久留里線のキハ3062は25日に郡山に入場回送された模様で。しばらくすれば国鉄ツートンになって戻ってくることでしょう。新型置き換えは2012年度だそうなので、来年一杯は安泰でしょうか。欲を言えば沿線風景が今一パッとしない久留里線だけでなく、只見線とか風光明媚な路線にも出張してくれれば最高なのですが…
さて、KATOのキハ30系首都圏色が発売されました。見るまで不安だった着脱式の幌枠、思ったほどゴツくなくて一安心。前回のツートンで散々指摘されていたライトの大きさやキハ35の水タンクは仕方ないとして、ジャンパ線収め蓋の成形色が車体色の朱5号と違い過ぎるのと、ベンチレータは屋根色と一緒にしてくれよ…まあどちらも塗れば良いことなんですが。
相模線や八高線も勿論馴染み深いのですが、私にとってやはり思い出深いのは、電化前の和歌山線です。(和)橋本駅をイメージして、南海高野線22001と並べてみたり。
国鉄色の気動車と言えば、新津車の12/26・27の磐越西線でのさよなら運転の後は色々噂が飛び交っていますが、関東の某3セクに譲渡と言う話も…ちょうどその会社、トロッコ車輛の置き換えと合わせ通常車輛2輌購入、とも報道されていたし…まあ国鉄車の話は出所が不明なので、期待しないで事の行方を見守ることにします。
フリー電車を塗り上げようと思ったら、直前でエアブラシの不調発覚の為中止、仕方ないので久しく放置されていた一畑のオデコ仕上げを一気に片付けました。道具の手入れは日頃からきちんとしておかないと…
エアブラシは一度ばらして何とか復活したのですが、台湾製だしどうも不安なのでもう一本新しいの買い、古いのは予備機にしました。今度は勿論MADE IN JAPANです。来週こそはフリー電車塗れればいいのですが…新年の挨拶まで間に合うのだろうか…
勝手にS鉄新線に入線予定の田舎電車、φ0.2真鍮線に割ピンと格闘する事小一時間、何とか屋上配管までそれらしく上げました。ちょっとへろへろですが…
一気に塗装まで行きたいところですが、明日明後日は天気がイマイチっぽい…
川造は元素材では片運ですが、別所3310やこどもの国の3405のイメージで簡易両運化。普段はクハと連結され使用頻度が少ないであろうとの想定で、前照灯は本来の運転台側は2灯シールドビーム化なのに対し、増設側はLP42の一灯とケチって?います(一畑のデハ20などに同様の例あり)。ガイコツテールも片方だけ。貫通扉も車内色の淡緑色かベージュに塗って、簡易運転台然とした演出をするつもりです。
まあ余り物の寄せ集めということで…パーツ類も極力余り物の流用でコストダウンしていますが、基本仕様自体は当社標準仕様に準拠していますので、ワイパー、屋上配管(目立たない部分は省略)標準装備です。
二昔前の豊鉄とかも角張った旧静鉄の半鋼製Mcが流線形ガソリンカー改造Tcと組んだ編成がある一方、全金製張上げ屋根の近代的な編成があったり、同程度のカオスぶりでしたけど…
今度こそ東のキハ52,58のラストランになるのでしょうか…12/12,13日に新潟~米沢間で、「ありがとう米坂線国鉄色」号が、びゅうの団臨扱いで運転されます。編成は「只見紅葉号」と、スジは先週の「思い出のべにばな」と同じだそうです。
新幹線で日帰りでも2回撮れますが、もう撮り鉄は懲り懲り?
S鉄氏がレイアウト作ったと言うので見に行きました。普段は箱の中や机の上でしか見ない電車たちも、風景の付いた舞台上に載せるとまた違って見えてきます。
今はストラクチャーや素材類も非常に充実しているので、技術的には簡単にそれらしいものを作れるのですが、置き場所の問題でなかなか踏ん切りが付かない…
現在倉庫(がらくた置き場とも)状態になっている自室を片付ければ、一応場所の問題は解決するのですが、なかなか腰が重くて…
銚子港にとうとう伊予鉄の旧京王が搬入されたそうです。車齢47年の「新車」のこれからの活躍を期待する一方、先んじてデハ101と301が解体され、かつての素朴なトロリーラインの面影が遂に消滅したのは残念というか…
近代化への投資をしないと生き残れない事は理解しているつもりですし、本来なら羽後交通雄勝線や秋田中央交通五城目軌道などの、昭和40年代に姿を消していった多くの田舎電車と運命を共にしていても全く不思議ではない鉄路です。私の中では、南部縦貫鉄道、野上電鉄と並んで、このような姿を生で見ることが出来たこと自体奇跡であると思っています。
青空の下、キャベツ畑の中をへろへろ伸びる30kgレールと直接吊架のシンプルトロリー線、かつて栄華を極めた浅野財閥の末裔、旧鶴臨の古豪デハ301に牽かれてゴトゴト走るユ101に揺られた、ある晩夏の一日の思い出は忘れられません。
(P:1987年8月29日 銚子電気鉄道 外川駅、仲ノ町駅、笠上黒生駅にて)
S鉄氏が鋭意建設中のNレイアウト向けに、車庫の片隅に置くダルマさん製作中…素材は台所主任氏より他の素材購入のオマケとして頂いた丸子と飯山のガソ改、ただしエラーありのジャンク品です。
相変わらず半田大杉ww でも私は「接合面には満遍なく半田が行き渡っている状態」が理想と思っているので、所謂「点付け」には抵抗があります。で、はみ出した半田をキサゲする作業で窓枠一ヶ所破損…素材状態から窓柱欠損も一ヶ所あるので、これでお客さん乗せたら隙間風で寒くてクレーム付きそうです… まあ、あくまでも「倉庫・詰所」として納入するのだから、これで良いや。納入先で適当な路面電車用動力調達して「電車」として復元するのは勝手ですが、自己責任で。(そう言えば、上田丸子で本当に車庫のダルマさんを「電車」に復元した例があったよな…)
旧丸子は、普通サイズの電車と並べると、縮尺を間違えたと思うほど可愛いです。故に適合する動力は現時点ではMODEMOの玉電位しか無いでしょう。まあ今回はストラクチャーなので問題は無いですが。
ジャンク車体なのでオデコメタルが付属しません。で、今回は「プラリペア」を盛ってみました。硬化が速く、硬さがあるので削った時に真鍮との継目が出にくいのが美点です。が、コストが高いのと、PMMA=「アクリル」なので非常に硬く削るのに苦労します。
色は特にご希望が無ければ、プロトタイプ通り「上田色」(超褪色Ver)にしますが…
消えゆく国鉄型気動車をあちこち追い掛けている今日この頃ですが、今から20年位前は、まだ自宅からチャリで30分の場所でDMH17Hのサウンドが響く日常があったという事実に、歳月が流れる速さを実感します。珍しい物を求めて遠出をするのも結構ですが、やはり日常の身近な記録も重要だと痛感…例えば十数年前まで自宅から1時間程度の範囲内に2か所も、17m省電の残党が客扱いで現役だったことも、今では幻の出来事のようですし…
それでも相模線の気動車は新しいカメラやレンズを買った時の試し撮り、学校の授業が半日で終わるときの午後とかにちょこちょこ行っていたので、まだ記録が多い方でしょうか。
如何にもローカル然とした木製のホーム上屋、この駅も電化を前にして全面的に改装され、当時の面影は全く残っていません。
全国的にも稀少となった通票閉塞、この頃は東京近郊のJR線でも幾つかの路線でタブレット交換をまだ見ることができました。上カットのキハ3062は、車体更新及び機関のカミンズ製DMF14HZへの換装が幸いし、現在も久留里線でキハ30最後の3輌中の1輌として健在です。
(1990年3月20日 前3カット=原当麻駅、後1カット=南橋本駅にて)