雨が少し降ったり、少しは光が雲間から漏れてきたり。
でも、気温の方は日中でも上がらずに結構寒い日だったと思う。
 朝の天気予報が「あたりという感じだった。テレビの番もつまらないし、家内の買い物に付き合い、小型のリュックを背負い歩いてスーパーマーケットまで。夕刻、外に出て市役所の支所(約10分の距離)まで出かけて終わり。極力自分の足で歩かないといずれ歩けなくなるはず。また、単に歩けばいいというわけでもないだろうと思う。
 老人の場合、適度という表現できる状況でなければ、いけないと思うところ。この適度がどの程度かが問題だろう。
 ドラックストアに寄り、安い酒などを購入。近くで牛丼の「小盛り」を喰ってブラブラと帰宅。夕刻、徒歩10分程の市役所支所まで寄ってくる。


朝からの雨

2017-11-14 | 晩秋

 起床したときはまだ雨は降っていなかった筈だが、食事の後にはどうやら本降りを思わせる状況。
11月半ばの雨、どことなく寒さを感じさせて自分は嫌いだ。
 この雨の中、近くでも遠くでも出かける気にならない。昨日の暖かさとはまるで違うイメージだ。
家の中で、多くの老人がそうであるように、じっとしてテレビに向かってあるいは新聞で。ボケーとして日を過ごすことになるだろう。
 今年、初夏の頃に「苗木や花の店」で購入して庭の隅に植えていた「琉球アサガオ」の一本の苗がぐんぐん大きくなって、連日、数えきれない程の花を咲かせてくれた。しまいには私自身があきれてしまった程だ。秋になり、11月になってもその花の数は一向に減ることもなく咲き続いた。しかも従来のアサガオといえば、その名のごとく、朝に開いて日が高く上る前にはしをれるものと、認識していた自分。
 しかし、この「琉球アサガオ」一本の苗であるにもかかわらず、ずっと咲き続けてくれた。
 11月10日も過ぎればあとの予定がある。しかも、簡単な塀に巻き付いているから、なにかと不便も出てくる。
 「アサガオにつるべとられて貰い水」などの風流な俳人も昔いたが、そんなことを思ってはいられないのが、現代だ。
  あとが待っているのだ。思いきって、根元から切って蔓を短く切断し、ゴミ袋に入れる。次回の緑ゴミ収集日に集積場にまで運べば終わり。
 宿根なので、また、来年初夏から付き合ってくれるのを楽しみにしよう。ただし、自分が生きて、それなりに健康であればということに。 


晩秋の雨

2017-11-08 | 晩秋

 朝、起床前から雨が降っていたようだ。11月の雨ともなれば何となく寒い感じ。朝のうち、すぐ近くの公園トイレの件で出かけてくる。話がすんだらあとは家で温かくしてのんびり。柿をたくさんいただいてあったので食べたり、テレビで見たくもない番組をみたり、あとは昔作ったホームページの整理をしようと引っ張り出したCDであるが、いまだに手付かずのまま。さてどうなるか?。何事に関してもだが、突然思い立ってあちこちからひっぱりだして整理ができない。初め思ったようには進まない。
 病院で医師に診てもらっているが、君の病は認知症であるとは言わない。しかし本人である自分にはわかるのである。何事をやるにも時間がかかる。歩く速度も従来よりも遅くなった。そして膝にも負担がかかっていることがわかるのである。
 歩く速度については、自分もそれなりに齢を重ねてきたし、やむを得ないと思っているところだが、以前から顔見知りの近くの自転車屋のご主人が昨日、片足を引きずり、杖に頼ってゆっくりと歩いているのに出会った。私の顔を見るなり、「こんな状態でしか歩けないことになってしまった」。「少し若い時から歩くことにも時間を取らないと」これはわたし。「そのとうり」とご本人。とにかく、極力、歩かないと駄目だ。わずかな距離でも車に頼る日常が招いた結果だ。
 全国、どこに行っても思うように歩けないという老人が多い。特に大都会が多いようだ。これは以前より、分かっていたことではあるが、国全体としてもこれから数10年間、大変な年月を経なければならない。(散歩コースでみるモミジ)

                            傘寿越え 俺もそろそろ 断捨離か


穏やかな温かい日

2017-11-07 | 晩秋

 ここのところ、温かくて体に優しい日が続く。有難い陽気でだ。
加齢のためでしょうか?。なんとなく気持ちの上で落ち着かない気分の日が続いている。
 家の猫の額(庭)には秋の花。菊が咲きだしました。それと夏の前に植えた濃いブルーの花が目立つ琉球アサガオがいまだ元気で毎日いっぱい花をつけ続けてくれている。こには驚いた。毎日たくさんの花をつけて咲き誇っている。既に11月も7日だがまだまだ寒い日が続かない限りは、現状維持で連日咲き続けるように思われる。棒を打ち込んで巻き付くようにしてやったのだが、2重3重に巻き付いた