雪うさぎのJunk Yard

へタレ地方私鉄モデラーの独り言と撮り鉄日記

ちょっと視点を変えて

2019-05-18 23:20:57 | 撮り鉄日記

 四日市でもう一泊して、また朝からもう一度赤電にトライ。

 

この日はまず山城で降りて、昨日も行った保々寄りのポイントを目指しますが、途中の線路際に何やら良さげな歩道橋の存在に気づきました。

とりあえず上ってみる。手前には渓流、バックに藤原岳はじめ鈴鹿の山並みを望め、中々良いんじゃない? 綺麗な列車写真を目指す方向きではないでしょうが。因みに光線状態的に朝方限定です。

縦でも。ここから少し保々側にある田んぼポイントは有名だけど、このアングルは今までほとんど紹介されているのを見たこと無いように思いますが...

 

反対側からも。余り三岐らしくない?風景ですが、ちょっと吾野辺りを彷彿とさせます。有名ポイントの前後にも好ポイントは潜んでいると言われますので、本命のポイントが満員御礼の時は、周囲も見まわしてみると新たな発見があるかも知れません。

勿論本命の田んぼポイントでももう一度。今度は貨物がある日に再訪したいところです。

(2019年5月5日 三岐鉄道三岐線 山城―保々)


正調701赤電

2019-05-12 23:52:11 | 撮り鉄日記

 中央線経由で名古屋までとぼとぼ来て、前夜は四日市で一泊。到着が少し遅くなったので思ったのですが、それにしても、近鉄四日市の駅前って、前からこんなに治安が悪そうな感じだったっけ? 今の西成あいりん地区よりよっぽど危険に感じるんだけど…深夜でも開いている飲食店が多いのは良いんだけど…(ふた昔前の出雲市あたりとか、19時を回る頃にはどこもシャッターが下りてしまい、夕食を摂る場所が無く途方に暮れたことがありましたっけ)

 それはそうと、出たばかりの三岐赤電、以前駿豆で同じ様な企画がありましたけど、塗り分けとか残念な部分がありましたし、今、多摩川線で走っているN101系赤電も、所詮もどきだよな(特に前面が絶望的に似合っていない。少なくとも前面は車体形状にマッチするようにリデザインして欲しかった)、とあまり熱くなれなかったので、ロケーションの良い三岐線で西武701系改め三岐801系803Fに正調赤電が復活するとあっては、それは行くしかありませんね。

 

とりあえず朝方の定番、山城―保々で。水田の水鏡が綺麗です。この完成度なら、401系改め101系も赤く染めて欲しいかなーと贅沢を言ってみたくなります。

以前から走っている黄色い方も。同じ黄色系でも三岐色の方が彩度が高く、写真写りがよいですね。

ちょっと時間が進むと側面が厳しくなってきました。そろそろこの場所も潮時ですね。

 

次は大安の鉄橋で。駅からも近いし、日差しが強い日でも、傍に身を隠す丁度良い屋根があり(西藤原に移動したED222が保存されていた時の屋根がまだ残っている)理想的なお手軽撮影地です。

定番の三里―丹生川、藤原岳バックで。ここはもう少し早い時間帯の方が良いですね。

陸橋の下に降りても。

 

定番のポイントですが、多彩なアングルで楽しめ、飽きの来ない撮影地ですね。セメント専用タキ1900にも限界が見えつつあるし、今度は貨物も走っている時に再訪したいものです。

(2019年5月4日)


場違い

2019-05-11 23:12:51 | 撮り鉄日記

 長野の211系って中央西線の中津川まで行く運用がまだあるんですね…中津川と言えば、名古屋都市圏の末端、と言うイメージなので、そこまでJR東の電車が遠征するのには、越境運用が激減した今となっては珍しいのではないでしょうか。

伊那松島から辰野までは東海の213系、まあ路線事情からして妥当な車種選択でしょうか。

 

メインストリートから外れてしまうと、こうも寂れてしまうのかと、栄枯盛衰を感じさせる辰野駅。塩嶺ルート切り替え時に見返りとして駅舎が駅ビルに新装されましたが、案の定と言うか、テナントはだいぶ前に全部撤退して半廃墟化しています。ちょっと考えれば乗客が減ることは明らかだったのに、そこに乗降客を相手にした商業施設を造っても人は来ないよね。同じおカネを使うんだったら、もうちょっと違った方向からの活性化策を考えるべきだったんでしょうね。

ここからは、その長大なホームの真ん中にポツンと佇むE127系2連。

 

で、塩尻で待っていたのは冒頭のこれ。運用マニア的には興味を引く存在でも、オールロング車の比率が高いので、乗り鉄的には余り有り難くない、というかハズレ電車ですねぇ。同じロングでも乗り心地は東海の313系の方が良いし。

 

ここは木曽の奥地の南木曽駅、しかし電車はJR東、うーん...


今日で連休も終わりか

2019-05-06 13:43:22 | 撮り鉄日記

 長期連休をフルに使って遠出してきた人も、どうせどこに行っても激込みだから出掛けるのを避けていた人もいるでしょうが、それも今日で最後。私はどちらかと言うと後者の出掛けるのを忌避していた方ですが、後半の方でほんの少しお出かけしてきました。

  

以前から見てみたいと思っていた物件ですが、それだけの為に丸1日かけてここまで来るのも、と言う場所なので、他の目的地に向かう途中、少し大回りして組み込んでみました。駅舎は新しくなっていますが、構内はスカ色の省電が屯していた時代の面影を残していますね。省電は間に合わなかったにしても、その後も四半世紀前ならED62の貨物も、ED18やクモハ12の動態保存車もあって、それだけで十分訪問する動機になったはずなのに、何故か訪問せず仕舞い。この度のことでん旧型車の例を出すまでもなく、何時までも走ると思うな動態保存車、なのにねぇ…

  

目標は駅から歩いて10分程の場所にある郷土博物館の駐車場に鎮座しています。以前の写真を見ると、すぐ隣にプレハブの建屋があった様ですが、近年それが撤去されたので見易くなっています。

  

屋外保存にも関わらず、程度は非常に良好です。国の方針として旧い鉄道車輛は営業に使ってはならぬ、さりとて用途廃止になった車輛を解体せずにそのままとりあえず置いておくことも、静態保存目的で第三者に譲渡することも勘弁してくれ、みたいなスタンスなので、今残っている保存車は貴重なものになりそうです。

 

形態的にもメカ的にもEF52以降の国産電機に大きな影響を与えたことが見て取れます。

お馴染みWH-BLWの丸形銘板。当機ではレプリカになっていますが、ナンバープレートすら金属回収で鋳潰される中、多くの輸入電機、蒸機が「敵国」米、英の製造銘板を付けたまま戦時下を走り抜けたと言う事は、当時の鉄道官僚や現場の職員の戦争に対する考え方が見え隠れして興味深いところです。

静態保存機としては珍しく、ダミーの架線まで張られ、パン上げ状態での展示です。

ED14が全部鋳潰され、西武横瀬のコレクションすら今後が不透明な状況にあるなか、東海道電化の貴重な生き証人として残していって欲しいものです。

(2019年5月3日 箕輪町郷土博物館)