信濃川田の旧長電モハニ131とモハ604、予定通りならもう安曇野に移設完了したのでしょうか。その後に取り残された車輛たちの今後が心配ですが…
搬出される2輌は他の車輛と切り離され、スタンバイ状態でした。これだけはきっちりブルーシートを掛けられていました。
以前は屋代方から、側線にモハ604+モハ1003、ED5002+モハニ131と一直線に並んでいましたが、搬出準備のため、モハ1003が本線に引き出され、シートも外されていました。動力車が無いのに、どうやって動かしたのかな? やっぱりワイヤーを掛けて重機で引きずったのかな?
本線上にはモハ1003と3500系、2000系A編成が一直線に並び、側線には搬出される2輌と、残されるED5002が並びます。
駅舎は観光案内所としての活用が検討されているようですが、残る車輛も保存活用を考えて欲しいところです。
本当は信濃川田の留置車輛を見に行くつもりが、この前に行ったアルピコ交通のバス祭りで予想以上に時間が潰れてしまい、長野駅前に戻った時には、川田駅を経由するバスが行っちゃった直後だったので、仕方なく直ぐ来た綿内行のバスに飛び乗り、2区間だけの廃線ハイクを…後あと考えれば、バス祭りの会場(アルピコ交通長野支社)と川田駅との間の距離は5~6㎞程度、駅前に戻らずタクシーで直接移動すれば良かったじゃん…と後悔しても仕方ないので、廃線後2年を経た屋代線の現況を、綿内―川田間だけ簡単にレポートです。
まだ廃線からの日が浅いので、路盤のバラストも生々しいですが、尾鉄と違って周辺の人口も多い(何せ長野駅から10㎞位の距離しか無いので)ので、道路整備や区画整理で痕跡が消滅するのも時間の問題でしょう。10年も経てばどこにあったのかも定かで無くなっているんでしょうね。
踏切も多くは完全に埋められていました。
若穂駅は元々簡単な施設しか無かったとはいえ、既に跡形もなくなっています。どこもホームは真っ先に無くなっている気がしますね。ここの踏切にはレールが残っています。屋代寄りには小さなガーダーも。
ここから先は一気に藪が深くなります。この先は鉄橋なので、農道代わりに使う人もいないからでしょうか。と言うことで、ここは迂回した方が賢明です。
対岸の築堤から。赤い下路式ガーダー橋もそのままですが、歩み板も枕木も無いので渡るのは危険です。
陸橋をくぐり、信濃川田駅の近くまで来ました。ここは踏切を埋めた後がはっきり判りますね。