雪うさぎのJunk Yard

へタレ地方私鉄モデラーの独り言と撮り鉄日記

もうひとつの愛電デハ3300

2013-06-30 15:02:41 | 実車資料

 旧愛電デハ3300系は北鉄の他にも、豊橋鉄道と大井川鉄道に譲渡されていますが、大井川のは昭和55年位には運用離脱、昭和60年頃に廃車、解体されているので、現役時代に触れる事が出来たのは、北鉄と豊鉄だけです。サイドビューに原形の面影を良く残していた北鉄3770に対し、ステップ切り落とし、3扉化、非貫通化と無残な姿に成り果てた豊鉄1800には、比較的遅くまで存命だったにも拘らず、余り食指が動きませんでした。

 

重い腰を上げて豊鉄渥美線を初めて訪問したのは、1500V昇圧の話が具体性を帯びてきた頃です。 しかも名鉄揖斐、谷汲線のついでに…今思えば1日費やしてでも朝の走りを撮っておくべきでしたが、名鉄600V線の魅力の前に存在が霞みました。それにしてもこの電車に埋め込み方向幕も、角形の2灯式ライトケースも如何にも不似合いで、魅力を削いでいた事は否めません。

こんなカットからはオリジナルの片鱗を微かに感じます。1801Fは昇圧後も高師に保存前提で暫く留置されていましたが、名鉄グループの方針が変わった事もあり、数年後には結局解体されてしまいました。戦前期に高水準を誇った旧愛電系の電車も、近年まで3200,3300,3400が現役で残っていたのに、五体満足に保存されたのは1輛も無いのが残念です。

 

旧西武220も、長電流れも、適当にしか撮っていません。この少し後には1500V昇圧で在来車は一掃され、今では東急しかいませんが…

(1995年3月28日 タイトルカット:高師駅、他:三河田原駅)


上高地界隈今昔

2008-10-10 21:39:22 | 実車資料

 最近更新サボり気味ですね…先日、両親を上高地へ招待してきました。今や乗り入れる路線バスは環境を配慮してハイブリッド限定なんだよね。。。ついこの間まで、バス窓北村ボディのBUとかが盛大に黒煙を吐きながら走っていたと思っていたけど、もう消えてから10年以上経つんだよね。新島々近くに廃車体が残っているという話を聞きましたけど、見回してみてもそれらしいものは見付けられず。。。

 何か模型になりそうなネタは…先日の宝塚ホテルの阪急電車に続いて、ホテルのロビーに鎮座するオブジェ第二弾で。上高地帝国ホテルのギフトショップ入口にあった、創業時の建物(昭和8年築)の古い模型です。規模的には小ぢんまりして程好い感じです、といってもGMの木造校舎よりデカいですが。因みに現在の建物は非常に良く出来たレプリカ(必ずしも原型に忠実という意味ではありませんが)ですので悪しからず。


ちょっと一息?

2008-09-07 21:55:36 | 実車資料

 ちょっと一息、といっても、いつもそればっかりでは何時まで経っても進行しません>北鉄旧型

 と言うことで、今日は箱根登山108のSE金太郎塗りを早速見てきました。友人に見せたら速攻で「オデコが朱色に塗られていない」と厳しいツッコミが返ってきました。そう言えば京福福井2001の登場時や名鉄510急行色も、キャンバス部分まで車体色で塗っていたのを思い出しました。

 余談ですが、今日一日で乗った電車が全部旧型というのも最近珍しい…残り2連1本となった吊り掛け車にも乗ったし。

(撮影:2008年9月7日 箱根登山鉄道 大平台駅にて)


北鉄旧型車の遺品

2008-08-31 11:08:40 | 実車資料

 今回は私の所蔵する北鉄の旧型電車の遺品を2つ程、数年前の鶴来イベントで購入したものです。

 右側の検査銘板は、確か石川線の検査標記は車体に直書きだった筈なので、浅野川線の物と思われます。最終期限は69-4、平成に直すと6年、しかし浅野川線の昇圧、旧型車置き換えは平成8年、あれれ?と思いましたが、浅野川線旧型車は末期には検査標記がステッカーになっていた模様なので、解体された時でなく、最終全検の時に剥がされたと一応結論。ともあれ、この銘板で下の朱色がマッハ朱色4号に近似すると言う事が判明。

 問題は左側の急行看板、販売担当の社員の方に伺ったところでは、石川総線の物という事だったのですが、少なくとも近年(80年以降)は、北鉄で急行と言えば浅野川線、石川線は準急だけです。しかし準急があれば、急行もあると思うのが自然なのだが、果たして真相は…浅野川線で準急角看板の写真はまだ発見していないし…因みにデザイン自体は、昭和50年代初頭まで石川線で使われていた準急看板と文字色の違いだけです。


今にもこちらに走ってきそう?一畑デハ1形

2008-08-24 18:39:03 | 実車資料

 落穂拾いの旅、第3弾は一畑電車大社線、高浜駅近くにある「さとがた保育園」に保存される一畑デハ1形です。模型の材料はその仲間たちを含め、既に確保済みなので、16m動力の発売が待ち遠しいところです。

 一畑大社線の線路際にデハ3と6の2輌が手を繋いで保存されています。デハ6はパン上げ状態なので、反対側から見ると田圃の中を走っているが如きです。こちらは前照燈と塗装以外は最後の姿を留めています。

 綺麗に再塗装されたばかりのデハ3。周囲に資材が散らかっているので、まだ整備途上でしょうか。屋上のベンチレータが無くなっているのが気になりますが、オーナーの園長さんはかなり拘りのある方らしいので、きっと元に戻してくれるかな? 因みにこの木製扉になった保存車仕様も、kitcheNさんから製品化されています。

 デハ3の社章、レプリカですが昔の「まるいち」マークが再現されているのが泣かせます。

 「一畑パーク」の広告が涙モノです。晩年の同車には何度も乗ったことがありますが、付いていた記憶がありません。園長さん秘蔵のコレクション?

 現役時代に何度も訪問して乗った電車なので、このような素晴らしい状態で保存されているのは嬉しい限りです。廃車後10年位経過していますが、数年おきに再塗装しているので、現役時代より綺麗です。デハ6が再塗装の度に色が変わるのがお茶目?(最初は現役末期のクリーム+青帯ですが、今のオレンジ+白帯になる前は、昭和30年代のクリーム+マルーンのツートンになっていたらしい)

  間もなく引退のデハニ50形に部品を供与したため、コンプレッサなど床下機器の一部が欠品ですが、この種の保存車で、下回りまで綺麗に保たれているのは珍しいです。いつまでもこの状態を維持して欲しいものです。

(撮影 2008年8月16日 一畑大社線高浜駅付近、さとがた保育園にて)


残照 日の丸自動車法勝寺電鉄線

2008-08-23 19:48:30 | 実車資料

 米子駅からバスで20分位、小学校の校庭の片隅で静かに佇む小さな木造電車、日の丸自動車法勝寺電鉄線デハ203…最後の働き場所が廃止となり40年以上経過し、同車の流転の歴史の中でも、ここに鎮座している時間が最も長くなりました。

一応時々補修されているようですが、窓枠や解放テコなど欠品やオリジナルではない所も散見され、状態はあまり良いとは言えません。引退後40年経た木造電車が、晩年の姿を留めているだけでも良しとしなければならないのかな。保存されているシチュエーションは私的には素敵に思うのですが…貴重な車輌であるので、屋根が無事なうちにちゃんと補修されることが望まれます。

車内は埃を被っていますが、屋根がまだ無事なので、欠品を除けば辛うじてそこそこの状態を保っているようです。

軸箱の蓋に日本車輌の陽刻が残る台車と、今や貴重品のシャロン上作用式自動連結器。

こちらは米子駅前の商店街で保存されているフ50。塗装はくたびれていますが、数年前に徹底的なレストアが実施されているので、全体の状態は良好です。

 (撮影 2008年8月15日 デハ203/鳥取県西伯郡南部町 西伯小学校、フ50/米子駅前サンロードにて)


最近気になる鉄道…神戸電鉄

2008-08-23 00:37:25 | 実車資料

(三田線 横山-神鉄道場にて)

 今年の短い夏休み、山陽、山陰方面の気になりつつも行きそびれていた場所を一斉消化する?落穂拾いの旅に出掛けてきました。

 最初は兵庫県内、初日の午前中は、播磨地方の廃止鉄道保存車(別府鉄道、北沢産業)を巡り、午後からは本命?の稀有な都市型登山鉄道、神戸電鉄です。先ずは公園都市線を除く全線を完乗して撮影ポイントをチェック。この日は宝塚で一泊、翌朝は三田線の単線区間から攻め、午後は粟生線に移動しましたが、正直準備不足と時間不足で、不完全燃焼な結果に終わりました。ただ大体感触は摑めたので、次回の訪問時に期待することとしましょう。

 ここの電車は大きく分けて、1000系、3000系と、2000/5000系、まだ1本だけの最新鋭のSUS車6000系とありますが、勿論本命は1000系、といっても現存車で昭和43年~平成3年の長きに亘り増備された多数の形式の寄り合い所帯であり、丁度かつての小田急FM系(2200~2320形)みたいなカオスぶりを呈しています。顔立ちも小田急2220やHEと良く似ていて、少し懐かしさを覚えるスタイルです。特に私のお気に入りは、前パン・2扉の1100形他です。

沿線は開発が進んできたとは言え、まだローカルムードを味わえる場所も多く残されています。ローカル私鉄ファンも、準大手だから、と食わず嫌いせず、今のうちに一度訪問することをお勧めします。前パンを振りかざし、50‰の連続急勾配を力強く駆け上る1000系は魅力的だけど、先はもう長くないと思われるので。
(三田線 二郎-田尾寺にて)

木製架線柱に簡素な踏切、地方のローカル私鉄ですら急速に姿を消している情景が残っています。赤字経営の閑散ローカル線が「近代化助成」を利用して施設の近代化を推進する一方で、自助努力で何とか収益を確保しているものの、思い切った近代化投資をするだけの余裕も無く、かといって黒字収支故に助成スキームからも外れる、ある種の不条理の裏返しでもあるんでしょうけどね。


備忘録 北鉄石川総線の旧名鉄車たち

2008-08-21 00:55:11 | 実車資料

 模型のディテール工作に着手する前に、まず北鉄石川総線の旧型車のディテールの変遷と個体差について、ちょっとおさらいしてみます。尚、この項ではモハ3700を除く旧名鉄車のみを対象とし、モハ3700、3710形や、北鉄オリジナルの3730、3750、3760形は調査不足の為、今回は割愛させて頂きます。

★全形式共通の変遷

 (1)前照燈のシールドビーム化…昭和54-55年頃
 クハ1720形はライトケースごと小型の物に交換、他形式は旧来のLP42のケースを活用し、中にシールドビームを填め込む形。尚、モハ3740形は入線当初よりシールドビーム。

 (2)ジャンパ栓の新型(KE70)化…昭和59年頃
 野町方前面の向かって右側のジャンパ栓は、従来は旧型3連装備でしたが、国鉄103系や205系のと同等のタイプ1個に交換された。昭和59年に事故で損傷して休車となり、そのまま61年に廃車されたクハ1724は未施工。

 (3)ドアステップの廃止…平成元年頃
 旧東急7000系の導入に先立ち、各駅のホーム嵩上げを実施した為、在来車も移行措置として全車ドアステップを撤去。改造後は鉄板で客扉下部を埋めた痕が判ります。

★各形式の形態分類と変遷

☆モハ3740形

 (1)台車…3741、42はボールドウィンタイプ(名鉄揖斐・谷汲線に最後まで残ったモ750形と同型の、緩い弧を描く弓形イコライザを持つタイプ)、3743、44は基礎ブレーキを両抱き式に改造のMCBタイプ。

 (2)戸袋窓…3741、44は昭和61年頃、戸袋窓を金押さえ式に変更。3742、43は木枠のまま廃車。

 (3)ウインドシル…最末期、3741、43は側面のみ、3742は全部のウインドシルが段付から平帯になっていた。

☆モハ3770形

 (1)ランボード…3772は73と比べ、パンタ下ランボードが長く、かつ厚みがある。

 (2)戸袋窓…両車とも昭和59-60年頃に戸袋窓がHゴム化されている。

 (3)塗り分けライン…昭和50年代初頭までは、下半身の朱色が段付きシルの下段部分まで塗られていた。

 ※トップナンバー3771は昭和45年に事故廃車と短命だった為、写真はほとんど残されておらず、今回の検証からは外させていただきました。

☆クハ1720形

 (1)側面窓…1721を除く3輌は、昭和50年代前半に側窓上段がHゴム化されている。後述の1721更新後と違い、旧来の上段窓枠をHゴム支持のにはめ替えただけなので、窓は外板から1段凹んでいる。

 (2)貫通扉の窓…1724のみモハ3770形と同型だが、1722、23の窓は3770形より下方向に長い。1721は他車より窓の横幅が広い。

 (3)扉上の水切り…オリジナルではへの字の水切りが客扉の上に付いているが、1723は(1)の窓枠更新時とほぼ同時期に、雨樋と一体の一直線の物に交換。1721は後述する更新時に水切り自体を撤去。

 (4)塗り分けライン…モハ3770と同じく。但し、1721は昭和50年代初頭から休車状態が続いていたので、後述の更新時まで旧塗装で存置。

 (5)車体更新(1721のみ)…前述したように、1721は昭和50年代初頭から休車状態だった。ところが、昭和59年に1724が事故で台枠を損傷、代役として急遽1721を更新して復活させることに。外板張替えとウインドシル、ヘッダーの平帯化、側窓上段のHゴム化(他車と異なり、Hゴム窓は外板とツライチ)、雨樋交換と水切り撤去、内装のニス塗り→ペイント塗り化と、面目を一新した。琴電71や880と並ぶ奇蹟の復活劇でしょう。

 以上、色々ツッコミどころはあると思いますが、もし指摘がありましたら、コメント頂けると幸いです。