人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

9月になっても涼しくはならない。いつまで続くこの暑さ

2019-09-07 | 

 暑い日が続く。
9月になっても涼しくはならない。
 地球の変動期にでも入ったんだろうか?。
どんなに暑くても、生きていかなくてはならない。
それがこの世に生を受けたものの勤めだろうと思う。
 それにしても、ここまで暑いと、食欲も落ちるし、夜間も冷房なしでは眠ることもできないし、老人にしても生きづらい状態だと思うところだ。
こんな日が継続すると、本来あってしかるべきものが、どうでもよいように思えてくる。
 人間のというか日本人の順応性を試されているような気もしてくる。

 テレビの画面で、南極の氷の岸壁が次々と崩れて海にしぶきをあげて、落ちていく場面を見た記憶があるが、「現実は思っているより、早く進んでるんだな」そんな感想をもったものだ。それにつけても、自分たちの人生を振り返ってみると、結構いい時期に生れて、人生を過ごしたものだと思えるのだ。利尻富士 

               荒島岳 


湿度が高い

2019-08-31 | 

 昨夜は湿度が高いためだと思うが、ムシムシと寝苦しかった。
そうなると加齢の故もあるが、夜中に幾度もトイレに起きるし、すぐには寝付けないしで布団の上に横になってる時間は長いのだけれど、起きた後でもスッキリ感がない。
 もっとも、老人のこと故、もともと何時間以上の睡眠が必要というような定義は知らないし、マイペースで生きればよいということで納得している。
 今朝からは好天に恵まれて(この地方は)日差しがあり、外気温が高い。
昨日はかなりの雨量を記録したと思われる。
 気のせいか、蝉の声がしない。そろそろ、今年の蝉は(この地方の)終わりということか。
 昨夜は食事のあと、カナブン(こがね虫)がテーブルの上でブンブン飛び回り、落ちてきたら捕まえて、外へ放ってやろうと思ったが簡単には捕まらないで、ブンブン飛び回る。
 今朝、外に出てみたとき、カメムシが植物の葉に止まっていた。これは触るだけでも臭くてたまらない虫だ。この地でのカメムシを見たのは数年ぶりだ。このことだけで、この先、嫌なことが起きないようにと祈りたくなる。




 


贅沢な悩みだ

2019-06-23 | 

 早朝五時頃に起床。ゆっくりと眠りたいのは当然だが、いくら暇があるからといっても82歳の老人だ。
起床より早くに目覚めている。
 目覚めてしまってから、我慢しながら時間の経過を待つのも結構つらいもの。近くでホトトギスの鳴き声が聞こえる。「夏だなあ」の印象がさらに強まる。キジバトやウグイスの声は毎年、夏になると早朝に聞くことが出来るが、ホトトギスはめったにない。

 「早起きは(その習慣は)徳を貰える」といった表現もあるが、いまの自分にとっては、「もっともっと眠りたいのに早朝に目覚めてしまう」といったところだ。
 今日は日曜日だ。長寿会のグランドゴルフの練習もない。一日、どうして過ごそうかな?。
 「贅沢な悩み」というべきだろう。今日も晴れの天候だ。日が差して周囲の緑が目に沁みる。
 新緑の木の葉や森の色がとてもきれいだ。贅沢なことだと思う。



この暑さは何だろう

2019-06-20 | 

 この暑さは何だろう。
梅雨明けの知らせも聞いた覚えがないが、カンカン照りでとても暑い。
昔の、というか数十年前の頃を思ってみるが、6月の暑さはこんな暑さではなかったと思ったりする。
しかし、今日は6月20日だ。
 暑くて屋外に長時間いたら、どうにかなってしまいそうだ。

家の周りで何かをやろうと思えば、麦わら帽を手放せない。
 自分の感覚から思うと梅雨明け直後の天気を思い出す。
 社会にもそれなりに変化もあろう。例えば日傘とか、麦わら帽子は手放せないと思ってる屋外作業の人も増えてる筈だ。
 自分は朝のうちに外でやりたいことはやって、あとは夕方涼しい時間になってから、散水などに取り掛かる。
いづれにしても異常気象に思えるんだが、日本列島全体を俯瞰してみたら、大したことではないのかも。

     美濃市は美濃和紙の里、「和紙会館」という立派な資料館がある。↓


 
     美濃 和紙を使って近づいた花まつりの準備が進んでいるところ(上)

          円空上人塚
 ↓(この塚の下に入仏している)



         円空さんは似たこの塚の下に入仏している
               


            円空さんの墓     

    
             


植樹祭

2019-06-14 | 

 先般、天皇皇后 両陛下が愛知県で行われた植樹祭に出席された。もちろんテレビでも報道されたが、
私は興味深く見ていた。
 それは自分が現役で働いていたころ、愛知県犬山市に「昭和天皇ご夫妻」がおいでになったからである。
目的は犬山市にあった「財団法人日本モンキーセンター」にサル類(霊長類)を見にこられたからだ。
 その後、間もなく皇室の方々が次々においでになるということがあった。
 両陛下が旅で「モンキーセンター」に見学でお越しになられるということは理事長以下、従業員の末端に至るまで名誉なことと思った。
 その時も愛知県で実施された植樹祭にご出席される目的で来県された。
 そのようなことは通常あり得ないし、計画もおおむね一年ほど前に決まるように感じたものだ。
 まず、モンキーセンターの近くで車列が通過する道路でへこみがあったり、枯れた「赤松の木」などは、すべてきれいに処理され、薮の奥まで見通せるように雑木の伐採も。園内のマンホールの蓋までめくって点検。
 前日の夜は職場の近くの宿泊所に従業員の一部は宿泊となり、当日の朝は真っ暗いうちに出勤。正面の門の前には県警の人が幾人か待機していて、宿泊所から出勤した従業員に対しても一人ずつ身分証明の提示を求められるのだった。
 天皇ご夫妻の御行啓とは、「これは当たり前のことではない」ことを思い知った。

 飛騨で行われた植樹祭の会場跡
 ↓


梅雨の晴れ間

2019-06-12 | 

 昨夜はカミナリがとどろき、かなりの雨が降った。
今朝はそれなりに好天に恵まれたが、「日差しはチョッピリ」といった感じだった。
今日は特別なことはなかったが、「青紫蘇」やたらに増えていたので、夫婦で葉をちぎって、ビニール袋に入れ冷蔵庫に収納。
 これは結構利用価値が高い。ビッシリと葉を広げているので、ほかの雑草が生えてこないのだ。
「天ぷら」にして食べるのが、自分は好みだが、秋の始まり頃だろうか、細かい実がいっぱいつく。頃合いを見てその実を指でしごいて「ざる」にとり、食塩を混ぜて広口瓶に保存する。以後、時々食事に出して少しずつご飯にまぶして食す。しそ
真夏に「ソーメン」を食べるとき、青紫蘇を細かく刻んで「ソーメンつゆ」と一緒にまぜて食べると旨いのだ。
 広口瓶(海苔のつくだ煮用)などで冷蔵庫で保存して時季外れに青紫蘇の香りを楽しめる。








本格的な雨

2019-06-10 | 

 昨日も、深夜もだったが、本格的な雨か?。
ただ、それだけのことで気分が塞いでしまう自分だ。
少し前からの天候が、晴れの日が多いので、そのことの反動が怖いと思っていた自分。
一般的に見て、物事のすべてに表裏があることから、それぞれの地域の気象条件は山やその高さ、気流の関係などで、変化する。
 登山が好きな人の場合、前日に登った山の頂上付近で(山小屋の前)でご来光を拝するといった、ことが一般的なことと思うが、せっかく前日に苦労して登った山の小屋で明朝は雨または曇り空ということが、はっきりわかったら、楽しみも朝を迎える前に減ってしまう。 
 老人の一日も「サンデー毎日」であるが同じような日々の繰り返しだ。 
夜中や早朝に寝床の中で、「外は雨とはっきりとわかる」ときは気分的に盛り上がらない。
 当然、睡眠そのものが浅いのも事実だし、気分も盛り上がらない。
 梅雨本番だ。














本格的な雨

2019-06-10 | 

 昨日も、深夜もだったが、本格的な雨か?。
ただ、それだけのことで気分が塞いでしまう自分だ。
少し前からの天候が、晴れの日が多いので、そのことの反動が怖いと思っていた自分。
  一般的に見て、物事のすべてに表裏があることから、それぞれの地域の気象条件は山やその高さ、気流の関係などで、変化する。
 登山が好きな人の場合、前日に登った山の頂上付近で(山小屋の前)でご来光を拝するといった、ことが一般的なことと思うが、せっかく前日に苦労して登った山の小屋で明朝は雨または曇り空ということが、はっきりわかったら、楽しみも朝を迎える前に減ってしまう。 
 老人の一日も「サンデー毎日」であるが同じような日々の繰り返しだ。 
 夜中や早朝に寝床の中で、「外は雨とはっきりとわかる」ときは気分的に盛り上がらない。
 当然、睡眠そのものが浅いのも事実だし、気分も盛り上がらない。
 梅雨本番だ。












夏の思い出

2019-06-01 | 

 いま6時、今日も天気はよさそう。
でも、好天の日が続くと自分のような老人は逆にそのことにさえ、いささか心配にもなるのだ。
 このような現象は、世間一般にあることなんだろうか?。
まあ、どうでもいいことだから、「限られた範囲で精一杯生きればいいさ」。
 昨年の秋になぜか急に思い立って、自宅の空き地に「ぶどうの苗」を植えてみたのが目下元気に芽を伸ばしている。
 こんなことなら、もっと早い段階で、植えるべきだったのにと思うのだが、気付かなかったのだ。
 ぶどうの苗は素人で何もわからないものが思うより、ずっと強くて丈夫らしい。ただ、「成長していく途中で害虫にやられないように、適当に消毒を施すことが必要だ」そして肥料もだが。
 残念なことに、自分の生存中にはこの「ぶどうの実」は堪能できないだろうと思ってる。家内はそんなことには興味なし。「それもよし」と受け止めよう。(画像は妙高高原と燕温泉)







今日も晴天

2019-05-30 | 

 今日も晴天。だが、明日からは少し変わるようなテレビでの予報。
実際は当日になってみないと、わからないというのが、最近の天気予報だ。
それはまあ、仕方のないことでもあるだろう。
 大きくは、日本国の行方でさえも、わからないことが多い近年、ある意味、当然でもあるだろう。
いろんな事件事故も含めて、どうしようもない、もしくはどうしようもなかった、事柄が多すぎて国の施策も追いついてはいけないのが、本当だと思う。
 地球全体が大きく変わっている過程と見なくてはいけないし、日本人であれば個人として思うように周囲が回らないのが当たり前なんだと、自覚するべき、と思う「うぬまじいちゃんだ」。頑張ろう。







新緑が目にしみる

2019-05-29 | 

 今日もいい天気だ。数日前までの暑さもなくて5月の下旬としてはこんなものか。
午後になってしばらくしてから今も風が流れている。(時々雨戸の戸袋の中で雨戸がガタガタおとをたてている)。
 一昨日からの夜間に降った大雨のため、地面はしっとりとして湿り気がある
今住む住宅のの裏山に当たる「八木山連山」は数年前までは「赤松」で覆われていたが、「松くい虫」にやられてしまい、今はほんの少ししか残ってはいない。その反面ヤマザクラやその他の雑木が徐々に増えて、この時期は新緑がとてもきれいである。(画像の棚田は松之山)



季節外れの暑さから解放された

2019-05-28 | 

 やっとと言うべきか、遂にということかな?。
 時季外れの暑さから、元に戻った。
まだ5月なのに昨日までの暑さには閉口した。
 梅雨も控えているが、このように日本の気候風土(特に中部地方)を
無視された気分で過ごした期間も珍しいことに思った。
 今日は朝から雨が降ってます。乾燥しきった地面に潤いが生まれるだろう。
そして植物、とりわけ雑草と言われる多くの仲間たちが一斉に繁茂してくる。
 前後して有益な、あるいは人間にとって有害な虫たちも同様だ。
狭い日本列島、人間も多いが、他の生物、野生動物、野鳥、数多くの虫たちの多くも喜んでいるかも知れない。
 物事には表があれば裏もある。暑い日々の裏はどうだろう。
「その反動が怖いな」などと思う「うぬまじいちゃん」だ。
近場の温泉にでも出かけてみるか?。
最近、どこにも出かけていない。

 そんなことを思ってみたりの「うぬまじいちゃん」だ。




 

 


風薫る5月

2019-05-27 | 

 爽やかな5月。連日晴天が続く。
とても有難いことなんだが、人間、何とか無事で生きていると長年のうちに慣れっこになり、その有難さを忘れてしまう。
 万物に対して、あるいは常日頃の贅沢を忘れてしまい、ときにはとんでもな「しっぺ返し」に見舞われる。
 こんなことの繰り返しで歴史が巡ってきたんだと時々思う自分だ。
 何事に対しても「畏敬の念」が大切であるということを御先祖さまが教えてくれていると思わなくてはならない。でも、一般大衆はそのようなことには関心はなく、連日、漫然と日々を送っている人のなんと多いことか。
 遠い昔の話だけれど、早春2月ごろ、「豪雪地帯の山村」で育った自分はご先祖から伝わった年間の諸行事を見てそだっている。今思えば、実にさまざまな行事があった。
 道端の道祖神一つにしても、きちんとしたルールに従って守られてきている。そのようなことは、便利だからとか、合理的だからといったこととは異なる時限のものだ。
 60歳を過ぎてから(退職後)四国88か所巡りをやったこともある自分だが、このようなことは、いまの日常生活とは無縁のものだ。
 でも、日本民族にはそのような血液が流れていると信じて疑わない。