雪うさぎのJunk Yard

へタレ地方私鉄モデラーの独り言と撮り鉄日記

今から約13年前の琴電 その1

2011-05-29 20:40:50 | 地方私鉄(中国・四国)

 長尾、志度線の釣り掛け置き換えが迫る1997年の暮れ、嵐の前の静けさと言うのでしょうか、いつもと変わることなく、当たり前のように半世紀~70年以上前に生まれた超旧型車が走り続けていました。冷房化率0%の今では、いや当時でも信じられない様な世界です。既に野鉄も無く、一畑からはオールドタイマーはほぼ消え去り、銚電は変な色になっていましたから…
 朝のラッシュ時にはご覧の様な750+71+62なんて大変贅沢な編成?が楽しめたものです。

 奇跡の復活を遂げ、最後に琴電激動の5年間を走り抜いた71の晴れ姿です。

 イベントじゃ無いのに、当たり前にこんなのも次々やって来ました。寄りパンの2連もこれはこれで味があります。

 そんな中で元京急230は「ハズレ」扱い、貫通改造車だったらどうでも良いや、何て今考えればとても贅沢なひと時でした。

 奇跡の復活のもう1輌、880はTc車である故に、やはりあまり走る事はありませんでした。


とりあえず整形

2011-05-29 10:43:04 | 地方私鉄(中国・四国)

 最近のパターン通り、付属のオデコメタルを半田付けし、足りない分は半田をたっぷり盛りつけて、例の如く周囲に鉛ハザードを拡散させながら(笑)モーターツールで大まかに削り→#180ペーパーで形を整えます。ここの形状で印象が大きく変わるので、資料を見比べながら、納得の行くまで調整を続けます。まだ要微調整かな? 

 仏生山の880や平木の71の如き長期放置中だった琴平電鉄オリジナル車も同様に整形。旧作なのでオデコメタルの車体への固定や隙間埋めは瞬間接着剤です。もうちょっとRがなだらかになるまで削り込んだ方が良いかな?

 仏生山の880、こんな状態から、もう一度復活する事になろうとは夢にも思わず。71も復活の為、平木から仏生山に引き揚げられ工場の奥で作業中なのを見ましたが、解体前に部品を外しているのだろうと思った位でした。

 南海の「簡易半鋼」と同じように、木造車の足周りはおろか、屋根や建具まで再利用した為、独特な形態ですが、どちらかと言うと地味な存在だった長尾線67、茶色ツートンにリバイバルされて有終の美を飾ったのに行けなかったことと、ターミナルプランニングのキットを入手し損ねた事に今更ながら後悔。


走る東芝♪

2011-05-22 13:31:38 | 地方私鉄(中国・四国)

 仕掛品がまだ山ほどある中、またこれに手を付けて益々収拾困難に陥っていますが、仕掛けて数年放置の琴電オリジナル車の再開に合わせて、その仲間たちも…と言う事で。

 震災後の東芝節電CMのバックに「光る東芝の歌」が復活しているから、と言う訳ではありませんが、稀少な東芝製の電車71です。東芝の電車は東武5720・5800(車体は自前ではありませんが)のカルダン駆動で懲りた為か、以降は電装品のみの展開に移って行ったため黒歴史化してしまいましたね。DLはDF200で雪辱を果たしたものの、モノレールとか、このメーカーはこんなパターンが多い気がしますが・・・(苦笑)

 志度線の72番はコンビを組んでいた81共々小型で、輸送力に劣る為か、いつ行っても今橋の奥で寝ていると言うイメージだったので、奇跡の復活後、長尾線の増結車として比較的良く走っていた71をチョイス。71の走り写真もどこかにあった筈…とポジを探しても行方不明なので、今橋で昼寝中の72を貼っておきます。


ある穏やかな日

2011-05-15 22:56:40 | 地方私鉄(関東)

 かつて常磐沿線が、首都圏在住のローカル私鉄ファンにとってはお手軽な巡回コースであった頃。私が初めて訪問した頃には、鉾田線にはキハ42000の残党が、湊線にはステンレスのケハ601にキハ11、日立には東横キハ1や宇部の残党がいたのも昔語り…

 湖畔に伸びる草生した線路の上を滑る旧型気動車、こんな穏やかな情景ももう戻って来ません。「少し」不便、「少し」不快、「少し」退屈…を撲滅する為に必死になった、果てしない欲望の代償は余りにも大きすぎないでしょうか。巷に溢れる大画面テレビに、どこに行っても寒い程良く効いている冷房、ファミリーカーは巨大なミニバン…「エコカー」「エコポイント」なんて言葉が欺瞞にしか聞こえません。電車も地下鉄じゃ無いのに昼間も室内灯を点けっ放し、通年空調使用を前提に設計なんて間違ってないでしょうか。

 ローカル私鉄に続き、常磐線北部が二度と乗る事が出来なくなる様な、悲しい結末にはなって欲しくありません。

 また穏やかな日々が戻って来る事を強く願い…