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格差社会4

2005年04月14日 17時37分52秒 | 社会全般
格差社会シリーズの続きです。いつも読んでいる極東ブログさんに先越されて書かれてしまっていますので、私ごときが書いてみても仕方がないかもしれませんが、ひとまず私の個人的見解を述べたいと思います。

フリーターとニートの問題はちょっと違うのであるが、先日のNHK番組内では社会的・経済学的観点から概ねひとまとめで論じられていて、社会保障や生涯賃金格差とか、そういった面では確かに似ている。


高度成長期に見られたような社会と、今との違いから考えてみたいと思います。(私は通常、正確なデータを検証したり、有名な人が書いている文献等を参考にしたりしていません。単に感じる、というレベルで書いておりますから、実際にどうなのかは不明です。感覚的な駄文と思ってお読み下さい。)


①寿命が延びて、人生の時間的価値が変わってきた。ライフステージの捉え方が変わってきた。
②総人口が増加し続け、現在がそのピークにある。
③女性の就業割合が増加した。
④晩婚化が進んだ。

これらから、思いつくことを挙げてみたい。人生50年の時と、80年の時では考え方が変わっても不思議ではないと思う。このことが、間接的に晩婚化に影響しているかもしれない。子育てが終わってからの人生が非常に長い。これは、敢えて若いうちに出産をしておこうと思わなくなったとしても、何となく理解できる考え方である。

それと、総人口の純増と女性の就業率の増加は、仕事量の増加以上に労働者数増加をもたらし、仕事の奪い合いとなっても「そうだろうな」と思ったりする。例えば、昔旅客機に乗ると、ぴちぴちしたスチュワーデスさんが殆どでしたが(私が初めて乗ったのは20歳くらいでした。田舎者でしたから、わくわくしました)、今は、私と同じくらいの年代の方も普通におられます(悪い意味ではありませんよ)。昔はプロ野球選手などの結婚相手として珍しくなく、そういう妙齢の女性が殆どであったような印象です(実はいつも楽しみにしておりました、ドア前のアテンダントの方と向かい合わせの席の時とか、業務移動?で空席便に後ろの方にいっぱい乗ってる時の近くの座席とかはラッキー!と思ったものです。でも私は制服マニアのような変態ではありませんよ)。ですが、昨今は「仕事を続ける」女性が頑張ってお仕事をされているので、人材入替ローテーションが厳しくなります。寿退職ということも昔ほど多くはありません。収入の問題もあるでしょうし、女性の仕事への情熱とかも違うでしょうし、色々理由はあると思いますが、結果として、辞めない女性が増え、それにより溢れた人が別な仕事に就き、・・・・という具合に玉突き現象のようなことになった。世の中全体でみると、先に勤めてる人達が辞めなくなったので、空きができない、それで余る、ということかな?優秀な女性の方は、かつて男性だけが行っていた仕事をどんどんするようになり、その分男性の仕事が減ったりもしたでしょう。


また、長寿や晩婚化は、全体的な若返り現象へと繋がったのかもしれません。昔の40歳と今の40歳の人は、見かけも精神的にも違うように思います。随分と若くなったな、と感じます(私は今年39ですから、いよいよと思っています、自分が若いとは思ってませんよ~、笑)。これは各年代で、同じような傾向が見られると思います。15歳でも、昔と今ではえらく違ってしまうのかな、と。悪く言えば、「幼児化」「子供化」が各年代に浸透してしまったかのようです。これは、色々なことに責任を持つべき年齢が相対的に上昇したことを意味しており、人生50年の時に生きていくべきスピードと、今のスピードでは、違っても不思議はないのかもしれません。全く適当なのですが、単純に50対80で当てはめたとしたら、昔の40歳は今の64歳に相当し、これはそういう人生のスピードであっても、そうなのかな、と思うのです。これで言うと、昔の20歳は、今の32歳ということになり、「あー、なるほど、有り得るかも」と感じるのですね。


団塊世代は、当然人口が多く競争の連続であったのだが、時代が丁度成長期であったので、ある程度仕事もあったし、受け皿的には大きく不足することはなかったと思う。何かの仕事には就く事ができたのである。それ以後、世代人口はそれほど多くはなく、私の年代では(丙午でしたので、下の学年はえらく少なかった、私は早生まれでしたので多い学年でした)団塊ジュニア世代(2百万人前後)の9割程度(170~180万人前後)しか同年齢人口がいない。”ひのえうま”に限れば、もっと少ない(約140万人)。私たちと団塊世代の間の年代の人々は、全体的に私達よりも更に少ないです(150~160万人)。そういう年代だと、競争のレベルが多少違っていたかもしれない。単純にクラスの人数が2割増加すれば、その競争は激しくなるだろう、ということです。


同年齢人口の多い世代(29~35歳)は悪い事に、バブル崩壊後に新卒で、所謂「失われた10年」という厳しい時代に就職活動をせねばならなかった。元々人数が多かった過当競争世代なのに、仕事はガツンと減った時期であったので、溢れる人も当然出てきた。この二つが重なっていなくて、もうちょっと人口の少ない世代であったら、別な現象となったかもしれない。溢れた人達は、結果的にフリーターとなって、職業ジプシーとなったのかもしれない。この世代の大いなる失敗が、その後の下の世代に影響してしまった可能性があるかも。教育面でも、価値観の面でも・・・。


こうしたことが、ちょこっと背景にあるんじゃないか、と思いつつ、フリーターについて考えてみます。
一般的に言うフリーターには、幾つかの選択理由があると思われますが、正確には知りません。以下に分類して適当に呼び名を付けてみましたが、便宜的なものであって、専門に研究している人の文献等を調べてみた方がよろしいかと思います。

1)正社員として就業意志はあるが、採用されず意にそぐわないのにフリーター(消極的フリーター)
2)自分の適性ややりたいことが分らず、とりあえずフリーター(自分探しフリーター)
3)やりたいことが既に決っており、それを実現する過程で選んだフリーター(夢実現フリーター)
4)束縛を嫌い、自由奔放な人生を楽しみたいフリーター(積極的フリーター)
5)自分に敗北し夢も希望も失い、生きるためだけに働くフリーター(厭世フリーター)

このような分類には異論も多々あるかもしれませんが、とりあえずご容赦頂き、検討してみたいと思います。


1)は分かり易い。時代とか社会的な事情というものに影響されている、と思われるからです。前に書きましたが、個人の能力と求人側のギャップの問題があるかもしれない。これをどのように埋めるのかということは、いい方法が見つからない。ですが、意欲がある限り、その人にはチャンスがあるはずであり、きっと努力次第ですね。

2)は、「幼児化」「子供化」現象による、自立準備が遅すぎることによるものと思われます。将来のことについて、常々話し合ったり、体験したりできるような仕組みを考えるべきだと思います。教育の役割が大切であるとも言えます。

3)は、例えばお笑い芸人になりたくて仕事を辞めてフリーターになるとか、劇団に入っていて売れないので副業としてフリーターとか、割といるかもしれません。これは本人の目的が決っているので、問題ないですね。ただ、諦めた後に、どのような社会的フォローがあるかは不明です。30過ぎの、アイドルくずれとかにどのような仕事があるか、想像つきません。本人次第ですね。リスクがありますが、チャレンジですので仕方がないでしょう。こういう人は、フリーターであることに文句を言わないでしょう。

4)これも生き方の問題なので、本人が選択した結果ですから、仕方がないですね。この人は、他人にない自由とか自分の時間が欲しいということですので、正社員として働いたら貰えたであろう賃金でこれを「買う」という風に捉えることもできます。対価が自由と時間であるので、これも本人は文句を言ったりしませんね。普通は他にやりたいことがあり、山登りが好きとか、サーファーであり続けるとか、会社のような束縛があるとできないことをやっている人が多いのではないでしょうか。

5)一番やっかいなのがこれではないかと思います。こういう人が実際どの位存在するのか不明ですが、社会的な救済措置が最も必要かもしれない。ニート予備軍、不幸な転帰を辿れば犯罪者となっていく、自殺する、などの恐るべき事態が待ち受けているかもしれません。自己への自信が失われているので、次へのチャレンジとか前向きな考えが中々浮かびません。それ故に屈折した社会への不満とか、給料の高い層への敵愾心とかが生じ易いような気もします。自信喪失は他の面でもマイナスに作用し、そうしたバランスを失った個性は、他人とのコミュニケーションを閉ざしがちになり、生きる気力とかガッツが湧いてきません。その為バイト先でも消極的な姿勢であり、仕事上の信頼を得にくく、自己変革もできず、命令されたことを実行するのがやっとです。事業縮小とか店舗閉鎖とかの時に、真っ先に切られてしまいます(本当かどうかわかりませんよ!でも、いるかな、って思います)。


このように見ると、3)と4)は社会的にある程度許容されます。高齢化してくると(例えば40過ぎとか)、仕事が減ってくるかもしれません。それでも、私が学生時代に行っていた日雇いバイトには、毎朝年配の人も集合して仕事を割り当てられ、日給を貰っていましたから、今に始まったことではないでしょう。数がそれ程多くなければ、社会的には困らないと思いますが・・・。

2)は、いつまで「準備」を続けるのか、という問題があります。「自分探し」が永遠に終わらない場合も有り得ますからね(笑)。いつまでも準備中なら、民主党の政権準備政党と似ているかも。『日本沈没』や『さよならジュピター』などを書いたSF作家の小松左京さんが、元祖自分探しフリーターかもしれません。作家として成功する前には、40以上の仕事をして転職を繰り返したと何かで読んだような気がします(正社員として転職したのかもしれませんが、細かい所はご勘弁を・・・)。長い雌伏の時を経て、作家として成功し映画化までされましたから、人生何が正解かは分りません。ただ、本人がそれを貫き通す「強い意志」があればよいのですが、普通は意思を貫くというより、「惰性で過す」とか変に「負け組だ、不公平だ」という逆恨み的になってしまうのもどうかな、と思うのですね。


1)はいずれ雇用環境が改善された時に、チャンスが巡ってきます。若しくは、初めはバイトであっても、高い能力が発揮されれば、自分で起業するとか、途中で正社員になっていくとか、そうした道はあると思います。ですので、今正社員としての扱いを受けていなくとも、常に工夫するとか向上心を持って臨むとか、自分の能力アップの足しになると思えることはどんどん吸収して、正社員達が行う仕事を全部覚えることにチャレンジするとか、何でもやってみることが大切ではないかと思います。そういった取り組み方の違いで、フリーター時代の経験が後の仕事に生かせるかどうかも変わってくるでしょう。どんな仕事でもそうだと思います。皿洗いでも(今は自動洗浄器?かもね)、ホテル掃除でも、トマト栽培でも、工事現場でも、何だって考えるべきことはありますから。そういう場所には、仕事を熟知したベテランもいますから、そうした人から学んでいけばよいのです。直に教われなくとも、見て覚えるとかできますから。


さて、5)については、根本的なところから考えると、スピリチュアルカウンセリングを受けるとか、セミナーとかで洗脳してもらうとか、新興宗教に走るとか、そういう心の問題に踏み込めないと、解決できないような気がします。挙げた解決方法は無謀なのでヤメテ欲しいですが(笑)、真剣に考えれば考えるほど、いい解決策は思い浮かびません。政府は、毎年フリーターの20万人削減を目標に、国民会議を設置して、経済界や労働関係、学識経験者などに解決方法を考えてもらう、ということのようです。しかも会議の会長には奥田経団連会長を据えるということで、本気度は示していますが、結局厚労省がらみですね。今までまともに雇用政策を立案実行してこなかったくせに、今さら何を、とも思ってしまいますが、仕方がないです。皆で考えれば何か知恵が浮かぶやもしれません。果たして、心の部分にどうやって関われるか、自信喪失者に自信を取り戻させるよい方法はあるのか、ということです。この部分は、ニートにも共通するものがあるかもしれません。何かの支援組織などで、相談を受けてもらったり、似たような境遇の人同士で一緒にグループを作ってもらって乗り越える努力をしてもらうとか、・・・何だか考えが浮かびませんが、そういう場所・仕組みのようなものが必要ではないかと思ったりします。一人ぼっちでは、きっと乗り越えられません。悪い方向には進みやすいかもしれませんが。


書いていて、支離滅裂になってしまいましたが、複雑な問題が残されていることは確かです。でも、行政は取り組もうとしていますが、お仕着せでは解決できないと思います。社会のセーフティネットをどう作るかもよくわかりません。社会保障改革にも繋がる問題なので、行政も本気で考える必要があります。