雪うさぎのJunk Yard

へタレ地方私鉄モデラーの独り言と撮り鉄日記

平成最後の落成車輛

2019-04-30 23:56:14 | 大手・準大手私鉄

 完成目前で放置されていた昭和の銀座線18番編成、平成最後の日に何とか形にまとめ上げました。まだまだ手を入れたいところは色々あるのですが、仕掛品を少しずつ潰していかなくては、と。

いつもはモケット色1色吹いたらお終い、な内装パーツですが、今回は床材もそれらしい色に塗り分けてみました。マスキングが結構面倒な割には、組み込むとほとんど判らなくなりますが...それより乗務員室の仕切りの方が効果的ですね。

 

ブラスキットと鉄コレを如何に違和感なく馴染ませるか、を目指しましたが、如何でしょうか。余っていた鉄コレ1300の車体が勿体ないので、あれこれいじって1200にしてみましたが、やはり窓周りがスッキリせず、34編成の1359と見比べると、最初からブラスキットにしておけば良かったかな、と後悔する程度の仕上がりになってしまいました。

このごちゃ混ぜ感が良いですね、しかしこの後釜の01系も引退して久しく、昭和は遠ざかっていくのを改めて実感。


釧路臨港鉄道(5) やっと完結

2019-04-30 20:39:25 | 撮り鉄日記

 そうこうしているうちに、とうとう平成最後の日になってしまいました。

 

バスで一旦春採まで戻り、待機中でアイドリングするDE601を確認した後、撮影地に。

ベタですが、パチンコ屋の裏の俯瞰ポイントに。凍結した春採湖が見た目に寒そうです。この日は比較的穏やかで温暖な気候でしたが。

  

タービン音も高らかに湖畔を駈けるコールトレイン。カマの形態と相まって、大陸的な風景ですなぁ。

  

例によって返空もすぐ戻ってくるので、また少しアングルを変えて同じ場所で。関東から訪問するには余りにもハードルが高い場所ですが、何とか都合を付けてでも、もっと行っとくべきだったと今更ながら。

(2019年3月23日 太平洋石炭販売輸送臨港線 春採―知人)


折角なので

2019-04-28 10:43:01 | 撮り鉄日記

 この日も午後便のみの運行、中途半端に時間が空いたので(想定内ですが)、事前にサーチしておいた、空き時間にちょっと見に行けそうな場所の中から、旧雄別鉄道8722の保存機を見に行くことに。

とりあえず釧路駅前に戻ります。この様などこでも見られたような民衆駅のビルも、立体交差化事業などの進展で、気付くと随分少なくなってしまいました。北陸方面は福井、金沢、高岡、富山と全滅、新潟も間もなく姿を消すんだったかな?

 

昔に来た頃は、くしろバスは黄色だったのに、何時の間にか真っ白になっていました。しかもここでもエルガだらけ、この辺りが最古参でしょうか?

 

そして駅前からバスに揺られること暫し、旧雄別鉄道新釧路駅跡に近い住宅地の真ん中にある工場に。それは駐車場の真ん中に鎮座していました。それでは受付に挨拶をしてから。

   

冬季恒例の電飾が少し邪魔ですが...8620,9600等近代機以前のテンダー機としては、旧北海道炭礦鉄道ポーターと英国系4-4-0以外には残存例が他にほぼ無いので、極めて貴重な個体です。

ドーム位置が原形に直されているのに、空制機器が晩年のままな中途半端な復原状態なのが気にならない訳ではありませんが…末期のデフ付きで一見8620ライクだけど何かが違う、という姿で良かったのに、と言うのは我儘でしょうか。それでも利益に直接寄与しない機関車を、一番目立つ、門前の作業の邪魔になりそうな位置で、火を入れればすぐに走れそうな大変良い状態で保存されているのには感心しました。鉄道会社は保存車をあっさり潰しちゃうので、企業の保存車では鉄道会社以外の企業の方が大事にされていることが多いような気がします。

    

原設計は英国ですが、8620以降の近代機にスタイル上でも大きな影響を与えたことが判ります。しかし8700では洒落たキャブの窓は8620では平凡な形態になってしまいました。

 

テンダーの炭庫も晩年は嵩上げされていましたけど、これも復原されています。

キャブ内も覗き込んで…

8722号機の来歴、雄別鉄道での活躍は決して長かったとは言えませんが、その雄別鉄道をルーツに持つ企業にシンボルとして大事にされています。それと比べると、外様と言え、高度成長期の佳き時代を支えた、会社のシンボル的存在だった某西日本私鉄の某米国電機に対する仕打ちの残念さが際立ちます。

最後に、事務所では8722号機に関するグッズも販売しており、その売り上げは8722号機の維持に活用されているので、訪問の際は是非ご協力の程を。

(2019年3月23日 (株)釧路製作所 本社工場)


優雅にコーヒーブレイク

2019-04-21 17:12:42 | 撮り鉄日記

 朝方に列車の運行を確認して、まだまだ時間があるので、とりあえず春採湖を望む高台にある、ちょっと洒落たカフェで一休み。

勿論、春採湖側の窓際のテーブルをキープ。手前に木立ちが入るので、窓から撮影には向きませんが、この場所からのんびりコーヒーを啜りながら石炭列車の走りを眺めたかったな、と。1日1往復しか走らないのでは無理な話ですが...


釧路臨港鉄道(4) 走りでも

2019-04-14 10:53:37 | Weblog

 この日は14時台の一本のみ設定だったので、さてどこで押さえようかと、沿線をぶらぶら…

    

春採での積み込み風景とか、知人での高架線上からの荷卸しとかも魅力的、だったのですが...

 

最果ての臨港線らしい、荒涼たる風景が広がります。ちょっと酒田港の末端を思い出しました。

結局、無難に千代ノ浦に落ち着きました。ちょっと波が高かったので、海岸線ギリギリからはちょっと怖く、岸壁の上からに。彼方から独特のサウンドと共にDE601がやってきました。

やはり12ユニット24輌は長い! しかも思ったより速くてタイミングが難しかったです。

返しは春採方に移動しようかとも思っていたのですが、10分そこそこで戻ってくるので、もたもたしているとセッティング最中に来ちゃうリスクを考え、少しアングルを変える程度で後追いでお茶を濁しました。どうせならもう少し寄っても良かったかな...でも走りを実際に見れただけで、まずまず満足かな。

(2019年3月22日 太平洋石炭販売輸送臨港線 春採―知人)


リニューアル…って

2019-04-13 08:58:26 | Weblog

http://www.chichibu-railway.co.jp/blog/news/190411-1/

 果たしてこれを「リニューアル」って表現するものなんだろうか?と。まあ会社側としては、単なる施設の更新、入れ替えに過ぎない、と言う事なんでしょうが、と文面から感じます。

 やっぱり、鉄道会社が敷地内で管理している保存車が一番ヤバい、と言う事でしょう。やる気とお金があれば動かせる可能性のある行政や一般個人の保存車と違い、多くの場合、部外者にとっては手の出せない存在ですし、なまじ資金力があるから、潰すと決まったら実行は早いし。大宮の高架下も客車2輌を残し、結局は全部黙って潰しちゃいましたしね。

  

13年前はまだ時々塗り直していたりしましたが、何時しか手入れもされなくなり、彦根同様ヤバ気な雰囲気を漂わせていましたけど…似たような境遇だった長電小布施は最終的には4輌中3輌と1/3が残ったのは幸運だったのでしょう。


釧路臨港鉄道(3) 春採駅周辺

2019-04-08 20:20:41 | 撮り鉄日記

 鉄道も然ることながら、何と言っても、「国内最後の坑内掘り炭礦」なのだから、そのレアな情景の一端を周囲からちょっと観察していくことに。

  

駅裏手の高台に坂道をおっちら上っていくと、こんな風景が広がります。

巨大なシックナーに、山肌に這うように林立する選炭所の建屋、こんな情景を1/150で再現すると、どれ位のスペースを食う事やら。

この柵のレールはかつて市街地を縫うように張り巡らされたナローの坑外軌道のものでしょうか。

選炭所の上に見えていたのは、その坑外軌道の架線柱の残骸の様ですね。背高のっぽな凸電が走るところを見てみたかったです。

柵越しに生きた炭礦の息吹の一端を感じ取ることが出来ます。隣の住宅地でもそこらから石炭を燃やす香りが漂ってくるので、石炭ストーブを使っている家庭も多いのでしょうか。

しばらく坑外軌道の廃線跡を辿ってみると、怪しい物体が...

   

旧い川崎航空機ボディのバスの廃車体ですね。いすゞBU10あたりでしょうか。この手のボディの現役車は90年代初頭に松本電鉄でBU10Kを見たのが最後でしたね。

 

一応屋根が付いているので、程度は良さげですが、エンジンが無いのが残念。正体は不明ですが、地域柄、阿寒バスだと日野ばかりだった筈なので、東邦交通→くしろバス、あたりでしょうか。


釧路臨港鉄道(2) 春採駅点景

2019-04-07 15:29:03 | 撮り鉄日記

 列車は午後まで出ないので、周辺を見て行くことに。

  

ここは炭住街で無い、普通の住宅地の中にある炭礦ですが、ダートの傍ら伸びる線路と、その先にある選炭所に積み込みホッパー、そして留置されるセキ車、そこに数十年前に失われた北の産炭地の鉄道とオーバーラップする情景があります。

 

この反対側を振り向くと、ごく普通の郊外型スーパーに住宅地なので、道一本隔てて別世界が展開されています。10年以上前に操業する会社は改組し、「釧路コールマイン」となりましたが、選炭所の外壁をはじめ、そこらに旧会社の「太平洋炭礦」の社名が残ります。選炭所の建屋の上に何か気になるものがありますね…

車庫の裏手に伸びる側線とトロッコ。

 

釧路はさほど積雪の多い地域ではありませんが、北国らしく排雪モーターカーも完備。やけに平べったい形態ですが、スノープローにイラストが描かれているのをちゃんと撮るの忘れた…

非電化路線の車庫には欠かせない給油所。GMキハ04キットのおまけに入っている馬型計量器を1つ転がしてお茶を濁すことが多いでしょうが、キハ20クラスの大型気動車やDD13クラスのDLがいるような鉄道では明らかに能力不足です。仙台臨海鉄道でしたっけ? 廃車になったタム500クラスのタンク車のタンク体を再利用しているところもありましたね。

(2019年3月22日 太平洋石炭販売輸送臨港線 春採駅)


釧路臨港鉄道(1) ようやっと

2019-04-07 11:21:13 | 撮り鉄日記

 これを見たくて20年前にも訪問したのですが、休業日でカマは休車のD101以外、全て車庫の中に収められていて果たせず仕舞いでした。

少しでも早くその姿を目の当たりにしたく、泊まったホテルのブッフェ朝食をかきこみ、足早にホテル前のタクシーに。2日共別のタクシーでしたが、両方とも「臨港鉄道の春採駅」で迷い無く行ってくれたので、この様な訪問者は少なからずあるのでしょうか? 因みに駅前からのバス路線はあるものの、土休日朝方はほぼ運休です。近年はこの様に常時踏切前にカマを据え付けた編成で留置するようになったので、運悪く休業日に当たっても、とりあえずカマの写真だけは撮れるようになっていました。過去形になったのが悲しいですが...

 

構内での撮影許可を頂きがてら、当日の運行状況をチェック。余程問い合わせが多いのに辟易したか、入り口に掲示してありました。わざわざありがとうございます。

  

駅本屋の前にいたのは、DD13の上回りなのに足回りがロッド式なDD401。さよなら運転の3重連では先頭に立ったそうですが、一度走るところを見てみたかったな。

台車はアウトサイドフレーム式。台車枠自体の形態はD801とかと同じ日車標準タイプです。

 

そのD401が従えるフラットカー、除草薬散布用でしょうか? 正体はワラ1の上回りを撤去したものみたいです。

因みにその撤去された上回りの残骸は、車庫裏手にあった緑色のこれかな?

 

ここでは最新鋭(1977年製)のD701は裏手でお休み中でした。前照灯が端に寄っているので、オリジナルDD13とは顔の雰囲気が違います。その他にも昨年位まではD101や、足回りのみになったD201の廃車体が留置されていたそうですが、どこにも見当たらなかったので、解体されてしまったみたいです。

  

再び踏切脇まで戻って、真ん前に留まっていたD801を。ここでは新顔ですが、1965年製の雄別鉄道YD1301→釧路開発埠頭KD1301の前歴を持ちます。同機の先輩格のC11-1が東武鉄道で再起しますが、程度もまだ良さそうなので、これもどこかで再起して欲しいですね。因みにこれも20年前の訪問時に逢えなかったカマですね。(まだ釧路開発埠頭の西港にいましたが、やはり運休日で車庫の中でした)

    

ひたすら彼方まで続くセキの列の横を歩いて…こういう情景ももうどこでも見ることが出来ません。国鉄民営化時点では芦別、赤平、南大夕張、三池の各産炭地と、美祢の石灰石輸送で見ることが出来たのに、30年程で全部霧散してしまいました。背は低いけど、今度は岩手開発鉄道でも久し振りに行ってみようかな。

  

これです。これが一度見たくてわざわざここまで来たのです。国内最後のGE製現役電機が解体されたのと同じ年に、国内最後のGEノックダウン生産DEL(東芝製DD41→90もあったので、唯一では無いかな)が現役引退すると言うのも奇遇です。どう見ても日本型っぽくないですが、それが道東の大陸的な風景と良く似合います。

銘板も輸出向けの英文表記です。これが当時の釧路臨港鉄道に納入された経緯が気になりますが、メーカーサンプル機か、1輌だけ輸出キャンセルになったものを、たまたまスペック的に合致した同社に日車が格安納入した、と言ったところなのでしょうか(同程度のスペックのDD13よりかなり安かったというのはどこかで見聞きした記憶があります)。国内では特殊な存在ですが、永年にわたり当鉄道の主力として活躍してきた実績からすると、使用上、保守上の不都合はそれほど無かったのでしょう。その特殊さ故、少なくとも国内での再就職は無さそうですが...

(2019年3月22日 太平洋石炭販売輸送臨港線 春採駅)


帯広で…

2019-04-06 00:44:55 | 撮り鉄日記

 新夕張から釧路までは特急で乗り換えなしで行けるのに、わざわざ帯広で降りたのは、キハ40の鈍行に乗りたかっただけでなく、こんなのが欲しかったためです。

帯広まではこれで。そして駅前にあるバスターミナルの待合室に向かいます。

鉄道の駅は閑散としていましたが、バスターミナルの方がまだ賑わいがありました。まあ比較すれば、と言う話で、あくまでも交通の主役はマイカーなんでしょうね。とりあえず十勝バスのカウンターで目的の品物はゲット、新生ー大樹とか、愛国―幸福とか縁起物の切符を記念で買うとこんな袋に入れてくれます。それ以外にも空港行きとか普通の実用券も主要区間は硬券で口座があります。少し前までは隣の拓殖バスも硬券の扱いがありましたが、廃止された模様です。

現物は活版印刷ではなくオフセットの様なのが残念ですが、バスの硬券自体が希少価値なので文句も言えまい。数年前までは一部口座に道内ではお馴染みだった旧国鉄札幌印刷所の券が残っていたみたいですが、事業を引き継いだ業者が硬券印刷を終了したため、別の業者に。参考までに同所印刷の三菱大夕張とちほく高原鉄道の券を。以前紹介した岩手県北自動車は津軽とか近江とかと恐らく同じ業者の活版印刷でしたけど。