雪うさぎのJunk Yard

へタレ地方私鉄モデラーの独り言と撮り鉄日記

これはちょっと

2020-01-26 20:23:38 | 撮り鉄日記

 どうも最近はこの会社も電機に商品価値がある?と認識したためなのか、折に触れ色ガマが登場しますが…真っ黄色はちょっと間抜けな感じがします。せめて裾には白を入れた方が良い様な。

ピンクとか、ビビットな緑とか、最近になって黒も現れたようですが、正調のリバイバル茶色はいつまでもやってくれないな…108号の松尾鉱業旧塗色(現行になる前の昭和30年代の派手な奴、2色あるけどどちらでも)でも良いけど。

 

途中マイナーチェンジを挟みながら、松尾鉱業時代に遡ること約半世紀の間使われ続ける、現行秩父電機標準色、八幡平山麓や秩父の自然あふれる風景の中でも見映えするけど自己主張が強すぎず、優れたデザインだと思いますが。

(2020年1月19日 秩父鉄道 武川駅)


期間限定

2020-01-25 19:39:17 | 撮り鉄日記

 さて本題、以前より見てみたかった場所が見られるよ、と言う話を聞いて。

 

水道工事の迂回路として指定された経路が、かつてナロー軌道が引き込まれていたと言う貨物ホーム上、でも休日は休工で該当する正規の経路は普通に通れたので、この迂回路通って良いのか?と疑問を感じたのですが…

しかし、いつもはロープが行く手を阻む構内道路は開放状態で普通に入れる状態。でも正規の経路が通れるので、ここを通る人もクルマも無し。では、このナロー軌道の跡と伝えられる構内道路よりお邪魔してきました。性格上、余り長居して大っぴらにパシャパシャやるのも憚られるので、さっさと手際よく撮って退散してきました。

  

この上屋にはナロー軌道で運ばれてきた石灰窒素の袋や合金鋼のインゴットが山積みされ、秩父鉄道の貨車に積み替えられて、各地に運ばれて行ったのでしょう。

   

貨物ホームが使われなくなって相当な年月が経ちますが(昭和50年代初頭にはもう使われていなかった?)今でも本線と繋がり、架線も残っています。

外にも何か所かありますが、ナロー軌道の忘れ形見、側溝の蓋は軽レールを組んだものです。

    

気になりつつも遠目に見るだけだった、渋い事務所棟も近くから観察。

惜しむらくは、歴史を感じられた、マル昭 石灰窒素や、フェロクロームの広告が擦れながらも残っていた上屋が最近になって真っ白に塗り直され、新ロゴマークで塗り潰されてしまったことですが、これからもこの歴史ある建築物を使っていくからとポジティブに考えるべきなのか。

令和になって尚、昭和の情緒漂う駅の風景…ベンチの向きだけは現代的か?

(2020年1月19日 秩父鉄道 影森駅)


こっちの方行ったこと無かったな

2020-01-22 00:16:46 | 撮り鉄日記

 で、本題に入る前に寄り道。

 

この辺は何度も訪れていますが、武甲支線の廃線跡の方は行ったこと無かったな、と歩いてみることに。三峰口の日窒鉱業ホッパー同様、90年代初頭までそのままだったのに、残念ながらその頃には行っていません。

 

武甲支線と三輪側線が本線から分岐する付近の踏切脇には、こんな小屋があったのですね。

 

本線(左)と、三輪側線(右)に挟まれた草叢の下に、武甲支線の線路が途切れつつ埋まっています。ビームは欠失していますが、木製架線柱も残っています。

 

本線から離れると、線路も途切れ、間もなく遊歩道として整備された区間に入ります。

  

立ち並ぶ架線柱は、ビームこそ無くなっていますが、秩父本線でもお馴染みの古レールを利用したものです。

 

100mそこそこで遊歩道は途切れますが、その先も廃線跡は続きます。

レールや枕木の残骸が積んであります。

 

その線路敷きも、すぐに毒々しい色の池と、石灰石の山に阻まれます。この先が旧武甲駅構内の模様です。当時のホッパービンらしき構造物もありますが、石灰の山に半分埋まっています。

こんな感じの古びた建屋の雰囲気が良いですね…

 

廃線跡から県道に上がったところに鉱業所の事務所があります。秩父鉱業の社章って、旧浅野系を表す扇の中に鉱山の象徴ツルハシなんですね。

公式には武甲支線の廃止は1984年ですが、80年代初頭にはほとんど列車が走ることは無かった模様で、1981年撮影の写真だと、構内の線路はほとんど石灰に埋まっていた様子が伺えます。この頃だと、高麗川の日本セメント埼玉工場向け赤ホキ列車は武州原谷発のみになっていたのでしょうか。

(2020年1月19日)


ボックスシートの電車に揺られて

2020-01-19 21:41:16 | 撮り鉄日記

 大牟田ネタも台湾客車もまだなのに、ちょっと面白そうな情報を聞いたのでちょっとお出かけ。

 

熊谷経由の方が速いし、運賃も安いのですが、何となくこんな電車に揺られていく方が好きなので、東飯能経由を選択。登場後30年以上経ちますが(足回りは更に古く半世紀前)後継車の話題も全く聞かないし、西武ではこの手の電車は1代限りで終わりになりそうですね。東武は伝統的にこの手の電車を用意してきましたが、こちらも6050系で最後になりそうですね。どちらともほぼ末端ローカル封じ込めになってしまいましたし。

  

2扉クロスシートはラッシュには使いにくいし、かと言って今更特別料金を徴収できるアコモデーションじゃない、国鉄急行型電車と同じ運命にあるのでしょう。両端Tcなので地方私鉄への譲渡も今更無いだろうなー。そもそも地方私鉄でも錆びないステンレス電車か、観光電車でもリクライニングシートか、最低でも転換クロスの元特急車を望まれる様だし。

登場した昭和63年当時でも、テーブル下のこれを使う機会は既にそうは無かったのでは無いでしょうか? 今度瓶のコカコーラかウイルキンソンジンジャエールでも持ち込んでみようかしら。

こっちも例のB29みたいな電車に追われる立場になっていますね。足回りは4000と同じだし。

(2020年1月19日 西武秩父線 西吾野)


ふと思った

2020-01-15 23:45:20 | 撮り鉄日記

 土曜日の夕方、仕事をさっさと終えて、最終の新幹線で行けるところまで、と言う事で宿泊地を設定。空路なら最終目的地まで行けそうですが、今度は羽田での乗り継ぎがかなりタイトになりそうだったので。そう言えば鳥栖って佐賀県だったよな、と今更当たり前のことを言ってみたり。意識していなかったけど、佐賀県で泊まるのって確か初めてだったような。これで宿泊した経験のない都道府県はあと10位しか無かったような。

   

国鉄の面影を感じる駅って、東日本管内では気付くと非常に少なくなってしまいましたし。

  

幹線らしい堂々としたホームと上屋。今となっては過剰設備でしょうが。

 

色々な意味で多分縁の無さそうなブルジョア列車。それにしてもピカピカなこと。この手の列車、深夜は殆ど運転停車なダイヤみたいですが、カーテンの隙間から今どこかな、と覗くのが夜行列車の醍醐味だと思う私にはそれだけで興醒めです。でもこのアイデア、沿線の騒音対策や保守間合いの確保で、深夜帯の運転が難しい新幹線での夜行列車の設定に利用できないかな、と思います。例えば東北新幹線で、現在の仙台行き最終の少し後に出発して、仙台到着後、朝まで乗客を乗せたまま駐泊、始発少し前に出発して、新青森に朝早く到着できる、みたいに。


もう休みも終わりか…

2020-01-05 21:50:31 | 外国型

 正月には遠出を目論むも、新年早々体調を崩すと言うお粗末っぷりで、結局何も出来ないまま正月休みは過ぎ去って行きました。ただそれだけでは余りにも悔しいので? 年末に大宮で仕入れてきた2輌の台湾客車でも組んでみることに。これだけ見ると海外モノを組んでいると言う感覚が無くなりそうですが、省型で17mの切妻鋼製客車って戦災復旧車以外には無いので、ちょっと新鮮な感じです。1/80だと昔、フジモデルからこの類のベースキットがお馴染みの構成で数形式出ていましたが、当時は今ほど台湾の鉄道に注目するモデラーが少なかったと見え、今となってはまず出てこない超レアもの扱いになっているようですが。

日本型には無い、台湾らしいディテールと言うと、デッキの低床ホーム対応大型ステップと、やたらゴツい幌枠でしょうか。バリアフリーが叫ばれ、新幹線や観光列車まで座席を削って車椅子スペースにしろと要求されるご時世ですが、欧州でもアジアでも北米でも、長距離列車の客車はバリアフリークソ喰らえの低いホームから高いステップをよじ登らなくてはならん所の方が多くないかい? しかも先進国でも、と思ってしまうのですが。

基本的には日本のガレージキットに似ていますが、経験の浅さ故なのか、設計に?が付く部分も少々見受けられました。妻板のRは角が出ているし、妻板の内張と一体のデッキ扉部分を綺麗に曲げるのは至難の業だし、あと屋根を曲げ易いように裏側にエッチングのスジが入っていますが、蒸機や凸電機のキャブ程度ならともかく、17mの車体全体だと綺麗に曲げるのはかなり難しくないかな? しかも悪いことに中心線上にはベンチレータの取付穴、普通に曲げようとすると中心に綺麗に?稜線が入ってくれます。裏からスジにハンダを流して、表をヤスってごまかしておきましたけど。


本年もよろしくお願いいたします。

2020-01-01 21:02:49 | Weblog

 相変わらず怠慢なブログですが、本年もよろしくお願いいたします。

 例年だったら初詣はとりあえず近所の神社で、なんですが、再開発でタワーマンションがいくつか建ったためか、ここ数年、並び始めてからえらく待たされるようになったので、どうせ待たされるならと少し遠出してきました。

  

結構有名な場所なので、案の定凄い人だったのですが、アクセスする交通機関も、受け入れる神社側もキャパシティに限りがある中、上手く人の流れをコントロール出来ていたので、思ったほど時間を掛けずに目的完遂。

年末のあの国民的イベントと言い、受け入れ側のキャパシティを拡張することや、受け入れ人数をただ絞るだけでなく、大切なのは人の流れを上手くコントロールする技術なんだなと妙に納得してしまいました。あれだけの巨大イベントを大きな混乱なしに完遂できると言う事は実は凄いことなんだな、と。