雪うさぎのJunk Yard

へタレ地方私鉄モデラーの独り言と撮り鉄日記

当たり前に見ていたけど

2017-08-31 21:08:10 | 撮り鉄日記

 鉄道空白地域の基幹バスターミナルでは時々あったタイプ(と言っても絶滅寸前の様ですが)、それが駅前にあるのは極めて珍しいのではないでしょうか。私有タンク車を追い掛けていた昔は、ここから東新潟港や沼垂などの拠点への足として路線バスを愛用し、何気なく、ごく当たり前に見ていましたが。

 

駅前の雰囲気は15年前と大分変わってきた気もしますが、駅舎とこのバスターミナルだけは当時のまま、それもあと少しの命だそうで。出入りするバスのラインナップもガラッと変わってしまいましたし。有名な「なまず」や、一般的には希少だった初代ジャーニーQが沢山走っていましたし(山ノ下線は大抵これでした。でもメジャーな2代目はN交通では1台も導入されず)、最初に来たときは北村や呉羽のモノコック車もまだまだいましたね。


夏の旅行(6)

2017-08-31 20:44:49 | 撮り鉄日記

 蒲原保存車の最後は、粟島公園のモハ41、五泉市コミュニティバスの終点すぐそばなので、公共交通で行くには便利な場所ですが...

  

立派な屋根が掛けられているのは良いですが、村松城址のモハ11同様、外観はちょっと残念な状態です。室内はそこそこ綺麗なのですが、室内の公開時間は16時頃までなので注意。因みに私が行ったのは少し遅かったので、施錠されてしまった後でした。

 

台車はモハ13→モハ51から召し上げた日車軸バネ式。全線廃止で用途が無くなったので、主電動機他機器類は部品取りされていません。路面電車など短軸距の台車に良くある、外側に主電動機が吊り掛けられているのが分かりますね。大柄な車体の割には貧弱な足回りですが、やはり非力だったみたいで、現役時代は轟音の割には加速しなかった印象がありました。最後まで残った5輌の中では、モハ71が良く走り、住友鋳鋼台車もお椀型ベンチレータ、小さな1段下降窓と如何にも昭和初期の電車らしい風貌で好きだったのですが、失われたのが残念です。


夏の旅行(5)

2017-08-28 21:26:55 | 撮り鉄日記

 今回の保存車巡り案件の中でも、今後が非常に気掛かりな物件ですが、公共交通のみでは非常に行き難い場所でもあります。一応最寄り駅は磐越西線の馬下から約3キロ、あと新潟村松線高速バスの安田ICバス停も近いのですが、新潟行では乗車のみ、逆に村松行では降車のみ扱いなので、村松との行き来には使えません。と言う事で、村松駅前からタクシーを飛ばしますが、案の定、施設名で指示しても運転手は分からない模様、なのでGoogle Mapで指示して行ってもらいました。こういう時はスマホの便利さを認めざるを得ません。

 

何とか到着、村松からだと4000円程度です。涼しい季節なら五泉のレンタサイクルで行くのも良いですが、残暑が厳しい日で、とてもそんな気になりませんでした。

 

目当てのモハ51は草木に埋もれつつも残っていましたが、休館後10年以上経て、屋根のキャンバスは剥落し、大変残念な状態になっています。ただ、完全管理放棄の放置状態かと言うと、建物も含め人為的に荒らされた感じはありませんし、ほぼ全体が見られる状態になっているので、誰かが敷地の草刈り程度は時々やっているのかも知れません。

モハ11形一族の中で、これのみ台車がモハ41に召し上げられたため、冬鳥越と同形の旧デ1形のブリル77Eを履いています。車輪のスポークが面白い形状ですが、これも予備品として取られたのか、主電動機は欠品です。

モハ51の足元にはパンタグラフが2基置いてあります。これを修復して現役晩年にPS16に振り替えられている冬鳥越のモハ61を旧態に復元して...いや、このモハ51も...

  

先行廃止区間の駅名標や七谷駅?のホーム上屋、晩年しか知らない方にも懐かしい、村松駅ホームの水飲み台など、蒲原鉄道の歴史を語るグッズが朽ち、草叢に埋もれ行く...

Webサイトも放置状態になっていますし、この扉が再び開かれる日は来るのでしょうか…

今泉のモハ71とクハ10も残念な結末になってしまいましたし、個人で運営する資料館や博物館の継続的運営の難しさを思い知らされる例でしょう。そう言えば個人に譲渡されたとされるモハ12はまだ健在なのでしょうか?

(2017年8月11日 安田民族資料館)


夏の旅行(4)

2017-08-21 22:41:50 | 撮り鉄日記

 城跡公園のデハ11を撮ったら、とりあえず村松の駅跡でも覗いてきました。

 

駅舎兼本社屋は鉄路があった頃とほとんど変わっていません。

木造のバス車庫もそのままありました。入っているバスは4R94富士重やBU10北村ではありませんが...カナ中古CJM北村はおろか、5Eすらとっくに無いあたり、時の流れの速さを実感します。

 

線路があった場所はコンビニや駐車場に変わり果てていましたが、鉄製トラスの架線柱が1本だけ忘れられたように残っていました。


夏の旅行(3)

2017-08-17 23:42:30 | 撮り鉄日記

 蒲原の次は村松城跡公園ですが、加茂側から村松に直通するバスは夕方まで無いので使えません。と言う事でわざわざ加茂まで戻ってから五泉まで回らないと日が暮れる前に村松まで行けません。クルマならまっすぐ行けば10分そこらなのに...

 

近年屋根が新設されたのは良いのですが、電車まで修理するには予算不足だったようで、相変わらずの残念な状態です。

高畠や湯野浜とか、日車の地方私鉄向け小型電車に多用された軸バネ台車、駿遠電気由来の法勝寺デハ203の台車の発展形、といった感じでしょうか。同型のモハ13より台車を流用したモハ41(モハ13の車体はデ1の台車を貰ってモハ51に)の予備部品を確保したためか、主電動機は外されています。

 

床下はちょっと寂しい様な感じがしますが、直接制御で床下に接触器箱が無いので元々こんなものでしょう。

近くにはこんな元蒲原鉄道の廃バスの物置、北村の丸形ボディで、トップドアで前面幕は社名固定なので貸切車だった様です。今回は時間が無かったので近付いての調査はしませんでしたが、別の方が調べてくれていて、シャシはいすゞBA741P(エアサス!)だそうです。エンジンは付いているのかな?


夏の旅行(2)

2017-08-15 18:18:19 | 撮り鉄日記

 加茂市民バスのローザに揺られること約30分、途中廃線跡が見え隠れするのを眺めながら、冬鳥越に向かいます。

途中には七谷の駅舎も残っていますが、今回はスケジュールがタイトなのでスルーします。

電車を降りたら目の前ゲレンデ、ガー〇湯沢も真っ青な?元祖駅前スキー場も今は昔。

この電車たちがここに移設された時にはまだあった、架装シャシはいすゞかトヨタか不明ですが、北村のキャブオーバーバスボディ流用のリフト機械室はもうありませんでした。

 

最近綺麗に再塗装され、モハ1は村松の車庫でダルマさんになっていた頃とは見違えるようになっています。

  

ダルマさんに村松で転がっていた有り合せの部品で体裁を整えたために、色々突っ込みどころがあるのは仕方ないですが...CPとMGとエアタンクだけじゃ電車は走らないぞ。

  

車内もまあ色々言いたいところはありますが、それらしく体裁は整えられています。こんなのを見ると、たとえボロボロであっても、現物が形を留めていると言うことの意味を考えてしまいます。

   

モハ61は最後まで使われていたので、ほぼ完全な姿で当時を偲ぶことが出来ます。東は弘南から西は一畑まで、各地にばらまかれた旧武蔵野鉄道の残党も旅客車はこれしか残っていませんね。

  

室内も良い状態に保たれていますが、豪雪地帯故保守には苦労が多いと思います。数年おきに再塗装と屋根の補修をしているようですが、良い状態で恒久的な保存を望むのなら、屋内保存にした方が結果的には安上がりなのかも知れませんね。法勝寺のデハ203みたいに、イベント時には外に引き出せるようになっていれば理想的、かな。

 

ED1も勿論状態良好。廃止間際には貨物列車の公開運転とか色々やったのだから、無理しても行っておくべきだったと、今更ながら思います。

(2017年8月11日 蒲原鉄道線旧冬鳥越駅跡)


夏の旅行(1)

2017-08-14 14:26:07 | 撮り鉄日記

 東方面の廃止電鉄保存車巡り、先ずは蒲原鉄道の加茂方面から攻めますが、加茂駅前からのバスがあと1時間位ありません。複数の仲間がいれば問答無用タクシーになるのでしょうが、一人だと勿体ないので、1時間位なら...まあその前に陣ヶ峰の駅跡にホームとかが残っている筈なので、それでも見に行くか、と歩くこと10分強…

先ずは信越本線をオーバークロスする築堤と橋脚が見えてきました。因みに築堤の加茂寄りの部分は大半が撤去されて空き地になっています。

オーバークロスの五泉寄りを見ると、ホームが残っているのが分かります。

民家の裏に回ると…ここだけ見ると、まだ生きていそうな感じです。地方私鉄なら、この程度の荒れ具合で、案内看板も碌に無い現役の無人駅なんてざらにあります。

ホームに上がると、高い築堤が山の方に向かって延々と伸びていくのが見えます。真夏じゃなければこのまま歩いてみたい、という感じですが、実際には直ぐにガーダーの外された架道橋跡に突き当たるので、それより先に進めませんが。

加茂側をホームから望む、手摺は錆び切っているのでもたれ掛かると多分、転落の危険があります。もうちょっと見ていきたいところですが、そうこうしているうちにバスの時間が迫ってきました。因みにここから冬鳥越方面、土倉線のバスに乗るなら、駅前まで戻らなくても、加茂市民病院バス停も経由します。

(2017年8月11日)


帰着

2017-08-14 00:20:47 | 撮り鉄日記

 天気は良いとは言えなかったし、途中失敗もやらかしましたが、何とか当初計画の目標はほぼクリアしました。

バス停のポールの名前は大都市近郊の新興住宅地みたい、しかしとっても山の中…この辺良く熊も出るみたいだし…


夏の旅行は

2017-08-10 00:16:08 | 撮り鉄日記

 「消えた電鉄の残影を追って 東日本編」といった感じに決定。ターゲットは広範囲に分散しているので、候補に挙がりながらスケジュール上外さざるを得ない場所も結構ありますが。廃止された鉄道の終点や主要駅付近にあるターゲットも、歳月の経過とともに代替バスもその役目を終えつつある場所も多く、その行路の設定には苦労しました。でも週末の天気はあまり良くなさそう…