雪うさぎのJunk Yard

へタレ地方私鉄モデラーの独り言と撮り鉄日記

やっぱり天気が怪しいので

2014-04-25 00:14:33 | Weblog

 連休前半の天気がどうも怪しいので、2日間丸々一畑に充てようと思っていた日程を半日カットして、28日の朝方の水島キハ20にしとこうかな…ここならどうせ車輛中心のカットにならざるを得ないから、天候がイマイチでもまだ我慢できるかな、と。


連休前半戦は

2014-04-22 00:21:03 | Weblog

 今でもこんな電車が走っていたら、何日でも入り浸っちゃうけどね…日程中1日平日ダイヤの日を挟むので、それを生かしたく水島や福鉄とも迷ったのですけど、結局は余り関係ない場所に。とりあえずこんな方向で詳細なスケジュールを調整中。今年の連休、指定席や宿の予約の入りが余り良くないみたいで、1週間を切っていても新幹線も宿も楽勝で予約入れられます…


連休は

2014-04-17 23:48:20 | Weblog

 後半戦は今は無き某軽便鉄道系事業者風塗色のバスで行く、軽便保存鉄道めぐりでほぼ確定。
※画像はイメージです。実物とは若干異なりますので御了承下さい。

こんなんとか。

こんなところも。バスは例によってリーフサスでローバックシートなので、古の山陰本線824レをオハフ61で門司港→福知山全区間を乗り通すのに匹敵する快適さか? 前半は?まだ何も決まってないや。どうしようかな?


気紛れな買い物

2014-04-17 00:05:31 | 大手・準大手私鉄

 今更ですが、何となくこんなものを買ってしまいました。しかも基本1本だけ。7100系は持っていないので連結相手がいません。全指定席編成だと最短2連×2本になり、2連単独での営業運転は団臨でしかなかったと思います。このヘッドマークでも作成するか?

私にとっての南海電車はやっぱりこのあたりの時代ですね。南海ホークスが無くなり、電車が緑じゃなくなった昭和末期から平成初頭にかけては、南海にとって一大ターニングポイントになったと思います。緑のユニフォームを脱ぎ捨てた南海電車の今の現実を思うと、ちょっと複雑な気持ちになりますが…

個人的な趣味からいうと、このあたりの時代ってちょっとストライクゾーンから外れるんですが、南海10000系も同期の鹿島臨海6000形も、デビューから30年近くを経た今見ても新鮮さを失わないデザインだと思います。E23xを特急型に仕立てたような後継車12000系なんかより余程斬新に見えます。そして後年の塗色変更で台無しになったところも同じく…


もうひとつ

2014-04-10 21:12:07 | 地方私鉄(近畿)

 O氏提供の別府鉄道の画像、もう2カット有るのでこちらも。この頼りなさげなレールの上を重いDD13相当の機関車が良く走ったな、と。手前のタンク車は製鉄化学工業のタキ4070、希少な三菱製硫酸タンク車です。私は小名浜製錬のタキ34063を宮下で見たのみですが、手摺の形態はこちらと共通ですね。その向うに見えるのは多木化学のタキ55073或いは55074、晩年は酒田港に移り、羽越系統専貨をウオッチしていた人にはお馴染みの個体でしたね。更に彼方にはオタキ25000らしきものが数輌見えます。

別府港駅では土山線の客車は線路から直接乗り込め!と今からは信じられないような反バリアフリー的システムですが(個人的には無理にバリアフリー化された昨今の駅や車輛は、違うところで大きなバリアが出現してしまっているのが問題だと思いますが。狭いホームの真ん中で人の流れを塞き止める巨大なエレベータとか、お年寄りのご利用はお控えください、と言う席が出来たノンステップバスとか…) 野口線はちゃんとホームから発着です。キハの塗装は客車と同じ時代が有ったり、70年代半ばのショッキングピンク!とか、模型ではどの時代設定にしようか迷うところです。また、別府の車輛は老舗肥料メーカーのグループ企業としての矜持か、地方私鉄としては綺麗に整備されていた印象があるので、あまり汚くウェザリングするのは控えたいところです。


別府の混合列車

2014-04-03 23:02:34 | 地方私鉄(近畿)

 アシェットのタキ25000からタキ18600初期型を作る話で、チラリと別府の混合列車に触れたら、その友人から有り難くも画像を頂いたので、ハフがオタキとコトラに挟まれた衝撃的?な写真を紹介させて頂きます。オタキは容器再検査入場車なので、勿論アンモニアは積んでいないので安全です…って、清水港線の混合列車なんて、液化塩素や塩酸のタンク車を平気で繋いでいましたけど…

こちらにも前の方にオタキらしきものが繋がっていますね。中野(川崎車輛前)での貨車扱いは、下り列車で到着した入場車を解放した後、発送される出場車を連結してそのまま別府港まで行き、別府港発送車と合わせて上り列車に継送されるので、上り列車は中野では連解結扱いは無し、という運用パターンみたいですね。

 重ね重ね申し上げますが、画像を提供頂いたOさん、有難う御座います。早く模型でもこのような情景を再現できるようDB201やハフの製作をいい加減再開しなくてば。

(昭和56年4月6日 別府鉄道土山線 土山駅、別府港駅)