人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

秋の深まり

2018-11-08 | 

 しばらくこのブログ、お休みしてた。理由はただ何となくだ。
さて、秋も深まってきたし、周囲の様相もそれなりに、季節相応に見えてきた。
 温泉に出かけて、そこから、少し足をのばして、以前からなんとなく「一度行ってみたいな」と思っていたところがあたので、少しだけ足を延ばして、行ってきた。元気なころの海外旅行は、ともかく、現在の自分たち夫婦の年齢、立場その他からしても、小旅行ひとつを考えてみても、今日思いついたから、さっそく明日、出かけようとは思えなくなっている。
 結局のところ、自宅でのんびりして、退屈したら天候にもよるが、外での庭いじり、等が多くなる。テレビもいいが、近年、若い人向けの番組ばかり多いように感じられるのだ。
 自分の育った環境(戦後)と現在とがあまりにも違いが大きすぎて自分の身体を適応させていくのにそれなりの思いがあったり、テレビではニュースを見て、時代の変遷(隔たり)を強く意識しながら、現代社会というものを体に覚えさせねばならない。
 さて、秋の深まりとともに「この冬は雪の具合はどんなものかな」と例年どうりのことを思う。豪雪地帯の生まれ、育ち故に、このことに付いては毎年必ず強く思うところだ。
 近年、実家のある地方でも敗戦後から10数年に至るころのようには、大雪には見舞われないようだ。
 自分で藁靴を作って、カンジキを履いて夜間に雪が積もれば、必ず早朝、カンジキを履き雪を踏み固めて道路を確保しなければならなかった。着るものもまともなものがなかった。
 そんな時代の中、戦死した人も多かったし、無事生きて帰ってきた人た人にしても、「ただ大変!」な時代だった。
 時代が流れ、今また、地球上はどことなく、「きな臭い雰囲気が漂ってきているな」と自分は感じている。これは長い人類の歴史の流れの中で俯瞰してみれば、当然だし、どうすることもならないことと思う。
 地球上にどれだけの生物がいるかは不明であるが、人類だけの地球ではないのだからこの先の100年、500年、もっと先の時代のことに付いては、だれにもわからない。
 宇宙のどこかから観察すれば、地球上の1・000年~5・000年~10・000年後がどうなってるのか、気持ちの上では興味が湧く。


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