いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

大岡越前

2012年04月04日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 写真がボケちゃいましたね。名奉行として知られる大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみ・ただすけ)の半生記です。在任時代より理想の政治家として庶民的な人気があり、そのため「大岡政談」として数多くの創作がなされたため、有名な割に実像はよくわかっていない人物です。

 この吉川英治「大岡越前」では若い頃の忠相を意志の弱い不良青年として描き、女性関係の失敗で大きな原罪を背負った人物と設定しました。普通なら、堕ちるところまで堕ちた忠相が武士として再生し、それどころか八代将軍吉宗の目に留まって大出世をするなんてことは考えられません。時代は前例にやかましい江戸時代なのですから。この辺の設定は普通に考えれば無理筋もいいところです。

 更に強引なのはラストの吉宗との対決です。犯罪者を生んだ、いや無辜の民を犯罪者に追い遣ったのは五代将軍綱吉時代の悪政であり、それは紛れもなく将軍家の罪である、と吉宗に諫言します。民主化以前の社会では、古代中国の書に「刑不上大夫」(刑は大夫に上らず)とあるように権力者が法律に超越しているのが当然で、一度定められれば時の将軍とて法に従わねばならない、町奉行は法の執行者である、という吉川さんの論理は江戸時代には通用しなかったはずですね。

 このような「大岡政談」としても仰天のストーリーになった背景は、この本が終戦後の1950年に出版されていることから明らかです。以前「梅里先生行状記」を読んだ時に感じたように、国民作家と言われた吉川さんは、時代小説の第一人者でありながら世相を敏感に反映する人でした。戦時中など、そうでなければ身の安全が保障されないのですからこれは仕方がないでしょう。

 この「大岡越前」の強引なストーリーも、その下に流れているものは戦後の民主化と、復興に向けての興奮です。人間はどこまで堕ちようが必ず這い上がることができる。みんなで決めた法律はどんな権力者にも優越する。そんな新しい時代の息吹を、吉川さんは昔からの大岡政談に込めたのでしょう。今にしてみれば少々はしゃぎ過ぎにも見えますが、当時の読者が溜飲を下げたであろう事は想像に難くありません。
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