人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

突然酷暑に

2019-07-31 | 酷暑

 突然にといってもよいほどに、酷暑が訪れた。
自分が老人である故に、夏は暑いのが当たり前、でも徐々に雷雨を繰り返したり、「ピカ」と光って「ゴロゴロ」雷が鳴って、それも暑くても真夏の暑さの前触れとして捉え、それなりに楽しんだように記憶にある。
 終戦後のこと故、何もないのが当たり前の時代だ。
何が無くても無くても夏休み、大急ぎで雑炊鍋をかき回して食べたもの。囲炉裏のうえの火棚から「身欠きニシン」を一本引き出し、齧りながら川まで駆けていったものだ。
 海水着などないのは当たり前、ごろ石だらけの道を裸足でかけ続けて川まで、駆け続けたものだ。
 小さな川だ。砂防用の堰堤の下の深みで少しの間、泳ぐ。といっても誰も正しい泳ぎ方は知らない。手足をばたつかせ、浮いたり、沈んだり、繰り返したりであっても、水は冷たくて楽しかった。もちろん、水泳用パンツなどあること自体知らなかった。





 


終日風雨だ 、台風6号 

2019-07-27 | 台風

 早朝からの、雨だ。しかも降りっぱなしで小雨にならない。このまま長時間降り続けば、川の増水や場所によっては被害の出るところもあるだろう。
 この地方では長良川の鵜飼いや各地の花火大会やお祭り、等々は朝のうちに延期や、今日は中止を発表。準備万端整えて待ち構えていた人達には大いに迷惑ということであろう。
 迷惑なことだが日延べしての再挑戦ということになる。
 この地方の「長良川の鵜飼いや、花火大会」等々。朝早くに中止が発表された。
近年、こと天候に関しては数日後については全く予測がつかないことが当たり前のようなってきているようだ。
 自分(うぬまじいちゃん)はこんな日は気分がすぐれないが致し方なし。


贅沢? 蝉が喧しい

2019-07-26 | 梅雨

 早朝から蝉の声、喧しい程だ。贅沢なことです。
近くの公園や、自宅でも抜け殻が目立つまではもうすぐだ。
風流と捉えるべきところを、その日そのときの気分で心が穏やかであったり、そうでなかったりと、自己中心的にしか生きられない私です。
 さて、梅雨も終わったようだし、しばらくは暑い夏。
出来る事なら、老人らしく夏を捉え、いかに楽しむか?。呆けた頭で考えよう。




この地方では日中猛暑だ

2019-07-17 | 梅雨

 午前中は9時過ぎ位まで湿度が高く、ムシムシで気になったが午後は一気に夏の盛りといったイメージで、最高気温も急上昇だろうと思える。
 いよいよ本格的な夏?。
2~3日前から公園あたりで、蝉の鳴き声が聞こえている。子供の頃を思い出す。
 夏休みになれば、昼飯(雑炊の残りだったり、雑穀米に山菜を放り込んだ鉄鍋から、木製の「オタマ」で茶碗に掬って喰ったのか、啜ったのか判別できないような状態で自分で作った藁草履をはいて、ごろ石だらけの道をパンツ一枚身に付けて慣れ親しんだ川まで走って行ったものだ。 
 20~30分程度でいつもの川に付く。しばらくの間は堰堤の下とか、ちょっとした深い
流れの蛇行したようなところで、泳ぐ。今の子どものように学校にプールなどあるわけはない。敗戦後まもなくの頃だ。
 子供の適応能力は素晴らしく、川遊びをしながら、自分で「犬かき」のような泳ぎはおぼえる。すぐに飽きてしまうと、次は「カジカとり」だ。大小さまざまな石ころが混在した流れの中で、石の下に潜っている「カジカ」を手掴みする。川の周囲に立っている川柳の小枝に素手で捕まえた「カジカ」を刺して、その小枝を口に咥えて更に別の流れ、石の下を手で探る。
 数十年前のニュースかどこかでかで見た記憶があるが、京都の高級料亭で「カジカ」2匹を焼いたものが皿に並べて5.000円か10.000円だと説明があったのを思いだす。
 現在では多分、何処の川にもいないと思うが、絶滅したのだろうか。
自分が子供の頃に遊んだ川は、いまもあるが、「カジカ」はいない。


曇ってるが雨は降らない

2019-07-14 | 梅雨

 朝よりは現在(10:50)の方は天気も良さそう。(この地方では)だが、この先はどうなるか、わからない。昨夜ははっきりしないが、寝てても一晩中降り続けたように感じた。
 午前、外に出て見たら舗装してない部分は「グチャグチャ」になってる。
 梅雨の最中なんだからしょうがない。現在11時、薄日が差してるようだ。
梅雨の終盤にかけて大雨が急激、且つ長時間に降らないことを思うだけ。
 この時期は近くの蓮池の「ハス」、花が真っ盛りで見ごろだ。「ハスの花は泥の中から芽を出し、葉を広げ、あのようなきれいな花を咲かせるのか不思議にも思う。
 泥の中、結構深くに根である「蓮根」がいくつもの節を連ねて長くのびている。
 雨の跡には大きな葉の中に大きな水玉が乗っていて、緩い風が風が吹くとその水たまは揺れて、葉の上でころころと転がる様子は見ごたえがある。ハスの花


 





今日は朝から雨だ

2019-07-11 | 梅雨

 梅雨どきであるのにここのところ、「雨も降らずにまあまあの天候が幾日か続いてるな」と思ってたが、今日は早朝から雨だ。
 この時期に降る雨は限度を越さずに推移すれば、大方の日本民族にしてみれば、必要、且つ当たり前のこととしてとらえられている。
 古い時代から、農耕民族として栄えてきた歴史から見ても当然のこと。
 近年はかなり事情が変化して、世間の大方の人たちにしてみれば、必ずしも肯定できない状態になってきている。
 都会(または町)の人口がより便利になり、農山村のそれはいささか状態が異なる。
 誰でも便利さを求めるのは当然であろう。
予報によれば、今日の雨は、数日続く模様だ。
 自分は雨に逆らってまで、「土いじり」まではやりたくない。じっと我慢の日が続くのか?。


畏敬の心を持つことが大切

2019-07-09 | 梅雨

 数日前のテレビで「森と地域社会」のテーマでシンポジュウムで行われているのをのを見つけた。
概略は「便利さを追求するだけでは、これからの社会は成り立たない」。つまり文化発展、進展追及だけでは
駄目だ。それでは人類の破滅に短期間のうちに行きつくだろう。
 植林だけをしても、「正しく育林」をしなくては日本民族にとりためにならない。
 つまり、毎年どこかの地方で「全国植樹祭」という行事が実施されている。
 これには両陛下がご出席になられて、多数の参加者(出席者)もいて、盛大だ。でも、その時に両陛下お手植えの苗木は後日、少しだけ、その位置を移動することもあるのだ。この場合は「正しく育林」するための第一歩と言えると思える。
 つまり、植樹祭でそのことの意義と、ある意味でその場の主役とも言える参加する小学生(低学年)にその
意味を理解してもらうことがとても大切であるということなんだと思う。
 参加した小学生の多くも後年、その場所に来る機会もあるだろうし、そのころになれば、「全国植樹祭」の
大切さをよく理解できる筈だ。
 大切な植樹だから、多くの場所で多くの苗木を植える。年数を経て苗木の間隔が狭くなる。それを一定の間隔にまで間引く。その後、更に年数を経てある程度成長した幼木を間引く。それを繰り返して広い急斜面の中で、しっかりと根を張ってぐんぐん成長していく。そうなれば管理者はいわゆる森造りの段階に入ることになるであろう。
 息の長いしごとである。



山の緑は目に沁みる

2019-07-06 | 梅雨

 梅雨とは言ってもこの時期、山の緑は眼に沁みる。
どこまで行っても新緑がいっぱい。
 そして里山なれば、どこまでも綺麗なせせらぎが続く。
途中で滝があれば(普通はある)更によし。
 何といっても、人は「水の流れと緑の風」があれば幸せを感じる。
そして心が癒される。このことことは昔も今も同じだ。

           
 

           伊吹山で ↑     



           トリカブト 

 


雨が降り続いた。この先もか?

2019-07-04 | 梅雨

  昨日の雨、今朝まで降り続いてる。それなりの雨量だ。たっぷりのお湿りはいいのだが、九州などでは既に大きな被害がでている。
つまり、適度のところでと誰でもが思うところだが、大自然は人とは違う尺度で動いている。
 近年の季節の変化は数10年前のそれとは異なるように思われる。
 南極の氷はどんなものか。数年前にテレビを見てたら南極付近の大きな氷山が、海に崩れ落ちる様子が紹介されていたが、いまは地球も少しずつ温暖化されているんだと思った。
 夏の午後、遠くで雷鳴が聞こえ、「ピカツ」と光ると夕立がくることが、規定事実として捉え、その前に、雨に濡らしては困るものがあれば、まず始末したものだが、現代の夕立はそのパターンはいろいろに分かれているように思える。



               白神山地のブナ林