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ハイキング! 各務原史にふれながら 9

 「ハイキング! 各務原史にふれながら」も9回をかぞえ、次回が最終回だ。ちょっぴり名残惜しい気もする。毎回、参加者のうち数人が万歩計を持参していて、その日の予定コースを回り出発点に戻って、まとめをする際、歩いた歩数を知らせてくれる。1回から9回までの例ではおおむね7000歩程度と思う。私自身にしてみれば、こんなものかとも思うし、若干もの足りない感もある。さて、今回は蘇原北地区を歩く。「伊吹の滝」から「蘇我倉山田石川麻呂の墓」「八坂神社」「各務用水」「加佐美山」「境川」上流域を回る。

 伊吹の滝、古来よりの自然の滝。不動明王を祀る。滝の水が精米などに利用された。(水車)また、この滝周辺にはさまざまな神仏(?)が祀られている。背後には「権現山」の峰峰が聳え、四季を通じて登山者が絶えない。山頂にも神社がある。

 「伝蘇我倉山田石川麻呂の墓」の標識が立つ。(伝承だが)蘇原と蘇我氏との関係、大化の改新(645・乙巳の変 いしの変と読む)飛鳥の山田寺と蘇原の山田寺の関係、市指定の史跡。

 八坂神社・祭神(牛頭天王 いずてんのう スサノウノ尊)「蘇民将来」・厄除けのお札(中国伝来の伝説)で有名である。かつてはずいぶんと賑わった。

境川にかかる橋の両側にあるお地蔵さん。(元禄15年6月と刻まれている)

 同じく馬頭観音(安政3年)

 「各務用水」は 境川の橋の近くで境川の下をを通って流れる構造になってる。いまも大切に使われているが、築造当時(江戸時代)は莫大な費用と相当な年月を要したという。竣工まもなく大地震に見舞われ、修復にさらに年月を要した。築造の指揮にあたった人の記念碑が近くの寺にあるという。

 

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ハイキング! 各務原史にふれながら 8

 尾崎・桐野地区 ここでは「乳母がふところ」「諏訪神社」「柄山古墳」を訪ねながら歩いた。

「乳母がふところ」

 戦国時代、岐阜城落城にまつわる悲話が伝わる。乳母が乳呑み児である、さる若君を抱いて逃げ、山伝いにここまできた。奥方とははぐれてしまい、泣き止まぬ若君にここの滝の水を含ませたところ、泣き止んだ。乳母もこの水を飲んだら乳が出るようになった。近くの寺にかくまわれて助かった。「美濃もここ 乳母がふところ水の秋 山花(俳人)」

 

 

「諏訪神社」は桐野村の村社とあるがとても立派な神社だ。この神社前にあった(いまはない)通称「みたらしの池」(お手洗の池)は特に有名であった。湧き水が豊富できれいであったことから、近年まで水道の役割を果たしたという。

 諏訪神社にあった「神輿」2つあって、ひとつは小さいので子供用かと思われた。大切に保管されているが、最近はつかわれていないのかも?。

柄山古墳(県指定史跡・鶏頭埴輪は市指定文化財)那加柄山町にある前方後円墳。近くに 琴塚古墳もあり、このあたりには古代の窯あとが随所で見つかっているという。古墳の周辺部から鶏頭の埴輪が出土したことから、分かったものという。窯では須衛器と瓦を焼いていたらしい。おがせ街道のことを「かわら街道」と呼ぶ人が近年までいたという。

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ハイキング! 各務原史に触れながら 7

 今回のハイキングは鵜沼南町地区。市民プールを出発点にして、承国寺(じょうこくじ)跡、村国真墨田神社、城山、常夜灯とめぐり、市民プールまで。この地区には「小牧長久手の戦い」の頃、木曽川を渡る兵を助ける活躍をして秀吉から書状を貰った河村惣六(船頭)や、城山(鵜沼城 城主 大澤和泉の守)の落城悲話(三つ塚の言い伝え)など、さらに、東山道(古代の官道 都から東北まで、当初の中仙道筋)跡もあって興味は尽きない。

 大安寺川が木曽川に流れ込む少し前あたりに、承国寺(じょうこくじ)があった。今はもちろん残っていないが、唯一、土塁の一部が残っている。寺のあった中心部と思われるあたりは、住宅地になっているのだが、住宅地になる前に、一部の地域が発掘され、古い瓦などが出てきているという。写真は地元の町内で維持管理している祈念堂。

 村国真墨田神社、鵜沼の総鎮守。「天の火明之命」をはじめ、いろいろな神が同時に祭られている。秋の例大祭の「和太鼓」は市の無形文化財。

 式内 村国真墨田神社とある。奈良時代(720~30年頃)に著わされた「延喜式」という本に、全国の主な神社名(地区ごとの)が載っていて、そこに名のある神社が「式内社」となる。

 内田の渡し。対岸(犬山)への行き来に使われた。川の崖ふちにある。写真は渡し場に立つ常夜灯。今で言う灯台か?

渡し場の近くに立つ水神様

羽島用水取入口(羽島市まで続いている)現在は少しだけ下流から取水している。

 

 

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ハイキング!各務原史に触れながら 6

 今回は鵜沼羽場地区、私の住む地域である。山側には新興住宅団地が続いているが、このあたりにもまったく知らなかった歴史的な遺物があるのは驚きだ。愛宕神社、坊の塚古墳、農村歌舞伎の皆楽座など。中仙道の道標(石製)が2本、鵜沼中学のグランド脇に立てられている。現在の国道、苧ヶ瀬あたりから西に3本、立てられていたものという。

松が丘の住宅の中をまっすぐに山へ向かって上ったところにある「愛宕神社」上の画像は神社の奥の祠。「役の行者」像。

「役の行者」の祠脇にある「かかみの句碑」これはそう古いものではないというが、知らない人が多い。

衣装塚古墳、名前の由来は不明。

 坊の塚古墳、一番上には陥没状の穴がある。盗掘のあと?

「皆楽座」農村歌舞伎の舞台。昨年大修理が行われた。まわり舞台がある。

 

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京都御所見学と大原三千院

「京都御所」見学と「大原三千院」を訪ねるバスツアーに参加した。御所見学は初めてである。予想してはいたが、すごい人出であった。すばらしい建造物群に圧倒され、日本の皇室の持つ歴史的な意味、価値といったものについて改めて思いをめぐらした。 一方、大原三千院は11月とはいえ紅葉にはまだかなりの期間がありそうで、もみじの葉は緑濃いイメージだった。残念!一昨年の秋、大原三千院の様子はここ http://blog.goo.ne.jp/f4tanabegoo555/e/7593e97a8c2be5c6fed59328cc7128f6

三千院「往生極楽院」は寛和2年(986年)の建立とされる

 阿弥陀三尊像(国宝)をを収める工夫として天井を船底型に折り上げてあります。ススなどで肉眼ではわからないが、その天井には極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が極彩彩色で描かれています。昨年オープンの文化財収蔵施設「円融蔵」の展示室に復元模写されて創建当時の極楽浄土の面影を知ることができる。

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ハイキング!各務原史に触れながら5

今回は前渡地区、前渡地区は大伊木地区の隣接地である。

浄化公園内にある猿尾堤、寛永年間に築かれた。

 数度修復されているという。水流を弱め、堤防の決壊を防ぐもの。(現代のテトラポットみたいなもの)

 

浄化公園工事中に出土した人骨の碑(真偽の程は不明だが猿尾堤築造時の人柱?)

 前渡不動には承久の乱(1221)供養塔がある(市指定史跡)周囲一帯に散らばっていたものが集められた。

承久の乱における両軍対陣図

 前渡不動(八熊山佛眼院)にある珍しい絵馬、錠前にサイコロをのせてある絵馬。つまり博打を断つ願をかけたもの。同様のものに酒、女を付け加えたものもあった。

桃春院 通称「お薬師さん」本尊が薬師如来、境内になぜか芭蕉の句碑がある。

正面の奥が芭蕉の句碑

坪内陣屋跡 旗本 坪内氏の分家のひとつ(ほかに三井、平島)

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