人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

久しぶりの雷雨

2019-09-04 | 

 随分長い間、暑い過ごしづらい日々が続きました。
蒸し暑くて息苦しいようなイメージの夏の日々だった。
 特に老人にとり、厳しい夏だったんではないか?。
わが身を思ってみても、心底おもった夏でした。湿度も高いように感じた。
 このような暑く息苦しいまでの日々が続いたのは82年、生きてきた自分の実感から見ても、過去には無かったんでは?。
 1時間ほど前、急にゴロゴロ、ピカリとカミナリがなり、子供のころから慣れ親しんだ「夏の終わりのカミナリ」に懐かしさを覚えた。これで本来の陽気に戻ることが出来るんではないか。薄いシャツとズボンで外に飛び出て、子供のときのように、びしょ濡れになったら、さぞ、気持ちが良かろうなどとまで思った。誰にでもある郷愁というやつだ。
 これを契機に本来の夏、そして秋らしい秋がやってきて欲しい。
 ここまで来たからには本格的な証拠として、高い電柱のテッペンに乗った百舌鳥がこの秋の第一声「キキー、キキキーツ」を聞くのが待ち遠しい。そしてカエルなどをどこか目立つ細い棒などに突き刺して見せる風景。
 「うぬまじいちゃん」としてはささやかだが強く望んでいるのだ。
 そして、毎日の早朝、八木山からキジバトの啼き声も無くなるのだ。これらが「うぬまじいちゃんの」頭と心に定着した年間の行事だ。
 


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