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格差社会5

2005年04月16日 18時14分17秒 | 社会全般
前からの続きですが、教育上の格差について考えてみようと思う。
まず初めに、教育問題を研究している刈谷教授や希望格差社会を知らしめた山田教授の著書や論評は、多くの人から紹介・指摘があるので、それらの意見を尊重された方がよいと思う。私は違う意見かもしれませんので、素人の戯言が存分に含まれていることを念頭にお読み頂きたい。


まず、教育は親の収入や学歴といった事柄に大きく影響を受けるので、教育機会の平等が失われており、社会的階層の固定化に繋がる、ということについてです。

結論から言えば、そりゃそういう面はあるけれども、これを「格差」と呼ぶのが適切かどうかということであって、「格差」とか「不平等」ということを取り立てて言うべき現象なのかと疑問に思う。


例えば、親が元体操選手で、小さい時から体操の英才教育をして、オリンピック選手を育てたら、これは格差なのか?両親とも音楽関係の一家に生まれて、世界的に有名なバイオリニストやピアニストになることも格差であり不平等なのか?タイガーや宮里愛ちゃんのような、ゴルフ教育を受けた人は、著しく不平等なのか?こういう例は、親の影響を多分に受けており、機会均等でもなければ、階層化に繋がるのか?素朴な疑問です。イチローやゴジラ松井は、他の選手にはなかった特別有利な環境を与えられており、その格差の結果、成功できたのか?これが、医者一家に生まれた子供が、医者になったら不平等と言う?東大卒のオヤジの息子が東大に入ったら、これは格差のせい?裁判官の娘が弁護士になるのも、機会が不平等?


一体全体、何が言いたいのか分らん。こういう特別な成功例を挙げてもダメだ、という意見もあるかもしれない。確かに全員がこうした成功を収める訳ではない。当たり前だ。でも、どうして、勉強のことばかり比較するのだろう?両親が身体能力が高く、子供が立派なアスリートになったら、これは「ずるいよ」となるのかな?美人のお母さんから、モデルになる娘が生まれたって、誰も文句言わないでしょ。頭脳明晰なお母さんから、勉強の出来る子供が生まれるのとどう違うの?よく分りません。


生き方は家族、特に親の影響を受けることは、当たり前です。犯罪者となった人間の家庭環境を調べてみたら、問題のある家族関係とか犯罪歴や暴力行為などのある親とか(勿論普通の家庭である場合もありますが)、そういうことは調べられているでしょ?スポーツが得意だったり、音楽が凄く出来たり、酪農が好きだったり、読書が好きだったり、影響を受けることは仕方がないでしょ?まさか親を均等にすることもできないでしょう?皆均一な家庭環境なんて出来っこない。こんなの格差でも何でもない。それぞれの家庭とか家族の中にある「文化」が引き継がれるだけだ。その文化の性質や傾向が異なるだけで、格差という問題とは違うと思うが。結婚して思うことは、夫婦は「文化の衝突、出会い」なので一緒に生活すると、思わぬ違いが気になったり、小さな発見をしたりすることもある、というようなことだ。そういう文化は、先祖から引き継いできたものであり、これを統一することなど出来ない。文化は、勿論勉学とか運動とか芸術とか全てに影響を及ぼすに決っている。こんなのは、格差でもなければ不平等でもない。単なる多様性に過ぎない。


公教育に求められることは、そうした全員異なった文化を持つ子供に対して、子供の特徴・能力を伸長させるような方向性や道筋を一緒に探したり、家庭教育の不足を手助けしてあげたり、社会参加の準備や社会性の獲得を促進したりすることであると思う。当然のことながら、全員「逆上がりができること」とか「25メートル泳ぐこと」ということと同じように、「九九ができること」や「漢字100個が読めること」といったようなハードルは設定された方がよいと思うけれども。


とりわけ学力のことだけに関して、「格差だ、不公平だ」ということだけが取り上げられるのも、おかしな話だと思う。何が望みなのか、よく分りません。親が歌舞伎役者の家に生まれたら、継ぎたくないかもしれないが、歌舞伎役者になるじゃないか。そういう文化を持つ家に生まれたことは、選択とか平等とかそういうことには無関係でしょ?これが、しがないサラリーマンの家に生まれることと、どう違うの?酪農家の息子は、家業を継ぐことが多いと思うけれど、これは不平等なのか?歌舞伎役者を継ぐことと、どう違うのだ?これは階層の固定化なのか?だいたい、失礼なんだよ。そういう家業を継ぐ人を、負け組と考えているか、階層の下の方だと思っているんじゃないのか?勉強ばっかりしかしてこなかった教授連中自体が、差別的に考えているんじゃないのか?


大企業に入って社長になりたい人と、すごく美味しいイチゴ作り名人になりたい人と、どっちが偉いとかあるわけ?樹医と呼ばれる樹木専門家と回虫専門家に格差があるのか?米作りの達人と、イネゲノムの研究者はどっちが偉い?本マグロ漁の名人と、海洋生物研究家はどっちが勝ち組なんだ?むしろ、差別だ、格差だ、ということを、声高に主張する人達の方がはるかに差別的か、画一的価値観の持ち主のように思えてくる。人間そのものへの敬いとか、他人の価値観の尊重ということを、無視しているかのように思える。収入が多い、安定している、高学歴といった尺度で見るという、偏狭な価値観で世の中の人々を区分けし、階層だの不平等だのと言っているように思う。これを心が貧しいと言わずして、何と言う?


人は自分の持てる能力を他人の為に使うことによって、その相対的存在意義が明らかとなるように思う。それが社会的な、というか社会の中における個人の存在確認でもあるかもしれない。職業はその最も明瞭な形なのではないか。何だかうまく表現できないが、例えて言うと、個人の才能を自分の為だけに使う人は、歌手として認知されない。そういう能力を持たざる人の為に使うことで、歌手としての存在価値がある。プロ野球選手も自分の為だけに使っても、価値としては特になく、社会的には、そういう能力を持たざる人々の為に使うので、他人から価値として評価される。このように考えると、どのような職業にしても同じなのではないか、と思うのである。私は漁師にはなれないので、そういう能力を持っていないが故に、漁師さんが魚を獲ってくれることに特別の価値があると思っている。自分(私)が発揮できない能力を、他の誰かが代わって行ってくれることによって、社会はうまくいくのではないかと思うのである。

職業とはそうした相対的に認められた価値であるとすれば、どのような職業であろうと、個人の能力は持たざる人々の為に使われるべきで、生きていくときに、「自分の人生を自由に生きる」とどれ程思っていても、間接的には「他人の為に自分が持つ何かの能力を発揮する」ということが必要なのである。これが全くないならば、その人は「自称金融コンサルタント」「自称占いセラピスト」「自称詩人」というような(時々逮捕報道などで、この自称~というのを耳にしますね)自己評価しかないものか(他人からの相対評価がなければ、その能力が発揮されていることが誰にも分りません)、無人島に孤独に暮らすというようなことしかないように思う。


NHK番組の時に、北大教授(スミマセン、名前忘れました)が生活保護のような低所得層の調査をしたら、富裕層に比べ子供の学歴に大きな影響を及ぼしていたということを述べていたが、確かにそういう一面はあるだろう。大学にも行かせられない、という意見も有り得る。だが、現実には、自分で働いて貯めたお金で学校に行っている人もいるし、夜学に通う人もいれば、通信教育で勉強してる人もいるし、新聞奨学生になっている人もいる。勉強を頑張って、もし本当に大学に行きたいなら、いくらでも方法があるのだ。日本育英会とか自治体とかの奨学金もあるし、民間団体の奨学金もあれば、大学の授業料免除規定もあるし、社会人大学院の制度もある。要は、知らないだけか、実行するガッツがないか、はなから単に諦めているだけだ。事実、真剣に頑張っている人達もたくさんいるわけで、そういう例を挙げてもその通りには出来ない、ということを言われてしまえば、じゃあどうしたいの?と思うのですね。能力も努力も足りなければ、そりゃ何だって無理だろう。スポーツも勉強も音楽も、何だって同じだ。むしろ、後天的に獲得できる要素であれば、それほど差が生じないと思うが、生まれつき音楽センスがあるとか、美人とか(笑)の方が、努力の及ばない領域であるかもしれない。


高学歴の夫婦から生まれた子供は、また高学歴となる人もいるかもしれないが、逆に不良になったり落ちこぼれになったりはしないのか?知能の高い親を持つ子供は、皆知能が高いのか?実際は違うだろう。かなり昔に、親の知能と子供の知能についての調査があったと記憶しているが、どのような文献だったかは正確には分りません。内容としては、知能別に上・中・下と分けて(表現が不適切かもしれませんが、お許しを)、両親とも上のグループのうち2~3割は下の子が生まれる。逆に「トンビが鷹を産む」という例に例えられるような、下の両親から、やっぱり2~3割は上の子が生まれる。だいたい、こんな内容だったように思う。どこの部分にスポットを当てるかで、認識も多少変わるような気がする。今度、高学歴とか金持ちの子供で、残念な成績に終わった子供の調査をしたみたらよいのではないですか?成功例を引き合いに出すより、挫折例の方が反発は少ないかもしれませんし。


もしも、金持ちは子供に金をかけられるので、選択肢が広いから、貧乏人から見ると不平等であり、ずるい、ということであれば、全員同じ資産をもつような国家体制にしない限り、解消できませんね。そういう非現実的な解決しかないというのも、余りに馬鹿げた話で、生まれた家の金のあるなしで、何故希望格差に繋がっていくのか、私には理解できません。貧乏な方が逆に偉人伝的で、物語としても面白いだろうと思うけどね。昔から、アニメ・漫画やフィクションの世界では、金持ちで頭がいいのは、イヤミな役とかイジメ役と決っており(笑)、主人公は貧乏でも明るく努力する才能を持つ者と決っている。皆さん、いっぺん、『NARUTO』を読んだ方がいいですね。
はるか昔、シェークスピアの時代から、小賢しい知恵の働く、狡猾で金を持つ人間は「シャイロック」と決っており(笑)、金があることは人間として大切な要素でないことは、4百年前から判っていたでしょうに。



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2005年04月16日 11時49分21秒 | 外交問題
以前書いた記事(中国の軍事的脅威)の続報です。報道によれば、EUの対中武器輸出は見送りとなったようです。反日デモはある意味グッドタイミングで、EU諸国の対中心理を急速に冷やすことに一役買ったようです。やっぱり、嫌がらせとか日本大使館や企業への不当な攻撃は、自らの不利に働くように出来ているのでしょう。昔風に言えば「お天道様が見ている」という感じでしょうか(笑)。EUに対する日米の外交努力が実った形となりました。

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <武器禁輸>対中国、「早急な解除決定はない」 EU

もしもEU諸国が持つ軍事技術や武器等が中国に渡れば、いち早く近代化が進み、特に航空戦力やミサイルの充実は、日米にとっても大きな脅威となることは間違いありません。これが数年遅らせられただけでも、日本の安全保障には大きな意味があるでしょう。




もう一つは国連の石油・食糧交換プログラムの不正疑惑についてで、遂に起訴にまで発展したようです。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 国連人道支援事業の不正疑惑、米連邦地検が3人起訴

先日のアナン事務総長の「潔白宣言」で大いに不興を買っておりましたが、中枢部分は何とか決定的ダメージを回避できた模様です。しかし、今後更なる不正発覚もあるかもしれません。裁判中に爆弾発言が飛び出さないとも限りませんから。日本にとっては、アナン事務総長という後ろ盾を失うことは、常任理事国入り問題の後退を意味しており、安心はできません。今まで散々国連に尽くし、更にスマトラ沖地震の時には、国連の枠組みを重視するように米国を中心に関係各国の調整を図って、アナンさんの協力を取り付けられる見通しが立ったと思ったのに、アナンさん本人が疑惑で失脚しようものなら、目も当てられませんからね。韓国の「反グループ4」運動が気になるところです。国連改革の正念場はまだまだ先と言えそうです。