雪うさぎのJunk Yard

へタレ地方私鉄モデラーの独り言と撮り鉄日記

悪癖

2014-05-31 00:36:20 | 地方私鉄(近畿)

 作り掛けで長い間放置しておく悪い癖は相変わらずで。

結果、その間にもモハ1005のパンタ位置が1010と違うことを示す決定的な証拠が発見されたりして(つまりキットのままではダウト)、また完成が遅れる…


別府ハフ7近況

2014-05-25 11:13:03 | 撮り鉄日記

 ぼちぼち別府も続きを、と考え始めたところで、鉄コレ相鉄モニ2000を買いに行きがてら、別府ハフ7改め、神中ハ24をかしわ台に見に行ってきました。登場時の写真だと、窓は1段だったはずですが、復元後も晩年の2段窓のままで、別府の面影を残しています。

 余談ですが、相鉄が神中3号機を小名浜臨港から譲り受けて復元した際、当時の客車も同時に保存したい、と言う意向で、別府鉄道にハフ7の相鉄が別に調達した2軸客車との交換トレードを提案したそうですが、先方はまだ使いたいということで、結局廃線まで実現することはありませんでした。実際に別府ではハフ5より7の方を良く使っていたようなので、オープンデッキで入換に好都合だったのでしょう。因みに交換対象として名前が挙がったのは、旧阿南鉄道のガソリンカーであった蒲原鉄道ハ2だったようです。

ここまで来たからにはモニの本物を。塗色が鉄コレより橙色に近い感じなのと、鉄コレはちょっと幅が広い気がします。2セット買って検測車3連にすると、モニ2005が1輌余るので、後に犬吠駅前に行った2022にしようかと思ったのですが、意外にも同車の相鉄時代の写真が見つからない…更新2000系で最初より両運、貫通型って確かこの2輌位だったよね?


浦川原駅舎

2014-05-18 11:38:13 | 撮り鉄日記

 頸城鉄道営業当初の面影を今に伝える浦川原の駅舎ですが、前回訪問時は覗かなかった待合室を覗いてみました。

 

意外にも山岳リゾートをイメージさせる、野趣あふれる山小屋調、なんですね。梁にはそれらしき飾り彫りもあり凝っています。鉄道晩年にあたる昭和30年代の建築ですが、観光地の最寄り駅でもないのに珍しいです。当時はここを上越地方の観光地への交通の拠点にしたいという意図があったのでしょうか?

回りの緑ナンバーの本物の営業車に囲まれて同化する偽路線バス2台…


聖地巡礼4

2014-05-18 11:07:49 | 撮り鉄日記

 4日の晩は直江津駅近くで宿泊、最後の目的地、百間町の訪問に備えます。自家用バスでの旅の最大の苦労は「置く場所に困る」こと、ビジネスホテルでバスを置いても良いよ、と言う所を探すことから困ります。幸い今回は市街中心部から少し離れた場所なのでOKでしたが、郊外型で駐車場が広いことを売りにしている某チェーンホテルが大型NGなのは意外でした。

5日の百間町、まずは2台のバスを裏の農協の駐車場に置いて、の前に、レールパークの入り口に頸城自動車子会社「くびき野バス」のLT/富士7Eが置いてあったので、そばのイベントスタッフにお願いして並べさせてもらい、ここで偽路線バス2+本物の路線バス1の3並びでゲリラ撮影会。こうやって見るとジャーニーQの幅は狭いですが、エアロミディの幅は大型ショートのLTと余り変わりませんね。終わったらすぐ農協に偽路線バスは引き上げ。

  

あとは頸鉄の保存車をじっくり見て、撮って、乗って。天気はどんより曇り、時々小雨、でもこの場所は丁度南北に線路が配置され、朝早くと午後遅くなってからしか順光にならないので、下手に晴れるより良いのかな? 今回はいつもはコッペルの後押し役なDC92が主役で先頭に立ちました。

なので、今回はコッペルは浦川原寄りの端にポツンと取り残され…

 

前回の訪問時はレストア中で見れなかった、今回のバスツアーの主催者が是非見たいと言っていたホジ3は、今回のイベントでは運転要員が農繁期!のため確保できないという理由で、体験乗車は無しで残念。ホジの変速機が余り調子が良くないのと、レールパーク内の線形に些か無理があるので、転轍器通過時にギア抜けが頻発して立ち往生するので、一部の熟練スタッフ以外は原則運転禁止、だそうで。

 

それでも直線だけなら動かしても良い、と言うことで、車庫の外まで少しだけ動かして頂きました。スマートな尾小屋キハ3と比べると、左右非対称な顔、明らかにミスマッチなHゴムの乗務員扉と、お世辞にも恰好良いとは言えませんが、それが何とも言えない味わいを醸し出していると言うか…

(2014年5月5日 くびき野レールパーク)


聖地巡礼3

2014-05-11 12:13:41 | 撮り鉄日記

 昼前に尾小屋を後にし、さて続いては午後の部、「なかよし鉄道」。子供向けの施設とは言え、わが国有数の規模を誇る保存鉄道でしょう。

  

以前の保存地で積雪のため潰れてしまった屋根を簡易的に復旧したため、食パン面になってしまったキハ1ですが、元に戻して欲しいという声と、いや、これはこれで味わいがある、と賛否両論ですが…ともかく、木立の中の比較的長い軌道を走行するのは、保存鉄道としては魅力的です。運転しているのが併設の児童館の女性職員と言うのには驚きましたが、それならトルコン化も致し方ないところか。ついでにエンジンも始動時のオイル抜きなど手間が掛かるUD3から、いすゞの小型トラック用に振替えられています。尾鉄キハのトルコン化自体は、現役末期から構想はあったそうですが、具現化する前に鉄道廃止が決定してしまったため、歴史的にも悲願達成と言ったところなのかな。

   

運行終了後は、とある筋の「鶴の一声」のお蔭でw、キハ1を入庫前にホームの反対側から観察させてもらったり、車庫の中のDC121や客車を覗かせてもらったり。DC121は今は無き尾花沢DB151のナロー版と言った感じで、貨車移動機然としたDC122や頸城DC92と比べると、ボンネットがスラントしていたり、さり気無く凝っています。走らないときはずっと車庫の中なので、流石にコンディションが良いですね。余りに可哀想な状態のDC122と比べると…

(2014年5月4日)


聖地巡礼2

2014-05-11 11:37:48 | 撮り鉄日記

 さて今回初公開、尾小屋キハ3の遠鉄キハ1803復元仕様です。奥山線廃止当時、最も車齢が若かったキハ1804が真っ先に花巻電鉄に引き取られたのにも関わらず、最後まであまり活躍の機会が無かったのに対し、尾小屋が仕方なく?代わりに持っていったキハ1803が現在でも動態保存されていると言うのは、何とも皮肉な運命の巡り会わせです。

 

ダミーのラジエターグリルとエアホースまで付けられ、カプラーとエンジン以外は遠鉄キハ1803になり切っています。線路が短くて少ししか運転出来ないのが最大の不満かな。夏の「なかよし鉄道」で期間限定運行に期待。本当は本来の尾小屋駅跡を再整備して運転出来るようにすれば理想的なのでしょうが、いつ出来るとも知れない、半ば頓挫しかけた道路計画のせいであの場所は使えないそうです。

遠鉄時代はいすゞDA45だった機関も、当時から力不足と言う評価だったからか、尾鉄に入線後、日産のボンネットバスでお馴染みの民生UD3に換装されています。今では聞く機会も僅少になったユニフロー掃気2ストロークディーゼル特有のガラガラ音もしっかり堪能。国内の鉄道車輛での採用例が少ないUDエンジンを尾鉄が愛用した理由って、やはり資本が北鉄に移る前は、日産との繋がりが強かった日本鉱業の傘下にあったためなのでしょうか。でも日鉱直営だった佐賀関鉄道のケコキハ511はいすゞでしたが…

 

窓が大きいので車内は明るいですね。UD3はDA45よりコンパクトになり、床下に余裕が出来たのでラジエターも車端部からエンジンの隣に移動しましたが、反面背が少し高いようで、エンジン直上の床板カバーを出っ張らせて逃げています。頸城ホジの座敷?程ではありませんが。運転台のメーターが三菱ふそうなのはバスの流用品?

  

静態のC155は焚火して煙の演出…ちょっとやりすぎた?

  

これこそ軽便客車、なハフ1。唯一残っているハリボテ化されていない客車です。妻面の猫の額なスペースに律儀に車番が書かれているのには参りました。

おまけ、鉱山資料館に展示されている金平駅の駅名票。この類の物も最近はどこにでもある汎用フォントばかりなので、味わいのある手書きなのを見る機会も少なくなりました。

(2014年5月4日)


忘却の地

2014-05-07 21:34:46 | 撮り鉄日記

 鉱山が閉山し、鉄道も消えた尾小屋は、限界集落と言う言葉が相応しいというか、それすらも限界が迫ってきているような寂しい場所になってしまいました。路線バスも1日3本しかないので、ここまで公共交通機関で来るのは一苦労です。小松駅からレンタサイクルを頑張って漕いで来ていた学生がいましたが、若いですね…

僅かばかりの商店と民家が残るのみで、あとは打ち棄てられた廃屋が点在するのみ。これと比べれば、古河グループの企業が未だ多数操業し、人の営みがまだ感じられる足尾がまだ恵まれて見えます。

尾小屋駅跡は、某最高学府OBのグループが保存していた車輛が隅に放置されているだけで、それがあったことを示す記念碑も無く、自然に還りつつあります。

(2014年5月4日 旧尾小屋鉄道 尾小屋駅跡)


聖地巡礼

2014-05-07 21:28:22 | Weblog

 軽便鉄道の西の聖地「井笠鉄道」の色のバスに乗って、「尾小屋鉄道」と「頸城鉄道」の保存車を巡る旅と言う企画に相乗りさせて頂きました。興味の無い人から見れば本当に馬鹿馬鹿しい様な行為ですが、その傍目から見てクソ馬鹿馬鹿しいと思える事でも実現に向けて全力で打ち込める人って、少なくとも講釈ばかり垂れていつまでも動こうとしない人たちよりは美しい、と思います。

浦川原で「マルケー」のエルガミオ ツーステ前後扉(本物)と井笠風味のジャーニーQ、中京方面から参加した元某公営交通のエアロミディMJと並べてゲリラ撮影会。営業所に帰ってきたら、何か変な車が邪魔な所に止まってるぞ…と本物のバス運転士は思ったに違いない? 5月5日こどもの日、ご多忙のところ飛び込みで大きなお子様たちのお遊びに付き合って頂いて、本当に有難う御座います。

頸城旧塗色復刻車のエルガミオワンステ、実物を見ると思ったより似合っています。今の白ベースのより良いんじゃない? これが出たことで頸北観光840号車、いすゞP-LT312J/富士5Eの行く末が心配されましたが、今のところは予備車として健在の様です。


湖畔で撮るつもりが

2014-05-03 12:55:25 | 撮り鉄日記

 南海緑を湖畔で撮りたいな、と思って湖を望むポイントに向かったものの、もうひとつピンときません。で、結局撮ったのは湖とは反対方向に振ったカット… 一畑電車のイメージと言うと、宍道湖と、出雲平野に築地松(これはほぼ絶滅したと言っても過言ではないと思いますが)、でも私にとってこの電車は山里を走るイメージなのでしょうか、こちらの方が心なしかしっくるするような気がします。因みにこの駅は一畑電車を主題にした某映画の湖畔の小駅として有名になりましたが、あれと同じシーンは高所作業車でも使わないと撮れないでしょう。
(2014年4月29日 一畑電車北松江線 伊野灘)

以前なら宍道湖をもっと良く見渡せた一畑口は、湖畔に住宅が増えたためか、建物の隙間から少し見える程度になってしまいました。