いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

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格差社会1

2005年04月03日 19時11分06秒 | 社会全般
まず思ったこと。成功者は恵まれている、大企業(とその従業員)もそうだ、自分が今苦しんでいたり貧乏なのは格差だ、というような論調の意見が見られたことで、これはどうなんだろう、と。勝ち組になりたいんだ、勝ち組と負け組では大きな格差がある、というようなことも・・・心情的には理解できるが、必ずしも同意できない。

努力するということについて、番組中にもあったが、負け組は努力してないとは言わないが不十分とか結果が伴ってない、その結果が今なんじゃないか、という意見もあり、それには承服出来かねるという意見もあった。
また、例で申し訳ありませんが、仮定で考えてみます。


ラーメン屋を開業する予定のAさんとBさんがいるとします。

Aさんは今まで飲食店の経験は全くなく、ラーメン好きが高じて自分で始めることにした。脱サラの退職金と借金3百万円で貸し店舗と店の器材等を用意した。会社に勤めていた時代に資材調達や市場調査などに携わっていたので、店舗の選定の際には十分周辺状況などの調査を行って、店の場所を決めた。また、調理器具類は中古品の店を会社時代の同僚に紹介してもらい、通常の半額以下で調達できた。食材の仕入れ先も同様に紹介してもらって、鶏ガラや豚骨は同業者平均よりも2割安で仕入れることができた。開業当初は知名度が低く、半年くらいは赤字が続き、てこ入れの為に新規メニューを作ることにした。毎晩3時間しか寝ずに研究を重ね、店に泊り込んで2ヶ月たった頃、遂に新しいラーメンが完成した。このお陰で徐々に客数が増えていき、収益がかなり見込めるようになった。バイトも雇い、フル回転で営業したが、店が狭かったのでそれ以上の客数増加が難しいと思っていた時に、安く売りに出ている物件を見つけた。そこで、新たに1千万円借入してそちらにも支店を出すことにした。その後、そちらの店も軌道に乗ってきたので、フランチャイズ形式に店舗を増やすことにした。会社組織を作り、店舗数を伸ばしていった。


Bさんは親が営んでいた揚げ物屋で働いていたが、最近は赤字続きで客足も悪く、親も高齢のため引退したがっており、店の業態転換を考えていた。そこで、ブームに便乗してラーメン屋に改装することにした。3百万円の借入をして、必要な器材を揃え、店の内部も改装したが、予定よりもテーブルやイスにお金がかかり過ぎてしまった。自分の気に入ったデザイン以外は使いたくないと考えていたからだ。運転資金が心配であったが、元々住んでいた実家であるので、大丈夫じゃないかと考えた。以前の売り物であった揚物の腕を生かして、具に揚物を使うラーメンを考えだした。数ヶ月は今までと同じく客足が伸びず、揚物以外のメニューも必死で考えたが、ヒットしなかった。運転資金は底を尽き、親の年金で全員何とか生活するのがやっとで、食べるだけで精一杯であった。


Aさんは成功例ですね。こんなことがあるかどうか判りませんが、全国は広いので成功している人はきっといるでしょう。Bさんは「格差」による負け組なのでしょうか?Aさんと同じ努力は出来ないし、Aさんの例を見せられてもその通りにはいかない、と。Aさんだから出来たんだ、というのも有りがちな意見かもしれません。AさんとBさんにどのような格差があったのでしょう?

私は、Bさんの失敗は仕方がないと思います。多くはこういう例と似ているんですよ、きっと。Bさんは努力しなかった訳ではない。夢を追いかけるために、自分のポリシーを貫いてる部分(揚物の腕を活かそうと思った、テーブルやイスにこだわりを持って選んだ)もある。何がよくないのか?はっきり言ってわかりません。このような事例で、「格差だ、不平等だ」ということは普通言わないでしょ?Aさんの個人的能力(資材調達や市場調査能力があった)とか、工夫(中古品で揃えた、運転資金を出来るだけ多く残そうとした、不動産は初めから買わずに貸し店舗としてリスクを減らした、など)とか、新メニューがヒットするかどうかの運とか、そういう事柄も格差と言うのでしょうか?会社時代の人脈があったことで安い調達先を紹介してもらえたことは、Bさんから見て格差とか不平等なのでしょうか?

Aさんは新メニューのヒットでたまたまうまくいっただけかもしれません。そこに行くまでの段階で、ポシャッてしまうことだってままあるでしょう。「夢」を見たものの破れて、残ったものは借金だけ、という例も少なくないでしょう。でもこれは仕方がないことです。自分の責任で選んだ道ですから。脱サラせずに、当面安全な会社勤めをしていたら、借金まみれになることはなかったかもしれませんが、成功例みたいにもなれない、ってことでしょ?そこに自分がどれ程のリスクを取れるか、チャレンジできるか、でしょ?怖いなら止めればよい。成功した例を羨んでみても仕方ないでしょ?

社会的に要請されることは、AさんもBさんも「ラーメン屋を開業できる環境」を整備することではないでしょうか。それが平等とか格差を解消することでしょ?親の財産(Bさんの引き継いだ不動産)の有無に関係なく開業できることとかが求められているんでしょ?あとは、開業にあたっての経営指導とか、未経験者への調理技術習得の環境とか、資金貸付の手段とか、そういったことが、行政的・政策的に求められる平等ではありませんか?Bさんも経営指導を事前に受けておけば、自宅を担保に資金調達して別な店でやればうまくいったかもしれないし、運転資金を残すこともできたかもしれないし、他の業態も考えられたかもしれないし、フランチャイズという手もあったかもしれない。でも、選んだのは自己責任ですから。
これは他の業種だろうが、会社勤めだろうが、似たようなものではないかと思います。給料の高い外資系に転職を勧められ、金に釣られて転職したら、厳しい競争が待っており、数年後に自分にとって替わる人材が用意され、会社から「他に行って下さい」と言われてしまったら、前の会社と今の会社の従業員の間には著しい不平等がある?移ってきて成功した人を見て、「ずるいよ」と果たして言うかな?チャンスがありチャレンジした、その結果、成功するかもしれないし、クビになるかもしれない。そんなことやってみなけりゃ分らんだろう。何にチャレンジするかは、自分が決める以外ないだろうし。

格差社会をとりわけ主張する人達は、Bさんが会社に勤められなかったから(=例えばいい大学に入れなかったから)人脈が得られずAさんと格差がある、とか、Bさんはメニュー開発を努力した(=勉強を頑張ったり、スキルアップの為の努力をした)のに結果が悪かったから努力が虚しい、とか、そういうレベルの話をしようとする気がする。しょうがないでしょ、そんなこと言ったって。ラーメン屋を選んだのが間違いだったと思うとか、やり方に問題があったとか、そういう見方以外ないと思うんですが。努力したって、夢は手に入らないんだ、だから努力しても無駄なんだ、っておかしな意見を言う人もいる。成功したのは、たまたま運と才能があったからだよ、どうせ俺達ゃ成功なんざできないんだ、だから空しい、というのも???だな。そりゃ、全員イチローみたいな人にはなれっこないだろうね、現実的に考えて。女性全員がミス日本とかになれないのと同じだよ。ミス日本に選ばれたいって夢をみるのは、かまわないけど、それは現実的に全員が叶えられるものではないでしょ。それなのに、勘違いして、夢は儚い、ってな感じで、世捨て人になってしまうのも大袈裟だろ。無理なお願いや身の丈知らずほど、手に負えないものはない。これで、ミス日本に選ばれなかったのは「格差」のせいだ、ということを言い始めたらキリがないでしょ。

長くなったので、また今度にします。


一つ前の記事で言い忘れたんですが、番組最後に自分はこれからどう生きるか、というのを1人一言書いて、司会者が何人か順に見ていったのですが、年齢不詳の(30代前半くらい?)男性に向かって、「次のフリーターの~~さんは、何てお書きになってますか?」と聞いたら、男性は「会社経営です」って答えて、会場は爆笑でした。確かに見た目は、怪しげなフリーターって感じでしたが、司会進行のアナは痛恨のミスを犯してしまいました。「格差」というよりも見た目で「差別」といった感じで、男性はあえて名札を出して「会社経営です」って言った気持ちが少し判るような気がする。これも、ナマの良さだな、って思いました。


格差社会について―NHK番組を観て

2005年04月03日 15時36分34秒 | 社会全般
昨日のNHKの特別番組を観て感じたことを書いてみたい。最初の方は観てなかったのですが、途中から家族で観ました。テーマは「格差社会」ということでした。ナマ放送の怖さが出ていたかもしれないですね。久々に「面白い」討論番組を観た気がします。今話題のほりえもんも出てましたしね(笑)。


全体の印象としては、多くの人が私の予想以上に「格差を感じている」ということ。私はそれ程厳しく感じてはいなかったのですが、社会の閉塞感はそういう所に原因の一部があるのかもしれませんね。出演者たちや一般参加者達の意見からは、そういう面が感じ取れました。

番組の初回のテーマとしては、選択が良かったと思います。また、最もナマ放送らしさが出ていたのは、会場からの発言でした。強烈な発言者が現れました。ある女性が発言を求めたのですが、ちょうど経済財政諮問会議民間議員の阪大教授が長々とちょっと小難しくしゃべっていた直後でした。それまでの教授氏の発言は、政策を考えるという立場と学究的な感じで、一般人からは「理想はいいけども、現実の生活者の言葉とは違う。理論と現実は違う」というようなギャップが奥底に感じられたのでしょう。司会進行のアナウンサーも、その教授氏には発言をよく求めていたので、その不満もあったかもしれません。

その女性は、「偉い人達の意見は判りました。でも、もっと会場の意見とかを聞いて欲しいです。格差社会って言いながら、今日だって格差をつけてるじゃないですか。前の列の人と後ろの人の出演料が違うっていうのがだいたい格差ですよねえ!どういうことなんですか、って私は怒っているんですよね。後ろに行くに従って安くなってるって聞きましたけど。」とガツンと言ってしまった。会場からは最初の部分で拍手が沸き起こりました。そうだね、意見を言いたいよね。しかも、慌てた司会者が「いいえ、それは、ち、違います。そんなことはないんです。違います。それは違います」とか言いながら、ディレクターの方を何度も見たりして、混乱が伝わってきました。女性はさらに追い討ちをかけます。「私は、8360円ですが、本当にみんなそうなんですか。えっ、えっ?交通費が違うからなんですか、本当に私はこういう格差を止めて欲しいとNHKに言いたいと思って、怒っていたんですよね。」(金額は正確ではないかも、でもこんな感じの金額でした)その顔はマジ顔で、アップでしたから、そりゃ真剣さがテレビを通じて伝わってきましたよ。ディレクターとかプロデューサーも焦っただろうなと想像すると、より可笑しさがこみ上げてきました。

うーん、ナマはやはり危険だな。妻と爆笑してしまった。会場の他の若い女性とかは、下を向いて苦笑していました。まあ、これは一つのハプニングに過ぎず、本題とは全く関係がないのですが、阪大教授氏はその後発言に気を遣うようになったかもしれない(笑)。


成功例を引き合いに出して、そういう人と同じように頑張れというのは無理だ、という意見もあったな。主に「格差は確かに存在し、それが社会的不平等をもたらしている」「努力に無関係なところで格差があって虚しいから、社会的に(政策・制度的に)何とかしてほしい」というような意見を主張していたのは、フリージャーナリストとか作家の人でした。希望格差社会について本を書いている東京学芸大学教授や、格差の世代間伝達(遺伝?正確に何と言うのかわかりませんでした)を研究している北大教授なども、「格差」が問題なんだということを述べていました。全体的に白熱した議論が多く、これは今の鬱積した世相を反映しているかもしれません。頑張っても虚しい、と感じる人々が沢山いるということです。そういえば、金子勝も呼ばれていて、阪大教授の隣で「フリーターの問題は、年金の問題なんだよ。企業がね、年金保険料払いたくないから、フリーターにしているんだよ。そういうことじゃないか。」と息巻いておりましたが、阪大教授にあっさり「金子さんともあろう人が、それは違いますよ。全然違うことです。」とか反撃され、金子氏はその発言の途中でちょっと興奮気味に「そういうことじゃないか。一元化の問題だってそうだ。何が違うんだ!」と食ってかかりまして、マイクにその音声を拾われないようにスタジオの音声係の人が頑張っていたと思うが、その努力の甲斐なくはっきり聞こえていましたね。隣に座っているから、そりゃ聞こえるか。ナマ放送の醍醐味ですね(爆)。


「格差」問題は、私も家族も非常に関心があったので、今後何回かに分けて考えていきたいと思っています。思うところを記事に書いていきたいですね。