いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

Capitalism and Freedom

2012年04月06日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 電車の中ではちょっと読みにくいですが、経済学の古典として有名な"Capitalism and Freedom"に挑戦することにしました。アメリカで共和党の大統領候補選を戦っているRon Paulさんは、小さな政府を目指すリバタリアニズムの提唱者として名高く、多数派ではありませんが現状の政治に不満を持つ層から根強い支持を受けています。その理論的な先駆になったのがこのMilton Freedmanと聞いています。

 初版が出たのは1962年ですからもう半世紀前。その基本理念が今でも通用するどころか、今こそ求められているのですから、その先進性には驚愕します。民間ができることを国家がやっても、高くて悪いものができるだけ。国家の役割は自由を守るだけであり、必要以上の国家への権力集中は民間の自由な競争への介入に繋がり望ましくない。町でできることを州がやらない。州ができることを国がやらない。実に明快です。

 アメリカでもリバタリアニズムの思想は、「強いアメリカ」「国民を守る政府」という家父長主義的な先入観に押されて、必ずしも主流にはなっていませんが、自民党から民主党に受け継がれて拡大したバラマキ型支出が目を覆うばかりになり、肥大した政府機構が行き詰まった日本でこそ、Freedmanの思想が検討されるべきである、というリバタリアンの主張には説得力があると思います。専門外の本なので正しく理解できているのか少々不安ですが、興味深く読み進められそうです。








Capitalism and Freedom
Univ of Chicago Pr (Tx)


資本主義と自由 (日経BPクラシックス)
ミルトン・フリードマン
日経BP社


もし小泉進次郎がフリードマンの『資本主義と自由』を読んだら
日経BP社

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Q-Cells 破綻に思う家庭のソーラー発電

2012年04月05日 | たまには意見表明
 2001年からソーラーパネルの商業生産を開始した新興企業ながら、ヨーロッパの自然エネルギー優遇制度の波に乗って急成長を遂げ、一時は世界最大のソーラーパネルメーカーでもあったドイツのQ-Cellsが早くも破綻と報じられています。最近ではアメリカのSolyndraやEvergreenといった上場ベンチャーも破綻しており、日本ではソーラーパネルの代名詞だったシャープが業績不振により台湾企業の資本参加を受け入れています。

 これらのメーカーを押しのけてソーラー発電市場を制覇したのはサンテックやインリー・グリーンエナジーなどの中国企業。圧倒的な低価格によりソーラー需要に食い込み、最近では「自然エネルギー振興策は中国企業を潤すためのもの」という批判さえ起きています。

 この10年、ドイツは巨額のソーラー発電投資により、以前はソーラー発電の電力量が世界一だった日本を大きく抜いて一位になっています。この原動力となったのが「再生可能エネルギー法」によるソーラー発電電力の買取制度です。ソーラーで発電した電力なら、電力会社は政府の決めた値段で買い取らねばならないため、電力会社の大きな負担になり、電気料金も他国に比べて高いそうです。

 ドイツに追従してソーラー発電への支出を大幅に増やしていたイタリアやスペインでは、「中国からパネルを買ってメガソーラーを設置さえすれば、それだけで20年間利益が出る」おいしい商売と化した売電事業が盛んになり、高価で質の悪い電力の買取量が加速度的に増えたことによる国や電力会社の負担が大きくなり、これが経済破綻の一因とされました。さすがにドイツ政府も極端なソーラー発電振興策を撤回せざるを得なくなり、今月から稼動するソーラー発電装置では、電力の買い取り価格が今までより大幅に切り下げられます。

 こうした動きが、日本に波及しないはずはないでしょう。現状でソーラー発電の発電コストは「エネルギー白書2010」の図第122-3-2によれば、火力、水力、原子力と比較して大幅に高く、メガソーラーが商売になるほど買取価格を高く設定してしまえば、電力会社と消費者の負担が年々大きくなるのは自明だからです。そうなると、20年で元が取れることを当て込んで住宅にソーラーパネルを設置しても、赤字になる可能性を考えないといけません。

 それでは、設置費用についてはどうでしょう?今の状況では、設置に対する補助が昔のように手厚くなることは期待できません。設置費用の値下がりについては?これも望み薄だと思います。パネルについては中国企業主導でかなりの低水準まで価格が下落しており、これからは総設置費用を決めるのが製品価格と言うよりも、現場における工事費だからです。パネルがどんなに安くなったところで、屋根に設置するためには足場を組み、職人が屋根に上って作業するため、あまりコストダウンの余地がありません。

 こう考えると、住宅のソーラーパネル設置で損をしない条件というのは、かなり限られた場合のようです。まず新築時か屋根の吹き替え時に同時作業してもらって、工事費を低減すること。それから遅くなればなるほど売電価格は下がる傾向にあるということ。

 極楽家については、例えば300万円の投資でソーラーパネルを設置して20年間で回収するよりは、その300万円で断熱改修として窓の二重化や付加断熱を工事してもらえば同等の費用回収ができるはずですし、何より確実に住み心地が良くなるだけに得な気がします。今の状況では、屋根の改修時にソーラーパネルを設置する案は没ですね。
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大岡越前

2012年04月04日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 写真がボケちゃいましたね。名奉行として知られる大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみ・ただすけ)の半生記です。在任時代より理想の政治家として庶民的な人気があり、そのため「大岡政談」として数多くの創作がなされたため、有名な割に実像はよくわかっていない人物です。

 この吉川英治「大岡越前」では若い頃の忠相を意志の弱い不良青年として描き、女性関係の失敗で大きな原罪を背負った人物と設定しました。普通なら、堕ちるところまで堕ちた忠相が武士として再生し、それどころか八代将軍吉宗の目に留まって大出世をするなんてことは考えられません。時代は前例にやかましい江戸時代なのですから。この辺の設定は普通に考えれば無理筋もいいところです。

 更に強引なのはラストの吉宗との対決です。犯罪者を生んだ、いや無辜の民を犯罪者に追い遣ったのは五代将軍綱吉時代の悪政であり、それは紛れもなく将軍家の罪である、と吉宗に諫言します。民主化以前の社会では、古代中国の書に「刑不上大夫」(刑は大夫に上らず)とあるように権力者が法律に超越しているのが当然で、一度定められれば時の将軍とて法に従わねばならない、町奉行は法の執行者である、という吉川さんの論理は江戸時代には通用しなかったはずですね。

 このような「大岡政談」としても仰天のストーリーになった背景は、この本が終戦後の1950年に出版されていることから明らかです。以前「梅里先生行状記」を読んだ時に感じたように、国民作家と言われた吉川さんは、時代小説の第一人者でありながら世相を敏感に反映する人でした。戦時中など、そうでなければ身の安全が保障されないのですからこれは仕方がないでしょう。

 この「大岡越前」の強引なストーリーも、その下に流れているものは戦後の民主化と、復興に向けての興奮です。人間はどこまで堕ちようが必ず這い上がることができる。みんなで決めた法律はどんな権力者にも優越する。そんな新しい時代の息吹を、吉川さんは昔からの大岡政談に込めたのでしょう。今にしてみれば少々はしゃぎ過ぎにも見えますが、当時の読者が溜飲を下げたであろう事は想像に難くありません。
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カブトムシを飼おう

2012年04月03日 | 極楽日記

 極楽息子(大)が前から欲しがっていたヘラクレスオオカブトの幼虫を入手しました。大きくなる血統なので、間違いなく飼えば巨大な成虫が現れるはずなのですが、さてどうなるでしょう。幼虫も国産カブトムシに比べればずっと大きいのでしょうが、潜っているのでほとんど見えません。これを観察日記にして夏休みの宿題にするらしいので、趣味と実益を兼ねています。

 こっちは極楽息子(小)の国産カブトムシです。子供はあれこれいじりたがるのですが、成虫になるまではそっとしてあげましょう。
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陽だまりの樹

2012年04月02日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 「陽だまりの樹」を極楽息子(大)と楽しんでいます。漫画は漫画ですが、間違いなく大人の鑑賞に堪えるもので、息子にもありきたりな小説を読ませるよりずっといいと思います。

 読み切り、毎回解決型の展開が多い手塚作品では異例な長編であり、朽ちるに任された「陽だまりの樹」である徳川幕府の最後の支えとして激動の時代を駆け抜け、役目を終えて去って行った武士と医師を主人公に擁し、そして時代の波に飲み込まれた人、あるいは乗り越えた人たちを劇的に描いています。

 主人公の手塚良庵(後に良仙を継ぐ)や緒方洪庵、山岡鉄舟、西郷隆盛といった実在の人物に加えて、伊武谷万二郎などの想像上の人物が大きな役割を果たしていますが、これは例えば吉川英治さんが言われるところの、「小説家としてのアプローチにより、単なる歴史学以上の真実に迫る」手法と同様のものと思われ、資料として残っていないだけで万二郎のような幕臣は間違いなくいたものと信じさせるだけのリアリティがあります。

 もちろん漫画として読んで面白いことが前提ですから、海音寺潮五郎さんのような厳密な事実描写ではありえませんが、歴史小説の王道に沿った創作であり、手塚治虫さん自身のルーツを解き明かす意欲も感じられて、興味深く読ませて頂きました。
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