雪うさぎのJunk Yard

へタレ地方私鉄モデラーの独り言と撮り鉄日記

夏の旅行(9)

2017-09-08 23:58:31 | 撮り鉄日記

 山形道西川バス停から再び高速バスに乗って山形へ、一休みした後、少し戻って高畠へ。

かつて糠ノ目と呼んでいた頃の面影は無いハリボテ駅舎になっていました。僅かばかりの路線バスも休日は全面運休なので、また駅前からタクシーを拾います。天気が良ければレンタサイクルでも良いですが、途中で雨が降ってきそうな微妙な空模様だったので。

  

で、本来の街の中心部にあった旧高畠駅にやってきました。

 

残念な状態になっていた善宝寺駅と違い、こちらはきちんと手が入れられ維持されています。

 

山形村山地区の路線バスの衰退振りは目を覆いたくなる状況で、ここも既にバスターミナルとしての機能は失っていますが、名残のポールが保存?されていました。この前でさくらんぼカラーのトヨタDR15や北村モノコックボディのいすゞLTが待機していた頃を妄想しながら...

 

構内には同じ高畠石で構成された変電所やバス車庫?が残されています。変電所の建屋は今は窓が鉄板で封鎖され見えませんが、中には回転変流器が残されている筈です。

 

旧ホームに横付けで保存されている車輛も近年修復され、若干の欠品はありますが、綺麗な状態を保っています。

   

モハ1は更新で原形を失ってはいますが、台車を見ると蒲原モハ11-13や、庄内モハ1,3,5の仲間であることが分かりますね。近代的に更新修繕されても、制御方式は相変わらず直接式なのですね。高畠線の電車で間接制御だったのは、後に琴電に渡った旧西武の川造型モハ4だけだったのですが。

 

ワム201は標記が変ですが、一世を風靡した国鉄ワム23000形の同形車で完全な姿を保つのはこれのみの筈です。昭和31年西武所沢製の元西武鉄道ワム204で、山形交通入線後も原番号のまま使われ、保存時に車番を振り替えたという疑惑も持たれていますが…ヨンサントオ当時の車齢から考えると、二段リンク化の対象になっても良さそうですが、もう直通承認車の必要が無いという判断に至ったのでしょうか、リンク式のまま生涯を終えています。

   

ED1は今は大胡にいる東急デキ3021の同形機で色も同じ黒でそっくりですが、前面窓が後天的改造で変化していたり、あと東急にはある台車上の細長いエアタンクがありません。窓上のルーバー型ベンチレータやボンネット上のジャンパ線受け?は同じです。

貨車の自連は柴田式上作用、電車はシャロン下作用、二つの形態差を並べて観察できる貴重な展示例でしょう。

ホームで混合列車が発車待ち、の風情。

駅前にあった医院の建物、エントランス部の造りを見て、富山地鉄の東新庄駅を連想しました。当時の流行のデザインなのでしょう。

 

帰りは何とか空模様も持ち堪えそうだったので、廃線跡の遊歩道をてくてく…

この山の頂が俯瞰撮影地として知られた場所でしたっけ?

竹ノ森には高畠のを縮小したような駅舎があったはずですが、解体されホームを残すのみ。

糠ノ目近くの小川に架かる橋、桁は新しくなったようですが、橋脚は多分鉄道線の再利用でしょう。

(2017年8月12日)