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懐かしい「すがきやラーメン」

 午前中の散歩(家内と苧ヶ瀬池一周コース)のあと、そのまま買い物に直行。買うものは簡単に済ませたが、時間的には昼食どき、スーパーで簡単に済ませて帰ろうと、何年振りだろうか、「すがきやラーメン」を喰った。なるほど昔喰ったことのある、ラーメンだ。今どきのラーメンと一味違う。ところが買ったものの中に、お米が5Kgあった。わずかに5kg、とはいえ散歩のついで故、徒歩だ。ほかにも買ったものが雑多にあり、重い。米は交互に交代しながら持って帰ったが、自分で思っているより、ずっとずっと、体力の衰えを自覚させられた。日夜筋力トレーニングに励んでいるわけではないので、身に沁みた。今後、このようなことが予想されるときは、無駄になってもよいから、リュックサックを背負って家を出よう。自宅の前はゆるい坂道だがリュックを背負った年配の人がよく目につく。今日は納得した。(画像は関市内の「うだつ」の上がる家)立派なものだ。関市は歴史を調べてみれば、よくわかるが、凄い歴史を持つ町だ。

 

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パソコンクラブの忘年会

 今日は私も所属している、パソコンクラブの忘年会。この夏頃より体調が極端に悪くなり、夏には大変な状態だった。(死ぬかもしれないと思った)
秋になって、食欲も出て来て、目下、病院での点滴を受けなくとも、動けるようにまでなった。食欲も出て、自分でも驚くほどだ。その割には体重は増えてない。でも元気に動けるだけありがたいと思っているが、これも、いつ、どうなるかわからないと思っている。毎日、薬漬けの生活だ。どのような薬であっても、体に副作用のないようなものは無いと信じているので、油断はしていない。それでも、毎晩、焼酎の湯割りは呑んでいる。病院の先生に聞けば、「アルコールなど、論外だ!」と即答、つまり話し相手にはなってくれない。当然だ。自分の責任で飲む飲まないの判断になる。しかし、飲まない日はほとんどない。一説に酒好きの人が飲まないようになったら(飲めないようになったら)そろそろおしまいだ。と聞く。(寫眞/関市内で
屋根に祀ってある神棚

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日本国の凋落傾向

 近年、(特にここ2~3年)日本国の凋落傾向が感じられるのは私だけのことだろうか?。そんなことはないと思う。数年前からのことであるが、近隣国の台頭と、その強引とも思われる行動はメディアを通して私のようなものにもわかる。70年近く前に終わった戦争がまだ跡を引きずっているということだろうか。いまの日本の指導者には過去を忘れろとは言わないが、日本の未来、即ち子どもたちのためにも、自信をもって施政を願いたい。未来は子どもたちのものだ。近隣の国には、子供の教育(学校) で現在の日本について、必ずしも正しくなされていない部分もあるように感じられる。日本が奪った過去の植民地政策、は確かなものとして、当時の指導者とは無関係な今の日本が謝罪と賠償(?)という形で成してきている。子供たちが自信をもって誇れる日本を構築していけるような教育を望むところだ。更には日本の人口減少が気になる。(画像はツワブキ)

 

 

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中山道奈良井宿

  暖かい秋の日差しの中、「中山道 奈良井宿」までハイキングに連れて行ってもらった。一度も訪ねたことのない宿場である。昭和53年に国から重要伝統的建造物群保存地区に選定された。手前の旧街道「鳥居峠越え」のルートで奈良井宿にはいる。中山道の中では最大規模の宿場であったという。「明治天皇・皇后両陛下が休憩された行在所」と記された部屋がそのまま残っていて、その折、召しあがったものがどういうものであったかなどの資料もある。約1kmほどの宿場町。江戸時代の中山道の杉並木も残っていたり、6か所の水場(当時の生活用水)がよく整備されている。宿場に入る前にお地蔵さんが集めてあったり、道がカギの手(枡型)になっていたり、当時の状況がわかる。およそ300軒あると言ってたが、そこにお寺が5軒、神社が4社ある。お寺はそれぞれ宗派が異なるので合併することもできないので、維持が大変だという。

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正倉院展と平城遷都1300年祭

 11月2日、「正倉院展と平城遷都1300年祭」というバスツアーに参加。私としては正倉院展だけ時間をかけてゆっくりと見学したかったが、バスツアーである限り、自分の思いはかなわない。「平城遷都1300年祭」も「正倉院展」も驚く混雑ぶり、とにかく人、人、どこまで行っても人が多い。若い頃に何日も通い、根気よく並んだ「大阪万博」を思い出した。今回の「正倉院展」は一番人気の「螺鈿紫檀五弦琵琶」が19年ぶりにみられるということで、入場までに数十分、展示してある近くで並んで数十分、ロープでのジグザグ通路をノロノロといった感じ。

 バスの中で渡された弁当は、ご飯、おかず、ともに非常に冷たい。(冷蔵庫からだしてきたものらしい)よく見れば素材はすべて冷凍食品で作られているような氣もするし、11時過ぎには現地に到着予定といわれて10時半に食べた。とても旅の弁当という氣になれない。疲れました。



第一次大極殿(上)



大極殿内の高御座(高御座 たかみくら)

 

朱雀門(上)



目的の「正倉院展」入館前に並んだところ。場内では当然写真は撮れない。





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永平寺

 3年ぶりに永平寺を訪れた。一歩中へ入ればとても静かで落ち着いた気分になれる。訪問者も多いのだがなぜか静かである。この雰囲気がたまらない。

 新緑と甍のバランスもきれいである。

 

おなじみのピカピカに磨かれた長い階段 

 前回訪問は、このブログを改めて見直したら2007年5月であった。実家が曹洞宗であるが、こういうところ(お寺)を訪ねると心が落ち着くということは、自分の年齢の故と思う。宿泊も前回と同じ「みらくる亭」である。こちらも静かで料理もよく、お気に入りの温泉である。

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世界遺産 五箇山

 世界遺産 五箇山へ行ってきた。同じ世界遺産、白川郷から近いのに、今回がはじめての訪問。美濃地方は晴天なのに五箇山は富山県南栃市、小雨が降ったりやんだり、その上季節はずれの寒さであったが、自分が育った子供の頃の思い出につながるところが多く、存分に楽しめた。白川郷、荻町は何回も訪ねていますが、こちらははじめて、新しい発見というか、知識としては理解していたことと、実際に現地で時間をかけて見学できたことで、新しい認識を得たと思った。

相倉集落、田植えの準備も整った棚田の風景も美しい。

 富山の春はチュウリップ

 床下で火薬の元になる塩硝を作って加賀藩に納めた。納税の代わりであった。

 

  荘川を渡るための篭、昔は加賀藩が罪人を川を渡して流刑にした。断崖と強い流れの為に戻ってこれない。

 

岩瀬家の書院造りの部屋

岩瀬家で五箇山の歴史について詳しく説明をいただいた。

  国指定重要文化財 岩瀬家、約300年前、加賀藩の塩硝を取りまとめて納入する上煮役の藤井長右エ門が、天領飛騨白川郷へ、加賀100万石の威光を示したものだとも言われています。大黒柱をはじめ全体の半分は欅材が使われている。

ささら

 

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飛騨国分寺の大イチョウ

 平湯温泉の帰りに飛騨国分寺(高山市)に寄って見た。高野山真言宗の寺院である。山号は医王山(医は旧字体が正式)。ご本尊は薬師如来坐像、ほかにも国の重文がある。本堂、七重の塔(現三重)ともに戦火に焼かれている。 境内の大イチョウは見事だ。

左甚五郎の碑がある。

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犬山城主の講演

 犬山城、ご存じのとおり、日本で最古の城で国宝だ。別名「白帝城」とも呼ばれている。個人所有の城としても有名であったが、平成16年以来「財団法人白帝文庫」として「天守閣と所蔵するすべての資料」が管理運営されている。第13代城主で財団法人白帝文庫初代理事長でもある成瀬淳子氏の講演「犬山城と共に生きる」を聞く機会に恵まれた。12代城主の成瀬正俊氏から城を引き継ぐまでのお話、そして天守閣をはじめ、所有するすべての文物を守っていくために「財団法人白帝文庫」設立に至るまで多くの困難。それを克服するまでの過程を話された。そして現在の運営と状況、日本の国宝建造物のおかれた現状、今後の問題などに至るまでのお話であり、会場は満席であったが皆さん、真剣にうなづいたり、メモをとったりしていた。犬山城はいまも生きているということで、城の機嫌を損ねたなら、なる事もならないのだという部分の話には感動。尾張徳川家の筆頭家老として連綿と続いてきた成瀬家、そして犬山城。ちなみに城主は40代半ばの女性である。

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秋の木曽路

  久しぶりに木曽路を訪ねた。毎年、家内の姉夫婦2組と一泊で温泉に出かけているのだけれど、私たちが一番若いことから、年毎に目的地を選ぶのに制約が多くなる。遠くはだめ、歩くのはだめ、階段はだめ、それでも温泉は源泉で。となると殆ど「ない」状況。そんな訳で今回は昼神温泉にした。私たちだけは朝から出かけて、馬籠、妻籠をめぐることに。秋晴れの下、歩いていてもほんとに気持ちよい日和だった。シルバーウイークも終わって、ホテルも紅葉シーズンまでは間があることから、空いていて格安料金で泊まれたのはありがたい。

島崎藤村の作品に出てくる。 

 「火乃要鎮」とある。江戸時代3回の火災に見舞われた。坂の宿場であることから水の便がよくない。備えはしっかりと。

 

妻籠の通り

妻籠、歴史を誇る寺の山門まえに掲示されていた。

 

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松下村塾を訪ねた

 松下村塾(山口県萩市)を訪ねることができた。吉田松陰が叔父玉木分之進の後を受け継いで(安政3年)から主宰した私塾。あまりにも有名な史跡ではあるが、今まで訪ねる機会がなかった

  松陰が門下生に講義をしていた建物、現代の感覚で考えると中は極めて狭い。

ガイドの人が指差している場所が実際に講義に使われた部屋。手前は住居。

松陰の薫陶を受けた人たち(門下生)、いずれも歴史にその名を残している。

肖像である。門下生の一人が描いたものという。

実際にすんでいたところ。この奥に講義をしていた場所がある。

「親思う心にまさる親こころ今日のおとずれ何と聞くらん」吉田松陰 辞世の句

 松陰神社 松下村塾の側にある。明治40年創立

 吉田松陰 通称寅次郎 江戸に出て佐久間象山に洋学を学ぶ。安政1年米艦渡来の折、下田で密航を企て投獄、のちに萩の松下村塾で幕末、明治期の指導者を教育。安政の大獄に連座、江戸で刑死。30歳 

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源氏物語千年紀「源氏夢回廊」石山寺

 雨の日が続いた8月末、晴れ間を選んで石山寺を訪れた。“月のいとはなやかにさし出でたるに「今宵は十五夜なりけり」と思し出でて・・・”お仕えしていた中宮から、新しい物語の執筆を依頼された紫式部は、いい作品がかけますようにと石山寺に参籠した。あまりにも有名な石山寺、「源氏物語」関連の展示、「源氏夢回廊」が開催中(12月14日まで)紫式部と源氏物語一色の趣でもあった。

東大門(重文) 

夢回廊への道

ふだんは未公開の部屋と前庭(枯れ山水)

 

 

多宝塔(国宝)

経蔵

格式を誇る塀

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京都御所見学と大原三千院

「京都御所」見学と「大原三千院」を訪ねるバスツアーに参加した。御所見学は初めてである。予想してはいたが、すごい人出であった。すばらしい建造物群に圧倒され、日本の皇室の持つ歴史的な意味、価値といったものについて改めて思いをめぐらした。 一方、大原三千院は11月とはいえ紅葉にはまだかなりの期間がありそうで、もみじの葉は緑濃いイメージだった。残念!一昨年の秋、大原三千院の様子はここ http://blog.goo.ne.jp/f4tanabegoo555/e/7593e97a8c2be5c6fed59328cc7128f6

三千院「往生極楽院」は寛和2年(986年)の建立とされる

 阿弥陀三尊像(国宝)をを収める工夫として天井を船底型に折り上げてあります。ススなどで肉眼ではわからないが、その天井には極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が極彩彩色で描かれています。昨年オープンの文化財収蔵施設「円融蔵」の展示室に復元模写されて創建当時の極楽浄土の面影を知ることができる。

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「永平寺」と「みらくる亭」

承陽殿(じょうようでん)と仏殿(ぶつでん)

磨きぬかれた長い階段

森に囲まれた甍など 

 山門の内側。修行僧が入門を許されたときと修行を無事終えて退出するとき以外は山門を潜ることは許されない。一般の人も山門の前には行けない。

 久しぶりに永平寺に参拝した。25年ぶりぐらいか。以前2回訪れた記憶があるが、いずれも職場からの慰安旅行などの途中、立ち寄ったもので時間の制約もあり、ゆっくり見学という訳にはいかなかった。最近になって家内が永平寺には行ったことがないので一度行きたいと言い出した。それではと実行の運びとなる。永平寺の場合、他の仏閣などと異なり、見所は「修行」そのものであると言われる。760年前の道元禅師によって開かれて以来、座禅修行の道場としての歴史があり、日常の起居振舞いから、食事、入浴、また、トイレに至るまで、すべてが「修行」である。200人程の若い修行僧たちがそれぞれの決められた役割に従い、全力で立ち向かっているという雰囲気が伝わってくる。長い廊下、階段など、磨きぬかれた年月の証が見られるが、私たち訪れるものが、そこからなにかを感じればよいのだと思う。頭の剃り跡が青く、美しい。毎朝3時半の起床だ。タップリ時間をかけて見学の許されているところはすべて回った。私の実家が曹洞宗なので最後に瓦1枚を志納してきた。

 さて、「永平寺」参拝のあと、宿泊であるが、出かける前に予約してあった福井市美山森林温泉「みらくる亭」である。周囲が手入れの行き届いた杉木立の中に、静かにたたずむ風情の天然かけ流しの温泉宿だ。ウイークデーのことでもあり、宿泊は3組だけ、「すべてが満ちる静寂」がぴったりの感じ。公共の宿とあって、昼間は近隣の人たちが温泉浴と食事を楽しみに大勢訪れるようだが、夜は至って静かな風情。温泉は飲めるとあって私も飲んでみたが、味は「無味、無臭」成分表によればナトリウム、カルシュウム分が多いようだ。杉木立の傾斜地に長い階段を中心にして、その途中の踊り場から廊下伝いに(交互に)2部屋ずつ配置されている。階段は75段あり、その一番上が展望浴場だ。階段は木の感触がとてもよい。温泉がよい。料理がよい。部屋もよい。よい宿にとても満足だった。廊下、階段には訪れた人たちによる俳句、短歌が随所に。私も触発されて一句「しずけさの湯の香なつかし杉木立」道中、油坂峠、九頭竜ダム沿いの新緑がとても美しく、「かどはらスキー場 (荒島岳のふもと)」で山菜の蕗をたくさん採ってきて早速「きゃらふき」を作った。

外観は全体に黒っぽくまとめてある。ロビーには滝が目の前に。

館内の階段(75段)など。上りきったところが展望風呂。

展望風呂の前、雰囲気もよい。脱衣所はこの階段の下にあるが、とても清潔だ。

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高澤観音

 岐阜県最古の寺と聞いて「高澤観音」に行ってみた。大日山日龍峯寺(にちりゅうぶじ)岐阜県関市下之保。本尊 千手観世音菩薩 国指定 重要文化財指定の多宝塔がある。

長い階段の下にある仁王門、一対の仁王像の傷みが気になる。

階段を登ったところ、観音堂を見上げる位置にある千本ヒノキ。一本の幹から竹箒のように枝分かれしている。極めて珍しいものと思う。下は駐車場付近にあるもの。同様のものが近くにもう一本あった。

 

急傾斜の岩の上に建立されている観音堂(本堂) は京都の清水寺に似ていることから、「美濃清水」としても知られている。 

鎌倉時代、時の尼将軍・北条政子によって建立されたという多宝塔。国の重要文化財に指定されている。

美濃西国三十三ヶ所二十五番札所の観音霊場とあり、とにかく古い歴史のある寺である。また、両面宿薙伝説が残る寺でもある。本堂裏の岩の中から湧き出ている霊水は昔から万病に効くとされ、いまも大切に汲んでいく人が多いことが感じられた。

高澤観音からの帰り、歩いていたら集落近くになってサルの群れに出会う。いっせいに藪の中に逃げ込む様子だったが、リーダーと見られる大きなオスが道脇の藪からこちらを盛んに威嚇している。私が一歩前に出ると相手は数歩出て、歯をむき出して脅す。付近の山が荒れたまま手入れもされていないことから、サルと人との接点でトラブルが絶えないんだと思った。集落の住宅近くにサル捕獲用と見られるオリが3ヶ所に設置されていた。いまは放置されているが、時期によっては利用されるのかと思った。

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