雪うさぎのJunk Yard

へタレ地方私鉄モデラーの独り言と撮り鉄日記

また余計なものに手を出して

2013-09-30 00:04:57 | 地方私鉄(近畿)

 いい加減そろそろちゃんと最後まで仕上げたものを見せろという声が聞こえてきそうですが、客車をやり掛けた以上、カマもやっぱり欲しいよね、と言う事でワールドの別府DB201に手を出し、ついでだからと積みキットの山からバケットカーも引きずり出し…

2001年5月…もう12年以上寝かせてあったのか…

DB201はワムと同じ位のサイズの可愛い機関車ですが、L型2軸機で28tは丙線の軸重制限を超えており、私鉄機としては最重量級です。あと2t重い30tクラスだと、私鉄ならもうセンターキャブB-B機が主流ですから。

三菱のL型機と言うと、ジャック軸式ロッド駆動のこのタイプがまず思い浮かび、別府DB201の様なギヤ駆動のは、後年のニチユOEM機を除いては珍しいです。このクラスの機関車は、大抵専用線向けレディメイド機の流用であることが多いので、その意味でもDB201は異例ですが、一説によると某製鋼メーカーがオーダーした物のキャンセル品を買ったそうです。


実車以上の数がありますが

2013-09-29 23:37:58 | 地方私鉄(近畿)

 淡路1005/1010のエッチングエラー品、結局は毎度資料の提供や作らないキットを頂いたり、散々お世話になっている友人の下に行く事に。実質タダの品物そのままじゃ何だか気が引けるし、生地完成状態にして引き渡す事になったので、自分の分と並行して進行中。スケールで仕上げるのか、それともフリーのネタとして遊ぶかで違ってくるので、灯具類やその他のディテールの艤装はどうするかを確認しておかなくては。

 隙間にハンダを盛って削ったら、盛った時点で気付かなかった段差が出現したので、再びちょっと盛ってやり直し…


ついでにこれも

2013-09-16 19:56:59 | 地方私鉄(近畿)

 島の電車を進める一方で、牽かせるカマが無いとか理由を付けて放置状態だった別府のハフも、カマが出てしまったので、ついでに屋根の隙間にハンダ盛り盛り。だんだん大胆になってきますね…

ハフ7のWルーフ、そのままじゃ屋根両脇と車体との間に盛大に隙間が開きますが、ハンダをたっぷり盛って削って仕上げてこの通り。面倒ですが、カマと同時に出た某後発製品は造形が微妙だったし…あのメーカー、全体的に箱モノの造形はちょっとアレなので期待はしていませんでしたが。ハフ5のオデコははいつもの通りです。


さてどうしたものか…

2013-09-08 23:30:03 | 地方私鉄(北陸)

 そろそろこれもと思いつつ、また一つ問題が。モハ3750形の更新車/あまぎ、と、更新前/KitcheNで何故か車体高がかなり違う…どっちが正しいのか、それをどう誤魔化そうか…と言ってもこれだけは小手先の修正で済みそうにないので、出来るだけ隣に連結しないで済ますしかないのかな…


動かないけど

2013-09-08 11:34:39 | 撮り鉄日記

 最近、「動かない」車輛目当てに、以前は余り顧みなかった所までわざわざ出向くことが多くなりました。それだけ現役で好みのネタが無くなってしまった事の裏返しであるのですが。

 水間鉄道水間観音駅構内で事務所として利用されている旧南海1201形、いつの間にか水間旧塗色になっていると言うので、初めて訪問しました。足付きのままホーム上にデーンと置かれています。往年の前サボも付いているし、パンタも上がっていたりするのが泣かせます。

末期の塗色の時は野上でも見ていますが撮って無い位で、余り食指が動かなかったのですが、やっぱりこの色の方が良いですよね。塗替えから時間が経って少々くたびれた感じになっていますが、次は南海緑ツートンになったりして… そう言えば戦時型1段窓の車は最後まで日除けが鎧戸だったのですね。貴志川線の戦前型は全部ロールカーテンだったので。前照灯ケースも単なるLP42じゃなくて、後部が丸くなっているタイプなのに注目。雨樋の改造は貴志川線のと同じ様な経過を辿っています。

床下は電装解除でモハ1201形から制御関係の機器がそのまま間引きされただけ…みたいです。GE型のCPまで残っています。

反対側に回って後面から。手前のミニバンが邪魔ですが…まあここは駐車場なので。クハなのにパンタが付いています。南海は基本的に配管を前面に露出させたくなかった様でして、配管の処理は屋根から潜り込ませています。その配慮も晩年に縦樋が外付けに改造されて台無しになってしまいましたが。パンタ自体は旧型の横碍子のタイプです。貴志川線に残した10輛はPT42系に振り替えていました。逆に京福に行った旧11001系はPT42系から旧型パンタに振り替えられているので、ありがちな話ですが、放出時に新しいのは自社で確保して、余り物に付け替えたのでしょう。1201形自体も更新済みで工作も丁寧な戦前型の中から、更に程度の良いのを厳選して貴志川に残し、残りを水間と京福に放出した訳ですから。

水間観音駅の駅舎は相変わらずですが、旧駅名「水間驛」の看板は残したまま、下に新駅名の看板を追加しています。

駅構内の雰囲気は旧高野山電鉄や簡易半鋼、旧淡路1010とかが走っていた頃と余り変化は無いようです。東急7000系も車齢50年程度経過しており、既に立派に旧い電車の仲間入りを果たしておりましょう。既に水間入線から25年位経ち、過去に足跡を残した電車たちの中では最も長く水間を走っているようですが、最近更新されているので、まだ暫くは使いそうですね。

(2013年8月14日 水間鉄道 水間観音駅)


こんなのが付いています

2013-09-07 13:10:16 | 撮り鉄日記

 旧一畑色リバイバル編成の吊皮、こんなのが付いていました。一畑パークは昭和54年閉園なので、昭和40年代頃の物でしょうか、随分と物持ちが良いんですね。

旧京王の2扉車は1本がこんな事になっていました。デハニに代るイベント車に改造されているので、こちらは暫くは使うのでしょうか。この車庫は相変わらず昔から変わりませんね。

 


浦島太郎

2013-09-05 00:07:03 | 撮り鉄日記

 出雲大社前の鉄橋で電車を撮ろうと降りた時は丁度昼頃、さて昼飯は出雲そばにでもするかと門前町に繰り出したら…盆休みと出雲大社の式年遷宮が重なってどこも凄い人、めぼしい店はどこも長蛇の列、それではと通りから少し奥に入ったところに行くと、ここもダメ…炎天下で長時間待ってまでする気力は無いし、周りが混んでいる中で空いている店に飛び込めば当然の事ながら高確率で「地雷」なので、結局昼抜きになってしまいました。

20年前は落ち着いた雰囲気の門前町だったのに、かつては殆どなかった今風のお店が増えたり、客層も大きく変わり、街自体の雰囲気が全く変わってしまったように思えます。地域活性化と言う意味では若い人にどんどん来てもらった方が間違いなく良いのですが、やはり20年ぶりに来てこの変貌ぶりは浦島太郎になった如き、と「かつての」若者が思う。

 

でもこういう建物が所々に残っていたりすると見入ってしまう。

大都市からのアクセスが良くない地域でもあり、90年代初頭、余り注目を浴びる事も無く通学列車の増結用として黙々と働いていた頃のデハニを思うと、全国的に有名になり観光名所扱いされている今は想像出来ません。駅舎自体は昔のままですが、小奇麗になり、今風のイタリアンレストランとカフェが併設になっていたりと、これまた気付かずスルーしてしまいそうなほど門前町の中にすっかり溶け込んでいた頃の駅舎とは偉い変わり様です。

(2013年8月13日 一畑電車大社線 出雲大社前)


20年の歳月

2013-09-01 16:49:14 | 撮り鉄日記

 松の木の枝を綺麗に四角く刈り込んだ「築地松」、出雲平野を象徴する風景の一つでしたが、近年それが見られるのも稀になりました。私が初めて出雲の地を踏んだ20年前、当時既に減って来ていたとはいえ、一畑電車の車窓からは至る所で見る事が出来ました。これをバックに電車を撮れるポイントも多数あり、最期の活躍をするデハ20形や70系、旧西武車の良き引き立て役でした。

 それから20年の歳月が流れ、一畑の電車や駅舎が一新されると共に、出雲平野から築地松がほとんど姿を消し、電車と一緒に撮れる場所はもうここ位になってしまった様です。最初の訪問時、過去の写真で見た、それから遡ること20年以上前と一畑電車を取り巻く情景がほとんど変わっていないことに感動したものですが、そこからは時の流れの残酷さを強く印象付ける20年でした。しかも来年からは電車もステンレス車に入れ替えが始まり、一畑電化以来走り続けた古の在来型電車に代り走り始めた、元京王や南海の電車も、また同じく歴史の彼方に去って行く事になります。今まで数十年変化に乏しかった事柄でも、次の十年後にそのままの姿でそこにあると言う保証は全くありません。平凡な日々の儚さと記録の大切さを実感します。

(2013年8月13日 一畑電車今市線 雲州平田-布崎)