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いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

残業代ゼロ法案を葬る

2007年01月17日 | たまには意見表明
 政府がついに「ホワイトカラー・エグゼンプション」法案の提出を見送りました。国民に理解が得られておらず時期尚早ということですが当然です。

 かねてより自民党の支持基盤である経団連などの経営者団体は賃金の大幅抑制を狙っており、先代の奥田会長は外国人単純労働者の雇用拡大にご執心でしたし、御手洗会長は日本人労働者の賃下げを目的として、この法案を支持してきたものと思われます。しかし一般国民からは「残業代ゼロ法案」と解釈されて反発が強く、身内の経営者からも反対意見が出るに至って、少なくとも今回は見送りとなったようです。

 元々、1986年に制定された派遣業法も、経営側の強い要望で成立したものです。「アウトソーシング」などと名前はスマートですが、企業としては生産調整を労働者にしわ寄せしやすい制度であり、労働者は不安定な雇用にさらされるものです。しかもこの制度を悪用して、派遣労働者を「生産請負」という名目で低賃金の下に雇用し続けたのが御手洗さん率いるキャノンだったのですから、彼が一般労働者の立場など理解していないのは明らかです。

 参院選で自民党が大勝すればまた課題になると見られる「ホワイトカラー・エグゼンプション」法ですが、もし制定されればどのような影響があるでしょうか?

 同制度の導入理由としては、労働時間の枠を撤廃することで「多様な働き方が実現できる」とされています。この「多様」が曲者ですね。経営者から見れば、今より低賃金で長時間労働させることができる、という理由で法律改正を急ぐのでしょうから。

 「連合」などの労働団体はなべて同法案に反対しており、「多様」という一語が労働者のための「多様」ではなく、専ら経営者のための「多様」であることを意味しています。労働者が苦しむだけの「残業代ゼロ法案」であるという指摘は当たっています。

 確かに、キャノンのように技術開発が中心の企業では、この制度の恩恵を受けるエンジニアもいると思います。技術開発は「1日8時間」とか「1時間いくら」という時間単位での管理にそぐわない印象があるからです。個人の能力差も大きいでしょう。例えばソフトウェア開発では、クビにならない程度のプログラマと優秀なプログラマの間で数十倍以上の能力差があるとか聞いたことがあります。基礎研究などではもっと差が大きいでしょう。ただしこれを評価するのは至難だと思います。

 経営者の方で引き止めたいほどのトップクラスの社員の場合、法律がどうなろうと待遇が悪くなることは考えられません。キャノンのトップエンジニアなら、世界中どこのハイテク企業でも欲しがりますから、さすがの御手洗さんも賃金を下げようなどとは思わないでしょう。労働者から見れば、このようなトップクラスの社員が法案の対象となるべきですが、そのような少数の社員のためにわざわざ法律を改正するのではないでしょう。

 問題は同法案が、トップクラスでない圧倒的多数の労働者まで対象にしていることです。同法の対象となるのは、「管理職の少し手前」と言われており、具体的には年収や部下の有無などで線引きをすることになりそうです。しかし、経団連の案では「年収400万円以上」となっており、新入社員以外はほとんどの正社員が含まれる数字です。また部下についても、パートを部下と見なすのかどうかが議論されています。

 労働者にも納得できる線引きができないまま法案が成立してしまうと、「年収400万円でパート5人を管理するファミレスの店長」「年収400万円で学生アルバイトを採用する権限のある売り場主任」などが対象に含まれてしまい、決して高収入と言えない一般の社員が残業代なしの長時間労働を強いられる羽目になります。

 少なくない企業で「サービス残業」や「偽装請負」が指摘され続けているのを見ればわかるように、こうした大多数の労働者は経営者に比べると立場がずっと弱く、同法案の成立により健康面や家庭面の深刻な問題を抱えることになると懸念されます。

 少なくとも経団連の主張通りでは、「多様な働き方を選択できる法律」ならぬ「国民総奴隷労働法」や「過労死推進法」「家庭崩壊法」「育児禁止法」になりかねません。これからも推移を見守りたいと思います。
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アナログ完全停波は不可能

2007年01月04日 | たまには意見表明
 新年おめでとうございます。皆様方におかれましてはより良き1年となりますように。

 さて、宜しければ今日は私の初夢にお付き合い下さい。2011年にテレビのアナログ地上波は停止されて、すべてがデジタルテレビに移行することが国策として決定されており、家電業界も受信機器の買換え需要を掘り起こそうと懸命です。しかし、年末年始のお酒で柔らかくなった頭で考えてみたところ、やっぱり無理だろうと考えるに至りました。


 視聴者にとって、デジタルテレビに移行する利点は何でしょう?画質が良くなるので高品位テレビだとか説明されるのですが、皆さん、本当に画質(だけ)のいいテレビが必要ですか?

 私は現行の地上波放送、特に民放の放送内容の低品位ぶりには参っておりまして、この内容のまま画質だけが劇的に向上したところで、テレビを見る時間が増えるとは思いません。民放のバラエティー番組はどれも企画が似たり寄ったりで、みのもんたが売れればみのもんた、細木数子が売れれば細木数子と、どの局を選ぼうが大差がありません。そんな番組を高画質で見てどうしようと言うんでしょう。みのもんたさんのアップをハイビジョンで見たいという要望は多くないと思います。

 去年は「日本語」に対する関心が集まり、一種のブームとなりました。きれいな日本語、品位のある日本語を見直そうという動きがあったのは結構なことです。それじゃ、日本語をここまで貶めた主役はと言えば、やはり民放じゃないでしょうか?「声に出して読みたい日本語」ならぬ「耳に入れたくない日本語」があるとすれば、民放のバラエティー番組でしょう。藤原先生も養老先生も、「民放の放送内容は品位がないから、一斉に放送免許を取り上げろ」とまで踏み込んでくれたら、私も諸手を挙げて賛成したでしょうに。

 番組内容に対する視聴者の満足度が低いという点ではNHKも批判を免れません。最近では紅白の騒動もありますし、不祥事がらみにせよ不払い運動があったばかりではないですか。安定した視聴率を得てきた連続ドラマが、安直な人材起用で学芸会と化し、大人の鑑賞に堪えないものになってきています。まあ、特集や教養番組などではまだまだ底力を感じますが。でも、視聴者は名画劇場や世界遺産ばかり見ているわけではないので、高画質が有難く感じられるまでには更に努力が必要と思われます。


 デジタルの利点としては、多局化も挙げられていますね。しかし、CATV、衛星放送、パソコンの動画配信などで多局化が進んだ今、これ以上の新しいチャンネルが必要なのかどうかは疑問です。少数の視聴者でも成り立つニッチ向けの放送は、情報発信の敷居が低く、しかも世界がシームレスに繋がっているインターネットの方が適役ではないでしょうか。


 じゃ、今度はデジタル化のデメリットですね。最大のものは、受信機器の買い替えが必要であり、停波まで4年しかないのに、普及率がなかなか上がらないこと。しかも都会より地方、高所得者より低所得者、若年層よりも高齢者層で対応が遅れていることは大きな問題です。

 ラジオについては、災害対応なども考慮した上で、デジタル化が見送られたのは英断と考えます。国民の基本的人権には、低予算でラジオを聴ける権利も含まれているということです。それなら、テレビだって見る権利があるだろうと考えて当然でしょう。今は21世紀なんです。

 人口の高齢化を考えても、基本的なテレビ番組が文化的に生活する上で必要最小限の情報供給源となることは当然です。強引にアナログ放送を打ち切れば、受信機器更新ができなかった老人世帯や聴覚障害者に重大な不便と危険を押し付けることになりかねません。せめてNHK総合だけでもアナログで残すのが配慮というものではないでしょうか。

 これは意見と言うよりも、予想に近いものだと思っています。例えば野党により「総務省は聴覚障害者からテレビを取り上げるのか!」という錦の御旗が振られた場合、政府が非難の矢面に立つことになりかねないからです。これは政府の望むところではないでしょう。アナログを残すことは今までの政策との不一致ではありますが、落としどころとして、「総合テレビだけは国民の基本的情報源として残します」というのは妥当なのではないでしょうか。


 視聴者における受信機器のデジタル対応が今のペースで進むとすれば、2011年の停波時に多くの世帯が未対応のまま積み残されるという試算もあります。しかも、放送局の意向としては、コストの高いアナログ・デジタルの同時放送を早く切り上げて、前倒しでアナログ停波を実施したいぐらいなのです。そうなった時に、テレビを取り上げられた視聴者の意思はどちらに向かうでしょう?

 視聴者は、先日の受信料不払いが政府を動かすだけの力になったことを記憶しているはずです。視聴者が納得しない形でアナログ放送が全面停波になった場合、前回と比較にならない規模の不払いが発生しても不思議ではないでしょう。いや、アナログ全面停波になった場合、そもそも試聴できないのですから「不払い」ではなく解約ですね。何百万人、何千万人規模の解約が発生した場合、総務省やNHKに責任が取れる人はいるのでしょうか?


 ということで、私の初夢は「アナログ完全停波はない。政治決着で少なくともNHKの1波が残される」です。外れても責任は取れませんけどね。もしアナログ放送が1局でも残る場合、視聴者も残るわけですから、広告効果を考えると民放も簡単にデジタル完全移行はできないでしょうね。民放と総務省との駆け引きが見ものです。
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スナップから圧縮効果を考える

2006年12月27日 | たまには意見表明

 名古屋ヒルトン恒例、年末チャリティーの巨大ジオラマです。鉄道模型が中心なのですが、ちゃんと空港もあるし、上空には旅客機や気球も飛んでいます。規模が大きいので小さなデジカメで全貌を捉えるのは残念ながら無理です。

 これもヒルトンの巨大クリスマスツリー。ツリーがちっとも立派に見えませんが、こういう前景と背景の両方を欲張った「バイフォーカル」な写真は難しいのです。スナップ写真においては、オブジェクトは1つに絞りましょう。「あれも入れて、これも入れて」と詰め込むと、どっちつかずの写真になることが多いです。

 機材があるなら、このようなバイフォーカル写真を撮るためには望遠レンズの圧縮効果を利用するべきです。FINEPIXのサイトがわかりやすいので参考にして下さい。ページの一番下にある作画例がまさに圧縮効果です。

 写真じゃありませんが、私はこの「圧縮効果」を最大限に引き出して厚みのある日本画を描いた名手が東山魁夷さんだと思っています。円熟期の東山さんの代表作には、中型あるいは大型カメラと超望遠レンズで風景を切り取る山岳写真家の視点と非常に近いものを感じるのです。「圧縮効果」を勉強するのに東山作品は又とない教材だと考えるのですが、いかがでしょうか。

 そして、デジカメで望遠を使いこなして写真を楽しもうと思ったら、それはもうデジタル一眼レフしかありません。しっかりしたファインダーと素早いズーミングあるいはレンズ交換なしに、画角の変化を享受できるはずがないからです。
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IHはどこまで安全か

2006年11月13日 | たまには意見表明

 IHコンロ(クッキングヒーター)は炎が出ないから安全、と広告されています。「利用者の声」として、「火が出ないから子供に使わせても安心!」とかありますけど、本当でしょうか?こんな小泉内閣の「タウンミーティング」みたいなやらせアンケートじゃなくて、もっとしっかり考えてみましょう。

 医師が救急病院で勤務に入っていたとします。「熱傷(ねっしょう、つまり火傷)患者発生!」の第1報がありました。その時、患者さんが来院するまでに、できるだけ重傷度を見積もりたいと思うのが当然です。

 まずは全身状態です。呼吸、循環、意識はしっかりしているか。全身状態が悪い場合は、熱傷の治療は二の次で、すぐに救命処置を施さないといけません。

 とりあえず全身状態が安定している場合、熱傷の範囲と程度を出来る限り知りたいと思います。一番怖いのは気道熱傷です。熱傷の範囲が大きくなくても、気道すなわち呼吸する通路がダメージを受けていると、気道確保のために緊急対応が必要だからです。

 全身状態が安定しており、気道熱傷がないとします。全身火傷ではなさそう。では次は?医師なら誰でも尋ねることがあります。「何で火傷されましたか?」

 ここで問題です。次のうち熱傷が重度になりやすい順番を答えて下さい。
1:炎の中に手を突っ込んだ
2:熱い鍋に触った
3:熱湯に手を突っ込んだ
4:天ぷら鍋に手を突っ込んだ

 おわかりでしょうか。運動麻痺や感覚障害でもない限り、熱いものに触れたら反射的に手を引っ込めるのが普通です。手が黒焦げになるまで炎に手をかざしている人はいません。それに、「炎は熱い」というのは誰でも知っていますし、目で見えます。

 それから、炎の実態は燃焼しているガスです。ガスや空気が燃焼により数百度に加熱されて、この加熱された空気が対流することで鍋に熱が伝わる。もちろん手を突っ込めば手にも伝わります。しかし手の周囲にある、まだ加熱されていない空気は、熱をあまり伝えません。

 このため、炎の部分は数百度あっても、すぐに手が数百度になるわけではないのです。ごく短時間なら炎に触れても火傷しないことはご存知でしょう。また、300度のオーブンに手を入れても、短時間なら何ともありませんが、100度のお湯なら短時間でも火傷してしまいます。空気の熱が伝わるには時間が掛かるのです。従って、1は軽症で済むケースが多いと思われます。

 これに比べると、2の鍋の方が、一見すると熱さがわからないだけに、うっかり触れてしまう可能性が高くなり危険です。更に危ないのは3,4です。熱湯を浴びた場合、反射的に身を引いたところで、お湯が体や衣類に付いたままなので、火傷の原因からすぐに逃れられません。「カップめんをこぼした」などの原因で負う熱傷は、重くなることが多いのです。

 最悪は4の油です。お湯と違って200度近い高温になりますし、粘性があるので簡単には落とせません。熱い油を浴びた場合、他の原因に比べて重度の熱傷になる危険が高いのです。(加熱したコールタールなどは更に粘性があるのでひどい熱傷になると思われますが、ここは家庭のキッチンで起こりやすい熱傷に限定します。)

 さて、ガスコンロからIHに替えることで防げるのは上記のどれでしょうか?誰でもわかりますね。1だけです。2はいくらか軽減できるかも知れません。IHは鍋だけを加熱し、周りの空気を加熱しません。鍋の側面などはガスの場合より低温になる可能性はあります。しかし十分に加熱した鍋の場合、全体が熱くなるので大きな違いはないでしょう。

 注意して頂きたいのですが、最も危険な3,4はガスだろうがIHだろうが同じ。それにしては、電力会社や家電メーカーは、「炎がないから安全」を言い過ぎているのではないでしょうか。むしろ、炎が見えないので注意が喚起されない恐れもあります。危険なものにお化粧をするだけで、一見すると危険がないように見える、というのはとても危ないことなのです。

 「IHなら子供に使わせても安心」なんてとんでもない!!ガスコンロもIHコンロも大きなエネルギーを使いますから、使い方が不適切なら大変危険なものです。IHの安全性については、どうか冷静に判定されますように。
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「売らないため」の著作権管理なの?

2006年10月13日 | たまには意見表明

 運動会の会場から見えた瀬戸デジタルタワーです。ここから東海地区の地上デジタル放送が送信されています。

 でも極楽家では地上波アナログだけでそんなに困っていませんので、デジタル化のためだけにテレビやレコーダーを買い換えることはしないと思います。デジタル化の恩恵を享受できる大画面テレビは、今秋から各メーカーが積極的にフルハイビジョンを投入して値段もこなれつつありますので、どうしても欲しい人以外は待った方が得でしょう。

 だいたい、高画質のハイビジョンを録画保存するレコーダーの選択肢が十分ではありません。一時的にHDDに録画できる機種は多いですが、ディスクに移すと従来の(SDと言うらしいです)画質に落ちてしまうのがつまらない。ブルーレイとかHD DVDはまだ出たばかりですから高価ですし、規格が安定するまでにまだ時間が必要だと思います。

 何よりデジタル放送に手を出し辛いのは、著作権保護という名目で導入された「コピーワンス」システムのためです。コピーが1回できるのではなくて、撮ったものを複製できないのです。大事な番組のバックアップも取れないし、編集して他のテレビで見るのもダメ。HDDからDVDへのムーブはできるけど、ディスクエラーでもあれば回復不能。今まで常識的に容認されていた「私的複製」がほとんど不可能という強圧的なコピーガードシステムです。

 著作権管理の当事者はどう考えているのかわかりませんが、ユーザーの立場で見ていると、厳格なコピー禁止、ライセンス管理のために却ってコンテンツ販売の機会を逸しているケースが多いように思います。

 極楽親父の世代は家庭用ビデオの黎明期から今までの時代を見てきています。その歴史の中で、日本の映画業界が権利関係を整理できずにビデオソフト販売が遅れ、市場を海外(ほとんどアメリカ)作品に席巻されたことや、「七人の侍」などの邦画DVDがむしろ海外で英語版として先行発売されたことが思い出されます。特に後者は、日本の映像文化の創造者への冒涜でありますし、日本の顧客を馬鹿にしていると言われても返す言葉はないでしょう。

 最近ではCD規格から外れたCCCD(コピーコントロールCD、実際にはコピーできるが正常再生が不安定な欠陥CDだった)で視聴者の非難を浴び、著作権管理の大鉈を振り回している間に音楽のダウンロード販売でアップルに市場を支配されました。いずれも損をしているのは日本の視聴者と、本来の著作権者であるアーティストです。アメリカのような柔軟な著作権管理をしていれば、一般視聴者は映像や音楽文化を享受できたし、アーティストは大いに潤ったはずなのです。

 このような思考が硬直化した著作権管理団体が管理ごっこをしている間に、コンテンツ販売の機会を失ったアーティストは多いはずで、かつての名作と言われる映画や楽曲の製作者が高齢となって亡くなられたケースも多いことを思えば、彼らは取り返しのつかない背信行為を犯したと言っても過言ではないでしょう。

 アーティストの利益を最大化するため、つまり「売るため」の著作権管理が、いつの間にか「売らないため」の著作権管理に変質していたのです。視聴者はこれに怒らないで何に怒るのでしょう。ごく一部の悪質ユーザーによる無断商用コピーを締め出すために、残りの善意のユーザーに作品を提供しない、とはお門違いもいいところです。

 コピーワンスについては、総務省もさすがにこれではデジタル放送に魅力がない、と認めたのか、このがんじがらめのシステムを見直すことを決めたらしいです。法律で定めた期限である2011年7月24日までに大多数の視聴者がデジタル環境に移行しなければ、あからさまな失政となるからです。

 結論として、極楽家の環境ではしばらく様子見ということになります。まずは総務省の出方を見てみないと。また最近の動きとして、アメリカで映画のダウンロード販売が普及し始めたので、コピーワンスに拘る日本の著作権管理団体はまたも時代に取り残されることになるでしょう。彼らには多くの視聴者を犯罪者扱いにした「つけ」を支払ってもらおうじゃありませんか。
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不器用礼賛

2006年04月08日 | たまには意見表明
 あまり気乗りのしなかったピアノの練習ですが、最近は意欲的になってきました。少し弾けるようになってきて、面白さがわかってきたんでしょう。元が乗りやすい性格なので、誉めてやれば難しそうなことにも向かって行きます。

 こんな極楽息子の態度を見ていると、負うた子に教えられ、という古言が思い出されます。新しいことに挑戦するとき、人は不安で、受身で、不恰好です。そこに周囲の冷たい目があったりすると、意欲も削がれてしまうというものでしょう。最初は誰だって不器用。最初からできる人なんていない。できないときに必要なのは、叱ることじゃなくて励ますこと。そんな当たり前のことを息子が教えてくれます。

 ビギナーだから、人生のビギナーだから。20年前にデヴィッド・ボウイが出演したミュージカル、「ビギナーズ」(Absolute Beginners)は映画としての評価が特に高いとは言えませんが、勇気付けられる映画でした。極楽親父にとっては心惹かれる作品です。

 極楽親父も、あれこれ進路が定まらなかった前半生で、多くの人に助けられ、励まされて何とか自分の道を切り開くことができました。先の見えない山やトンネルがいくつもあり、頑張って越えられたものもあれば、出口を見ずに終わったものもありました。若い頃に持っていた恐れ知らずの期待と、実際に成し遂げたことのギャップは、本気で仕事に向き合った人なら誰でも持っていると思います。

 そんな経験がありますから、努力している人が不恰好なのは知っています。逆に言えば、格好をつけている人はたいしたことをしていないということです。歯を食いしばり、顔は紅潮し、粘っこい汗と苦悶の皺が浮かばなければ、今まで挙がらなかったバーベルは挙がるようになりません。

 私は不器用な努力が大好きです。息子が課題曲を持て余してべそをかいていたりすると、それこそ抱き締めてやりたい気分になります。「学問に王道なし」と言います。力や技能を身に着けようと思ったら、楽な道はありません。力を尽くして難所を乗り切る喜び、そしてそれは他人からは不恰好に見えることは、息子にも知っていて欲しいと思います。
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新聞はリストラしないのかい?

2006年03月16日 | たまには意見表明
 最近、新聞自身が当事者となる重要な記事が紙面を飾りました。1つは読売新聞による公務員への取材について取材源秘匿が認められなかった問題、もう1つは公正取引委員会による新聞価格の「特殊指定」の見直し検討です。

 今回の東京地裁の決定は、事実上、公式発表以外に公務員が「情報を漏洩」することはまかりならん、とするものです。これが判例として定着するなら、公式発表以外に公権の行使をチェックする手法はなくなり、独善的な「知らしむべからず」の裁量範囲が次々に広がっていくことになります。

 新聞を通じて行政をチェックするのは国民の権利である、と大上段に構えるまでもなく、この東京地裁決定が悪用されるなら、これを盾にとって、公務員の汚職や公立病院での診療ミスなどの情報が隠蔽されてしまう危険を孕んでいます。当然、東京地裁の判断は誤りであり、新聞は決定に対して反対を貫くべきです。

 ところが、これと時期を同じくして蒸し返された「特殊指定」解除の問題とは何でしょうか。新聞は値引きなしで売ることを認められた特殊商品です。正確には、値引きをする小売店に対して新聞社が圧力を掛け、商品の供給を停止できる例外的な権限を持っています。一般の商品でこんなことをやれば、公正取引委員会により指導を受けるのです。

 新聞社の利益はこの「特殊指定」により手厚く保護されています。大新聞は広告収入だけでも経費をほぼ賄えるなどと言われており、潤沢な利益は都市の一等地に威容を誇る本社ビルや、トップクラスのプロ野球球団およびサッカーチーム経営を見ても明らかです。

 新規参入業者はほとんどなく、購読者数もこの数年は安定しており、昔のような豪華景品によるシェア争いもなく、不況の影響も他の産業に比べれば軽微でした。大新聞のリストラなんて聞いたことがないでしょう?この辺は、やはり寡占状態が続く放送業界に近いものがあります。

 「特殊指定」というぬるま湯に浸かった大新聞の論調はどうしても権力に近いものになり、自らは安定した境遇にいて、社説では「小泉改革」のシナリオ通り一般企業や銀行、役所、公共団体の厳しいリストラに諸手を挙げて賛成するという有様。権益を貪りつつ安全な処から弱きを挫くのがジャーナリズムでしょうか?

 最近は一時の反動なのか、無理なリストラに批判的な記事も多くなりましたが、かつては銀行員や公務員をとにかく減らせ、待遇も良すぎるから賃金をカットしてサービスは上げろ、大学は競争原理を導入して経費を節約しつつ世界的な成果を、という無茶なことを言っていました。無駄な管理職を減らすならともかく、現場のリストラで組織が強くなることなんてありませんよ。

 大いに疑問だったのは、有効なデータがほとんど示されていなかったこと。正規雇用の公務員全体と、若年層や契約社員が多い一般企業勤務者の全体を比べたところで、簡単に「公務員の給料が高すぎる」とは言えません。それより、例えば大卒公務員と新聞記者の賃金を比較した記事がありましたか?一般企業と新聞社の倒産数比較やリストラ規模は?

 新聞社員の待遇など、記事として出せるわけがありませんね。今や、新聞は役所以上に保護された産業なのですから。

 一律の宅配のために安定した収入が必要というのは一理あります。しかし、それなら僻地の宅配のために新聞社が協同で配達人を雇うとか、自治体が補助金を出すといった選択もあるのではないですか。巨大な本社ビルを所有したり、たいして働きもしなかった(名古屋のファンの間では「戦犯」と呼ばれている)ピッチャーに2億円を越える年棒を支払っているのは?

 経営の合理化もせずに「特殊指定」という権益にしがみ付く様は、新聞が散々叩いてきた公務員や関係者の既得権確保とどこが違うのでしょう?もっとスリムになって購読者に利益を還元する新聞があってもいいじゃないですか。「宅配なしでもウチは読者を確保できる」という新聞があってもいいじゃないですか。

 私は、このような飼い慣らされた大新聞が、本当に取材源秘匿の権利を勝ち取るまで戦い抜く意欲を持っているのか甚だ疑問です。政府の側としても、「大新聞組みしやすし」と読んだ上で揺さぶりを掛けてきたのだと思います。

 上からの揺さぶりに加えて、新聞の足元をフリーペーパーが崩しつつあるという都合の悪い変化もあります。新聞を定期購読する理由の1つは、折り込みチラシです。当地では大半の家庭が中日新聞を購読しており、他の新聞はまず相手にしてもらえません。最大の理由は、「中日でないとチラシが入らないから」です。

 これに対し、紙面全部がほとんど広告のようなフリーペーパーが支持を得て、部数を増やしています。チラシはないですが、若い人向け、主婦向け、子供のある家庭向け、熟年向けに多種類のフリーペーパーがあり、新聞チラシのビジュアルにはかなわないものの、情報量が豊富でしかも的を絞った広告を見ることができます。

 これは取りも直さず広告主が新聞チラシからフリーペーパーにシフトしているということであり、特に新聞小売店の経営を揺るがす要因になっています。このような危機感もあって、新聞社は定期購読を死守したいのです。これを政府に見透かされると、譲ってはいけないところで譲歩してしまうような悪い予感もあります。

 ジャーナリズムの根幹を守るためにも、新聞の経営はもう少し軽量化するべきではないでしょうか。少なくとも当地の大新聞は、肥大化して動きが取りにくくなっているように見えます。
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トヨタ車に望むもの

2006年02月23日 | たまには意見表明
 中古車を買おう、と思い立って10日。直接のきっかけは、何とか車検を通してあと2年乗ろうと思っていたヴェントの運転席パワーウィンドウ故障。ドアが中から開かないトラブルが散発していたので、その際にはウィンドウを下ろして手を伸ばし、外のノブで開けていたのでした。両方壊れたらどうしようもないじゃないですか。

 車検があと1ヶ月に迫っているため、普通に新車を買うには時間がありません。選択の幅が広い新車の場合、腰を据えて比較試乗を繰り返し、納得できる買い物をしたいからです。(実は新車を買ったことはないのですが。)

 中古なら土日しか休みがなくても、気に入った車を乗って帰ればいいだけなので簡単。時間が大幅に短縮できます。(そう言えば住宅も中古なので、新築に比べれば交渉はずっと簡単でした。)その辺のトヨタの中古車センターに行って、適当に見繕ってハンコを押せば代替完了。楽なものです。ところが極楽親父はトヨタ車があまり好きじゃなかった!

 実家のセダンはずーっとクラウンかセルシオなので、トヨタ車は20年以上前から日常的に運転しています。少なくとも昔のクラウンは、高速道路で運転していると眠くてたまりませんでした。反応の鈍いエンジンとステアリング、路面の感触を全然伝えないふわふわの乗り心地、姿勢の崩れやすいシートなど、あらゆる要素が快眠に導いてくれます。

 当時のM型なんて、カタログの馬力はベンツに負けないほどあっても、本当に回りたがらないエンジンでした。いつでも「もわーっ」とした感覚で、しかも回転が上がると不機嫌そうにノイズが高まります。高速に合流するためにアクセルを踏んでも、「そんなに加速するんですかぁ?嫌だけど、しょうがないなあ。」という感じで苦しげに回転が上がる。ハンドリングやブレーキも同様。クルマに生まれたくせに、なぜそんなに走るのが嫌いなんだ?というのが当時のクラウンに対する抜きがたい印象です。

 およそドライバーが接する箇所には至る所に柔らかいクッションが入っている、というのが当時のクラウンでした。しかし、世の中の道具という道具は、手に感覚をフィードバックし、逆に手の力を正確に伝えるために、余計なクッションを入れていません。例えばゴルフクラブやテニスラケットが柔らかいゴムでできていたら使いやすいですか?ボールペンの芯が柔らかい素材だったら?答は否、です。

 インパクトの感触がわからないテニスラケットやゴルフクラブでは上達するはずがありません。手からの情報が遮断されたら、ボールをコントロールできないからです。同様に路面の感触やエンジンの動作などの情報を遮断してしまうと、車の挙動を知るには目で見るしかありません。昔はクラウンに乗ると、無意識に目線が近くの路面に向くようになり、長距離では疲れました。車線をずっと確認していないと、直進しているかどうか掴めなかったからです。

 どうして昔のことを蒸し返すのかと言えば、新しいトヨタ車にも同じような悪癖が残っているからです。もちろん程度は違いますけどね。GS430になる前のアリストのデザインが気になって、試乗したことがあります。馬力はものすごくあるものの、走りたがらないクルマという特性は変わらず。性能はいいんでしょうけど、ちっともスポーティーじゃないんです。

 同じ時期に試乗したB4には、まるで戦闘機に乗っているかのような機械精度と凄みを感じましたし、E46の繊細なハンドリングには感銘を受けました。個性は違うものの、どちらもスポーティーと解釈できます。運転そのものが気持ちいいから。これも適度なフィードバック情報があってのことです。これが車との対話というものでしょう。

 できれば運転が楽しい車にしたいのですが、近所で大きな中古車センターと言えば多くはトヨタ系。愛知県はトヨタ県ですからね。わざわざスバルを買うのも、メンテナンスの不便さを考えると避けたいところです。トヨタ車の実用性と信頼性は何より魅力的ですし。今度試乗するトヨタ車には、いい意味で期待を裏切って欲しいのですが…。
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ミノルタカメラの終焉

2006年02月03日 | たまには意見表明
 転んでケータイを壊してしまったので、仕方なくカムコーダーであるソニーHC1のフォト機能を代用しています。ケータイのカメラと比べればずっとよく写りますけど、スナップ写真のためにHC1をいつも持っているわけにもいかず、シャッターチャンスは大幅に減ります。

 HC1で写真を撮るのに便利な機能は、撮ってしまったハイビジョン画像を再生しながらスイッチ1つで気軽に切り出せることですね。長らくNTSCの画質の低さに慣れていたため、カムコーダーのフォト機能なんて信用してなかったので、つい最近までこんな便利な機能があるのを知りませんでした。さすがはハイビジョンです。

 それでも電池込み870gのHC1に対して、150g程度しかないケータイの機動性は明らかです。もう少し大きくても良ければコンパクトデジカメも安くなっていますし、十分にポケットに入ります。常用に携帯性のいいデジカメは何を選べばいいでしょう?

 新しいケータイはとりあえず必要です。壊したのがW22Hだったので、また日立のW32Hなら違和感はなさそうですね。mini SDもそのまま使えるし。元はと言えば去年の春、「デカレンジャー」に心酔していた極楽息子が、デカレンジャーのメカに似たW22Hのスライド機構を欲しがったので買ってみたのですが、メーカーはこれ1台だけでスライド式を諦めたみたいです。やっぱりヒンジ式が使いやすいのでしょう。

 ワンセグ携帯として話題のW33SAにも興味はありますが、テレビを見ると電池の消耗が早く、人気機種で値段も高いようです。高画質で録画できるわけじゃなし、今回は見送りましょう。

 長らく物色を続けてきたデジカメの方は難しい状況です。コンパクトデジカメはモデルの入れ替えが激しくて、どれに手を出したらいいのかさっぱりわかりません。一眼レフタイプも検討しましたが、携帯には不便だし、まだフィルムカメラが使えるので見送り。そのうちフルサイズCCDが安くなるでしょう。αレンズを何本か持っているので、将来はコニカミノルタの一眼デジカメに移行する予定でしたが、同社がカメラから完全撤退したので水の泡に。

 我が家は親の代からミノルタのカメラを使っていまして、古くはレンジファインダーのA-2、一眼レフのSR-T101、αマウントの7700i、その他多数のアクセサリーがあります。この20年ほどカメラ本体は買ってないので、あまり同社の利益に貢献したわけじゃありませんけどね。

 コニカがフィルムを止め、ミノルタがカメラを止めたら何が残るんでしょうね。競争の激烈なプリンタやコピーに集中しても、同社が単独で生き残れるだけの体力があるかどうかは疑問です。いずれは残ったビジネス機器部門もソニーなどとグループを組むことになるのでしょう。

 ミノルタはキャノン、ニコンという大手の狭間で生き残ってきただけあって、光学系などに独自の技術を持っており、この財産がデジカメでも活用されると思っていただけに残念です。例えば薄型ズームの折れ曲がり光学系は、同社が長らく作ってきたダハプリズム内蔵の小型双眼鏡によく似ています。αレンズにもバリソフトや拡大マクロなど独特の製品があり、まだ将来に生きる技術だと思います。

 古くからのカメラファンにとって、同社は小さいながらオンリーワン企業だったので、今回の撤退は寂しいことです。光学系の技術者もソニーに移るのでしょうが、企業文化の違いもあり、いい仕事ができるかどうかは心配です。ソニーがデジカメやカムコーダーにカールツァイスブランドを利用しているのもミノルタとは合わないでしょう。むしろレンズの資産をタムロンあたりが引き継いでくれればいいのに。

 まあ郷愁を別にすれば、古いミノルタのカメラをソニーがサービスしてくれるというのは悪い話じゃありません。デジカメも故障と無縁ではないし、それならサービス体制を統一すべくソニーのデジカメにする、というのは有力な選択肢です。これからのソニーのお手並み拝見というところですね。果たしてミノルタの遺産を生かすことができるでしょうか?
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和製「ドイツの哲学」

2005年11月14日 | たまには意見表明
 写真は万博ですが、今日は関係ない話です。

 古い書類を整理していたら、車検の金額24万円の領収書が。えらく高いな、と明細を見てみたら、ウォーターポンプ交換とあった。そう言えば、ウォーターポンプでエンジン1台やられたんだっけ。AAA型の弱点だった。

 思い出してみれば、1997年型フォルクスワーゲンヴェントVR6は、中古で買ってからというもの故障続きで決して退屈させてくれない車でした。ウォーターポンプ故障により高速走行中にファンベルトが脱落し、エンジン全損で中古エンジンに載せ換えたのを始め、パワーウィンドウ故障、パワーステアリングポンプ故障、ABS故障、アイドリング不調と故障を連発しました。今でも変速機が動きたがらないですし、エアコンはろくに効きません。

 高速での安定性こそ最初は感動的でしたが、重いステアリングに極楽妻が音をあげたり、切りっぱなしのドアで頭を怪我したり、都市部で5km/Lから6km/Lという悪い燃費に顔が引きつったりと、最近はいい印象がなくなっています。ダンパーの劣化で安定性も劣化し、レールの上を走るような安心感がなくなってきましたしね。

 この車を買った動機として、世界の標準と言われるフォルクスワーゲン車に乗ってみたかったという好奇心があります。私がクルマに一番興味のあった頃、車関係の雑誌を見ると、決まって日本車がボロクソにけなしてあり、ドイツ車の「クルマ造りの哲学」が褒め称えられていたものです。「コンセプトで日本車の10年先を行っている」というのが決まり文句だったように覚えています。

 あれから10年以上、「ドイツの哲学」などという評論家のお題目は何だったのだろうというのが実感です。21世紀になってドイツ車は更に高速性能を追い求めており、リミッターを外せば300km/hなんて超高性能車がいくつもあります。でも環境問題や貧困の問題が広く意識され、20世紀に比べて、高速、高性能の自動車はほとんど輝きを失いました。「どこでそんなスピードを出すの?」という疑問に対する回答は今やありません。

 当時、ドイツ車を誉めそやした評論家は、今は何をしているのでしょうか?相変わらず「ニュルブルクリンクのテストではドイツの哲学が…」などとやっているのでしょうか?彼らが交通社会に何の提案もせず、クルマの進化に何一つ寄与することなく、殿様商売を続けていた輸入車メーカーを甘やかしてきたつけが、今のトヨタ一人勝ちにつながっているように思えてなりません。

 雑誌を毎月買うことで彼らをサポートしていた極楽親父も愚かでした。今やクルマ雑誌が全然売れない、と聞いたことがあります。原因はインターネット情報の充実とか、読者の意識の変化として説明されていることが多いのですが、自動車メーカーの意思と技術が、多くの自動車雑誌を越えてしまったため読む必要を感じない、という説明もできるように思います。
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万博会場半壊の写真は

2005年10月25日 | たまには意見表明
 我が家で取っている新聞には、万博会場の取り壊しが進んでいるという記事がありました。何でも報道するのがメディアであり、百聞は一見に如かずの原則から、インパクトのある写真を載せるのも仕方がありませんが、子供が見たら何と思うでしょうかね。

 誰かに利害のある記事じゃなし、大きな写真で半壊したパビリオンを見せつける新聞には、子供の夢に対する配慮とか、ウィットとかいうものを感じません。消えて行くものや、はかないものへの労わりがない大新聞の視点は、果たして私たち庶民と同じ高さにあるでしょうか。

 この新聞の論調として、企業や公的機関のリストラに最も無批判である傾向を感じていますが、どうも今回の記事とだぶって見えてきます。極楽親父はこの新聞が中部地区で大きなシェアを持ち、リストラと無縁の優良企業であることを聞いています。自分が安全なところにいて、他人の首切りに無遠慮な拍手を送る厚かましさは、「肉を切らせて骨を断つ」ジャーナリストの気概とは遠いものです。

 免許制、あるいは実質的な国営により手厚く保護されてきた放送業界の漫然とした経営に対して、不祥事や買収をきっかけに批判が集まっています。一方のメディアの雄である新聞もシェアの固定化が進んでおり、風通しの悪さが見えています。今度は新聞に参入してやろう、という意欲的な経営者がいれば、また面白いものが見られるかもしれません。

 写真はカナダ館の前でおまわりさんと一緒の極楽息子です。
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都市部の票を国政に

2005年09月12日 | たまには意見表明
 総選挙は自民党の圧勝でした。これは極楽親父にとって想定の範囲内。「劇場型」と言われる小泉流のパフォーマンスが、単純な構図を求める有権者の動向を見事に捉えており、労組を気遣って歯切れの悪い民主党を圧倒するのは最初から見えていました。ただし、後述しますが現行の選挙制度では、です。

 郵政民営化そのものは争点として有効でした。全国一律のサービスと言えば聞こえはいいのですが、都市部の大幅な黒字を地方にばら撒き、しかも民間企業の参入を阻害している郵政のあり方は、税金ばかり払わされて縁もゆかりもない地方を養わされていると思っている都市部サラリーマンの批判対象となったようです。「税金のみならず、郵便でも地方に貢いでいるのか!」という不公平感ですね。

 郵便貯金の巨大さと融資対象の怪しさについても、広く知られるところとなりました。都会から見て「必要のない」「無駄な」地方事業は、郵便貯金が原資だったのか。赤字国債を高値で買い続けるのも不健全だ。よし郵政は民営化だ!こんな判断がなされたのでしょうか。

 今回は今まで地方主導だった自民党に、都市部無党派の支持が集まり、都市型政党としての性格も見えてきた、というところだと思いますが、留意すべきはこれが小選挙区での選挙結果だということ。自民、公明合わせて3分の2の議席を確保しましたが、各選挙区の得票率を見れば、そんな圧倒的な支持が集まったわけではありません。

 郵政はともかく、更に根深い税制や年金、医療の改革を進めるためには、高い支持率が必要となります。強い反対のない改革は実効のある改革ではありません。抵抗勢力を切り崩してこそ改革だからです。その際に、小選挙区のマジックで得ただけの「水増しされた」議席で議論を進めようとしても、強い不平等感により多くの支持を得られないでしょう。

 自民・公明連立政権が本当に都市部勤労者の意見を代弁するようになるには、やはりこの勝利に乗じて選挙制度を改革することが必要だと思います。「1票の格差」が大きく、死票が多い、つまり少し人気が出ただけで地すべり的な大勝利を得られる小選挙区ではなく、負担した税額を反映できる中選挙区あるいは比例代表制に。

 これが実現しなければ、地方での根深い利益誘導政治は形を変えて残ります。今回の選挙でも、中村喜四郎、鈴木宗男両議員が復活当選を果たしているように、古い「おらがセンセイ」体質は簡単に払拭できません。両名とも自民党を離れているとは言え、中央とのパイプ復活を狙っていることは明らかであり、将来とも復帰がないとは言い切れません。1票の格差が少なければ、あるいは全国区に近い選挙制度なら、このような候補が当選する確率は低くなるはずです。

 民主主義の原則は「代表なくして課税なし」です。勤労者のための改革が実現されなければ、日本は古い自民党的体質を抱いたまま衰退していくしかありません。
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ゼロホルマリンとは

2005年09月05日 | たまには意見表明
 週末に入る大量のチラシ広告を見ると、この数年「健康住宅!ホルマリンゼロ!」とか「シックハウス対策済み。ゼロホルマリン建材使用」とか大書している住宅広告が目立つようになりました。でも、化学や生物学を少し齧ったことがあれば、これは誇大広告もいいところ、と思うのが当然です。

 なぜ?第1に、建材からホルマリンを完全に排除することは不可能だから。ホルマリンの正体はホルムアルデヒド。これは化学式でHCHO、つまり炭素原子が1個、水素原子が2個、酸素原子が1個というきわめて単純な化合物。ホルマリンとは、つまりホルムアルデヒドの水溶液に他なりません。以後面倒なので「ホルマリン」に統一します。

 ホルマリンはメタノール(メチルアルコール)を酸化する過程で発生しますし、多種多様な有機化合物の燃焼や分解の過程として簡単に生じるものです。水に溶けやすく、揮発もします。

 従って、あらゆる生物内に、微量のホルマリンは存在します。検出限界近くの微量なホルマリンでも、シックハウス症候群を心配する人がいるかも知れませんが、その程度のホルマリンは人間の体内にもあるものです。もちろん、材木にも含まれています。接着剤のホルマリンだけが問題にされますが、無垢の木にだってホルマリンは含まれます。

 木材を不完全燃焼させると、ホルマリンをはじめとするアルデヒド類がかなり発生します。アルデヒドや有機酸を多く含む煙は防腐作用が強いため、この煙で燻すことで食品が腐りにくくなります。これがスモークの原理。だから趣味で燻製を作っている人は、その程度のホルマリンでは何ともないということになります。

 それからタバコですね。あれも植物です。どうしても一部が不完全燃焼するため、タバコの煙には建材などよりずっと多いホルマリンが含まれています。「タバコは平気だけど、ホルマリンには敏感」という人は、どこかで騙されていると思います。

 第2に、建材からホルマリンを可能な限り除去したところで、衣服や家具などに含まれるホルマリンが多ければ意味がないから。現在のところ建材よりも衣服、家具のほうが基準が甘いようで、室内の空気に存在するホルマリンの大半は、建材よりはむしろ家具に含まれていたもののようです。

 第3に、シックハウスの原因としてホルマリンが疑われているが、本当の原因はまだはっきりしていないから。極楽親父は業務に多量のホルマリンを使用していますので、一般の方よりもはるかに多量のホルマリンを吸入しているはずです。

 まだアパートに住んでいた頃、一家でマンションを見に行ったことがあるのですが、「シックハウス対策」、「ゼロホルマリン」で押してくるのには閉口しました。壁紙だけ「自然材」とやらを使っただけで、そんなにすぐ幸せになれるものじゃありませんよ。「ホルマリンの中で仕事してるので全然気にしない。」と言ったら黙ってしまいましたが。

 「俺に何ともないんだからホルマリンが悪いわけはない。」と言うつもりは毛頭ありません。病原体や有害物質による健康被害は、個人差が大きいのです。タバコを50年吸っても平気な人もいれば、10年で肺癌になる人もいる。ホルマリンの被害を受けている人はいるでしょう。

 ただ、病院で見た印象では、微量のホルマリンに影響される人の割合は多くありません。病院は特にホルマリンに強い人を選んで採用しているわけではありませんが、明らかな異状を訴える人は稀だからです。しかも、現在流通している建材では、ホルマリンの残留濃度は非常に低くなっているはずです。

 無垢の柱や板なら大丈夫とか、珪藻土を塗れば大丈夫とかいった宣伝もありますが、便乗商法に近いものも多いようです。壁材の吸着面積は、たとえ珪藻土や漆喰でもたいした広さにはなりません。冷蔵庫の消臭剤に使う活性炭でも塗れば別ですが、それでも時間がたてば吸着しなくなります。まして、ビニールの壁紙に表面だけ珪藻土を塗った「自然建材」などたいして意味がないと感じます。計画換気と空気清浄機の方が有効ではないでしょうか。

 建材の成分にも、生物が作り出す物質にも、作用が十分に調べられていないものはたくさんあります。シックハウスの症状が出たからと言って、ホルマリンだけに原因を求めるのは却って問題の解決を遅らせるのではないかと思っています。
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公務員は減らせるか

2005年09月01日 | たまには意見表明
 国家および地方財政再建の策として、公務員の大幅削減および給与削減が主張されることが多いですが、マニフェスト(政権公約)などに記載されているということは、それが国民にとって利益になるんだという目論見があるからでしょう。大手の新聞もこの論調に乗っている記事が多いようです。あたかもそれが「改革」の本質であるかのように。

 でも実際に公務員が減って、給与も下がったとしたら、何が起こるでしょうか?新聞はそこまで解説してくれていません。極楽親父のように、人生も半ばを迎えますと、「説明できないもの」、「ムードだけで進められているもの」は胡散臭いという経験が身に着いています。今日はこの「今そこにある胡散臭さ」について考えてみましょう。

 まずお断りしておきますが、極楽親父は地方公務員です。従ってこの問題について利害のない立場ではありません。しかし、財政再建と公務員の処遇については、利害のない国民はいないはず。それなのに論調を引っ張っているのは一部の人たちだけ。

 皆さん関係があるんですよ。それぞれの立場から考え、声を上げなければ、ムードに乗っかって「改革」とやらを実現したつもりが、ごく一部の人たちだけの利益のために奉仕させられていただけ、という苦い思いをまたも負わされることになりかねません。今までの政治とは、まさしくそういうものだったからです。

 民間ではリストラの嵐が吹き荒れたのも昔のことのようですが、その時期に「良いリストラとは本社をリストラすること」と聞いたことがあります。会社の価値を調べるアナリストが言ったことらしいですが、つまり現場の職員を切り捨てるよりも、会社が肥大化する中で権益を拡大してきた、よく調べれば会社にとって貢献度の低い管理部門の病巣を探して切除しなさい、という格言のようです。

 経営者にとっては、現場の下級職員を切る方がずっと簡単。現場の職員はほとんど派遣、という会社もたくさんあります。しかし、これは大きな木を剪定するのに、根から切って行くようなもの。現場のリストラが過ぎると、確実に会社のポテンシャルは低下します。典型例がダイエーではないでしょうか。

 あの巨大なダイエーの経営が傾いてから、極楽家の近所のダイエーでは素人目にもわかるリストラが実行され、ローカルながら売れているテナントが追い出され、本社の管理部門が選んだであろう、どこにでもある陳列ケースが取って代わりました。パートの店員に商品のことを聞いても要領を得ず、仕舞いには店員が店頭から消え、探すのに苦労する始末。その一方で、ビール会社からの派遣の人でしょうか、目の前で困っているお客に目もくれず、何もない空間に向かって発泡酒の試飲を呼び掛けている滑稽さ。これじゃ売れませんよ。

 同じ時期にイトーヨーカ堂に行ったら、店員が自分の売り場に気を配っているのがよくわかり、気持ち良く買い物できました。商品を売るのは人だというのがよくわかりました。

 公務員を減らすという意味合いは、当事者である官庁と国民の間に大きな差があると思います。単に「多く辞めさせればいい」という数合わせでは、現場が機能しなくなり、公共サービスの大幅な低下を招くでしょう。現場の人数は減っても、業務の量は減らないからです。では、「良いリストラ」のために切除するべき「病巣」とは誰でしょう?極楽親父の脳裏には、一部の国会議員の顔がありありと浮かびます。でも、そんな人ほど辞めさせるのが難しいんですよ。

 給与削減も、新聞が書き立てるほど簡単じゃありません。強引な論調では、「2割以上の削減」とか書いてありますが、一律で減らせると思ってるんでしょうか?それだけ減らされれば、技能のある人から出て行くに決まってるからです。極楽親父は病院での地位が高いわけではありませんが、日本の歴史上でも3,000人に足りない特殊資格者なので、転職先には全く困っていません。過剰気味の勤務が少しこたえていますし、家族にも不自由な思いをさせているので、業務が正当に評価されないなら、すぐに移るつもりです。

 強引な給与削減で最初に出て行くのは、公務員を辞めても他で十分に評価される人たちでしょう。市民病院の腕利き外科医、世界から注目される研究者、児童から慕われる学校の先生、独自の技術を持つ技官、航空自衛隊のトップガンなど。公務から足を洗うことで、彼らにはより良い待遇が約束されています。こうした「つぶしの利く人」が公務員を続けているのは、地位や給与での評価は十分でないにしても、必要とされている自覚があるから。「公務員なんかいらない」という風潮が強くなれば、喜んで出て行くでしょうね。

 残った病院や研究所や施設の機能を、派遣や業務委託でカバーできるでしょうか?大学病院で散々「定数削減」の弊害を見てきた者として、新聞が無邪気に書き立てているような、リストラさえすればという論調に疑問を感じます。

 もちろん、税金で公務員を雇っているわけですから、決定権は納税者にあります。リストラが必要なのも確かです。ただし目下の雰囲気では、「日産のようなリストラ」よりは「ダイエーのようなリストラ」に近づいているように思えてなりません。

 カルロス・ゴーンさんは大の運転好きで、車そのものや製造、営業の現場を自ら見て回ることを重視された人だそうです。国や地方自治体の機関が実際にどう機能しているのか、為政者はもとより、多くの人に現場を見て理解してほしいものだと思います。
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