雪うさぎのJunk Yard

へタレ地方私鉄モデラーの独り言と撮り鉄日記

取り敢えず塗ってみた

2018-04-30 22:46:11 | 大手・準大手私鉄

 本当は連休前半中に仕上げてしまいたかったところですが、昨日は強風吹き荒れまともに作業できなかったので、サフ吹き→橙色までで、屋根の赤は次回に持ち越しです。結構ゴミが噛んじゃったし、オデコの継ぎ目を埋めた痕の処理が不十分だったな。

鉄コレの橙色は湘南色のオレンジみたいでちょっとこれは…な色だったので、安直にGM近鉄オレンジとMr.カラー黄橙色を1:1で割ったものです。ちょっと地味目かな?


G線もう少し

2018-04-29 11:27:45 | 大手・準大手私鉄

 もう少しで塗装まで辿り着けそうです。床下機器は1500N以外はDMM.makeにあったハイライトブルーの3Dプリント品です。1500Nユニットのみはモデルアイコンの小型電車用ですが、一応専用品の筈なのですが、偶数車のMGとCPの配置が全く違うので(電気側のMGが103系みたいに線路に直角に配置されていますが、実際には線路に平行に配置、更に空気側のC-2000型CPが無いので、これも補充)、ジャンクパーツも交えて並べ替えておきました。奇数車も抵抗器の形状がちょっと違う気もしますが、限が無いのでそのままにしました。

1500N偶数車の台車には集電靴が無いのですが、鉄コレでは勿論?造り分けられていません。動力車にする予定なので、動力台車枠の集電靴を削り落としますが、ABS樹脂が車体より硬質なので大変でした。

先頭車の前照灯は1灯型に変更、最初は銀河の3Dプリント品導光タイプにするつもりでしたが、実際に組付けてみると取り付け位置が低すぎて顔の印象が変わってしまうので導光は諦め、元の取付孔は埋めて台所の銀座線用ロストパーツにしました。現車は後年シールドビーム化されており、模型でもそれを再現したかったので、反射板部をドリルでザグって、塗装後にプラレンズを填め込む予定です。1800はどうせ中間封じ込めなんだから、そのままでも良いかなと思いましたが、結局2000と同じ処置にしました。

さて、あともうちょっと。


何故?

2018-04-22 11:26:52 | 大手・準大手私鉄

 G線旧型電車、先頭車に幌枠やレスポンスブロックを取り付けてみたり、少しずつ進めています。幌枠はBONA電車用パーツセットV、レスポンスブロックは台所の銀座線ライトセット付属品です。

中間封じ込めの1800はBONAの電車用パーツセットVに入っているパーツで貫通扉を開放状態に、2000の連結面には誘導無線アンテナを真鍮線と割ピンで。両運車のアンテナは中間封じ込め車も含め、基本的に浅草寄り前面に2本付くようですが、取り付けられなかった車輛も存在するようで、私鉄電車のアルバムに収録の1821の写真では付いていない様に伺えます。と言う事で、当方の1820は省略しました。

1359は台所のキットをいつも通り仕上げ、オデコメタルが入れ忘れられていましたが、請求してもその間手が止まるのも面倒なので、結局低温ハンダ大盛りで仕上げました。中間T車になっていたので晩年は顔を拝むことはまず出来ませんでしたが、旧東京地下鉄道の面影を最後まで伝える貴重な存在でした。今思えば、こんな旧式な電車が大都会東京の中心で80年代半ばまで堂々と走っていたことが凄いですね。2000にしたって、駆動方式こそカルダンになったけど、AMM自動ブレーキに制御方式は旧来のABF単位スイッチ(架線電源だとALFの筈だけど、諸元表だとABF-74-64AA、制御電源は蓄電池だったっけ?)MGも車輛間の低圧電源渡りも無い「セミ新性能車」だし。

それにしても、鉄コレの銀座線は何故屋根が別パーツなんでしょうか? 赤と橙色の塗分けに合わせて分割なら分かるのですが、これだと継ぎ目が目立ってそれを埋めて消すのが面倒なだけです。一体で良さそうなものの、パーツ点数をわざわざ増やしてまで分割するだけのメリットが何かあるのでしょうか?

 


また余計なものを

2018-04-15 22:32:09 | 大手・準大手私鉄

 大量の仕掛品を放り出しておいて、またこんなものに手を出してしまいました。塗分けも単純だし、いつも悩みの種になる屋上配管が無いというだけで気楽ではありますが。

 鉄コレのプロトタイプ選定だと19番編成ですが、5号車のT車を個人的な好みで乗務員扉が残りリベット付きの1359号にしたかったので、1981年以前の34番編成にすることにしました。これだと4号車のcMcも1800そのままで良いですが、両端の2000形が原形の扉なので、全ての客扉をくり抜いてBONAのエッチングパーツに交換しましたが、これが結構ハードです。大まかにカッターで切り抜いたら、現物合わせて少しずつヤスリで微調整を繰り返し、それが2輌分12か所もあるので...こりゃキット組んだ方が楽だったかな?

台所キットの1359はいつも通りの工法で、でも何でこれと1366の2輌は乗務員室を残したままだったんでしょうか? 一説によると中野工場の入換車に転用するつもりだったとか… 本来だったら試作車で他のcMc車と仕様が異なる1470、71あたりをT化して(1400以降ではこれだけ完全な中間車化されているのも何となく不自然だし)、1500Nをもう1ユニット製作して、1359,66はcMc車のまま事業用に転用するつもりだったのかも知れません。2000はドアが未塗装状態だと、何か近江500みたいです...