3連休はたまには遠出しようと企んでいたけど、週末を狙って台風襲来の恒例の流れに、結局近場日帰りだけで済ませることに。永年倉庫化していたあれの中が片付けられて入れるようになったのを見てきましたが、なかなか外に出してくれませんねぇ…
電源開発/敦賀セメントのマンホール3×2配置タイプなら、マンホール開閉ハンドル以外全部の真鍮パーツを取り付けてから、普通にホワイトメタルのマンホールを取付できる構成だったのに、大阪窯業の4ケ中央直列配置タイプだと、何故?な部品構成に…
屋根を逆さにした状態。中央に2枚付いているのが、表に角状に突き出した部分を表現した板で、屋根に開いているスリットに突起を嵌め込んでその角を表現していますが、問題はこの板がマンホールの足のストッパーを兼ねていることで、この様に最初に2枚ともハンダ付けしてしまうと、開閉ハンドルを付けるときに、こて先が入らなくなってしまいます。接着で妥協するにしても、流し込む隙間が小さいので面倒なことになります。かと言って、これを付ける前にマンホールと開閉ハンドルを付けようと思うと、ストッパーになるものが無いのでマンホール天板に当たるまで沈み込んでしまいます。ここではストッパー板兼突起部板を片側のみ最初に固定し、これをガイドにマンホール→開閉ハンドル→もう一方のストッパー板の順に固定しましたが、マンホール孔から少し内側に出る様に真鍮帯板をハンダ付けしてマンホールストッパーにしても良かったかな。電発タイプは屋根板自体がマンホールのストッパーを兼ねていたのでこの様な苦労は無かったのに、こっちは何で謎な構成になったのでしょうか…
台枠へのディテールの取付は台枠板を折り曲げる前に取り付けた方が楽に思えました。下に突き出したホッパ下部は、こんな感じに台枠板にハンダ穴を開けて取り付けた方が確実かな。
更新は相変わらずサボり気味ですが、その間にでもホキ3500の残り、大阪窯業のマンホール4個タイプも少しずつ進めています。敦賀車の反省から、ホッパ側板の変形を防ぐためのつっかえ棒を真鍮角棒で追加しました。このキットは構造上、屋根を付けた後に修正するのは困難ですし。
余談ですがこれ見ていると、ホキ5200も今更ながらやってみたいかなー、と。いや、あれは10輌無いと様にならんからな…
残りのディテールパーツを付けて、一応形に。カプラーをどうするかまだ考えていないけど…
敦賀セメント車の側面、社名板下に付いている手摺の様な棒、何かな、と思っていたのですが、落成直後の写真を見ると、ここに標記板(運用板?)らしきものが付いています。この棒は看板をぶら下げるためにあったのでした。これはΦ0.2洋白線を補強アングル部にイモ付けして表現、因みに付くのはこのサイドのみで、反対面にはありません。これは敦賀生え抜き、電発からの移籍車どちらでも共通です。同じ様な装備は日立セメント車にも位置が違うもののありました。
左から旧電発、生え抜きの日車製、汽車製。旧電発も生え抜き組と同様に、票差し類が別の板でホッパ側板から浮かせて取付けるように後天的に改造されていますが、取付位置は新製車とは異なる外、社章、社名板も無く、ホッパ側板に直書きされていました。
この辺で台車も手を付けます。昭和43年以前なら既成のTR41Cで良いですが、晩年の姿にしたいので、揺れ枕がコイルバネ+オイルダンパになったTR41Dにしました。最近は3Dプリント品もありますが、当時車体キットと同時に確保しておいた新貨車のTR41Dです。
製造時期によって、内枠にハンダ穴が抜いてあるのと無いのが混在していました。無い方も開けておきます。
折り曲げたらハンダを流してしっかり補強。
ホワイトメタルの外枠を低温ハンダで接合。モリタの低温ハンダなら、コテの温度設定を200℃程度にしておけば、余程当て過ぎない限りメタルパーツが融ける危険は少ないと思います。まあエポキシでも良いんでしょうが、ハンダなら冷めれば即実用強度なので楽です。
とりあえず敦賀分4組が完成。車輪はKATOのスポークを奢ろうかな。