模型のディテール工作に着手する前に、まず北鉄石川総線の旧型車のディテールの変遷と個体差について、ちょっとおさらいしてみます。尚、この項ではモハ3700を除く旧名鉄車のみを対象とし、モハ3700、3710形や、北鉄オリジナルの3730、3750、3760形は調査不足の為、今回は割愛させて頂きます。
★全形式共通の変遷
(1)前照燈のシールドビーム化…昭和54-55年頃
クハ1720形はライトケースごと小型の物に交換、他形式は旧来のLP42のケースを活用し、中にシールドビームを填め込む形。尚、モハ3740形は入線当初よりシールドビーム。
(2)ジャンパ栓の新型(KE70)化…昭和59年頃
野町方前面の向かって右側のジャンパ栓は、従来は旧型3連装備でしたが、国鉄103系や205系のと同等のタイプ1個に交換された。昭和59年に事故で損傷して休車となり、そのまま61年に廃車されたクハ1724は未施工。
(3)ドアステップの廃止…平成元年頃
旧東急7000系の導入に先立ち、各駅のホーム嵩上げを実施した為、在来車も移行措置として全車ドアステップを撤去。改造後は鉄板で客扉下部を埋めた痕が判ります。
★各形式の形態分類と変遷
☆モハ3740形
(1)台車…3741、42はボールドウィンタイプ(名鉄揖斐・谷汲線に最後まで残ったモ750形と同型の、緩い弧を描く弓形イコライザを持つタイプ)、3743、44は基礎ブレーキを両抱き式に改造のMCBタイプ。
(2)戸袋窓…3741、44は昭和61年頃、戸袋窓を金押さえ式に変更。3742、43は木枠のまま廃車。
(3)ウインドシル…最末期、3741、43は側面のみ、3742は全部のウインドシルが段付から平帯になっていた。
☆モハ3770形
(1)ランボード…3772は73と比べ、パンタ下ランボードが長く、かつ厚みがある。
(2)戸袋窓…両車とも昭和59-60年頃に戸袋窓がHゴム化されている。
(3)塗り分けライン…昭和50年代初頭までは、下半身の朱色が段付きシルの下段部分まで塗られていた。
※トップナンバー3771は昭和45年に事故廃車と短命だった為、写真はほとんど残されておらず、今回の検証からは外させていただきました。
☆クハ1720形
(1)側面窓…1721を除く3輌は、昭和50年代前半に側窓上段がHゴム化されている。後述の1721更新後と違い、旧来の上段窓枠をHゴム支持のにはめ替えただけなので、窓は外板から1段凹んでいる。
(2)貫通扉の窓…1724のみモハ3770形と同型だが、1722、23の窓は3770形より下方向に長い。1721は他車より窓の横幅が広い。
(3)扉上の水切り…オリジナルではへの字の水切りが客扉の上に付いているが、1723は(1)の窓枠更新時とほぼ同時期に、雨樋と一体の一直線の物に交換。1721は後述する更新時に水切り自体を撤去。
(4)塗り分けライン…モハ3770と同じく。但し、1721は昭和50年代初頭から休車状態が続いていたので、後述の更新時まで旧塗装で存置。
(5)車体更新(1721のみ)…前述したように、1721は昭和50年代初頭から休車状態だった。ところが、昭和59年に1724が事故で台枠を損傷、代役として急遽1721を更新して復活させることに。外板張替えとウインドシル、ヘッダーの平帯化、側窓上段のHゴム化(他車と異なり、Hゴム窓は外板とツライチ)、雨樋交換と水切り撤去、内装のニス塗り→ペイント塗り化と、面目を一新した。琴電71や880と並ぶ奇蹟の復活劇でしょう。
以上、色々ツッコミどころはあると思いますが、もし指摘がありましたら、コメント頂けると幸いです。