いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

日ハムいよいよ6連勝か?

2005年04月18日 20時19分10秒 | 経済関連
ハム 破竹の5連勝!

序盤の借金も返済して、投打のバランスがよくなってきた。
なんと言っても打線が好調だ。打ち勝っている。ピッチャーの負担が減るねー。
引っ張っているのは、勿論小笠原!高給取りだから、頑張ってくれ。
予想以上に好調なのが、木元。
新庄はこんなもんだろ。
稲葉もまあ、こんな感じ。


ホームランの破壊力は昨年よりも落ちるかもしれないが、粘りとつなぎがいい感じ。
今日も、今のところロッテにリードしてるぞ。4-0だー!
このまま行けば6連勝。首位が見えてくるぞ。


ロッテの序盤出足がいいのは、いつものこと。もうすぐへばって、陥落してくる。
西武の調子が今ひとつだが、いずれ追い上げてくるだろう。ホークスに強いしね。

いまが貯金チャンスだ、ハム。
貯められるうちにいっぱい貯めてくれー!



話が変わりますが、ゴルフのさくらちゃん、涙の初優勝だったね。
応援してたわけではないけれど、よかったね。
(『NARUTO』のサクラちゃんは、ウチでは今ひとつ。地味なヒナタが一番人気!)

「優勝してないのに、人気先行」とか、やっかみもあったかもしれないし。
稼ぎが凄いからね、本当に。契約金が半端じゃなくデカイ。
リーマンオヤジの生涯賃金をあっさり稼ぎ出されて、オヤジ泣くね、きっと。
だから世の中、金じゃありませんから、って言ったでしょ(笑)



ライブドア第2幕終了

2005年04月18日 18時42分49秒 | 社会全般
事前の情報の通り、ライブドアが取得したニッポン放送株をフジ側に全株引き取らせ、業務提携へとなったようです。今後の焦点は、ネットという手段が、メディアにとってどのような旨みのあるビジネスが発生するかという点であり、逆にネット企業は、メディアのコンテンツやブランド力をどのように生かせるかということですね。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - フジとライブドア、提携合意を発表


例えばラジオ放送とネットの融合ということになれば、今までと何が変わるのか、という疑問もあるかもしれない。又は、テレビとネットにはどんなビジネスモデルがあるのだろう?明快なモデル提示がなければ、ほりえもんの評価は急降下であると思う。切込隊長氏が述べた通り、単なる「グリーンメーラー」に過ぎない(全然関係ないんですが、切込隊長氏は「第1幕目」と明確に書かれておられましたが、私の記事進行は、以前に第1幕終了、第2幕の幕開けと書いてしまってますから、今さら戻れませんから、残念~。ですので、このまま次は第3幕ということにします)。

新株発行差止仮処分を決定した東京地裁や東京高裁は、グリーンメーラーを要件に挙げていただけに、「グリーンメーラーもどき」という極めて黒に近いグレーで終わるなら、世の中全体に対する背信行為というか裏切りであろう。当然、ライブドア株主に対しても。


次のステップ(第3幕)では、業務提携の中身が問われる。そうした社会の評価に耐えうる企業であるかどうかもまた、良い企業とそうではない企業の分かれ道であるし、真の企業価値、そして何度も問題とされてきた「経営者の資質」を今度こそ問われるであろう。少なくとも、信頼を大きく損ねるようなものであってはならない。(新聞口調ですね、「あってはならない」での結び)

参考記事:
ライブドア再び
リーマンの思惑は?
マスメディアの正論
金で何でも…
マスメディアの自己批判
ライブドア第一幕終了
第二幕の幕開け
ライブドア第二幕の続きなど…
ライブドア第二幕――高裁決定
第2幕のクライマックスが見えたか



格差社会6

2005年04月18日 16時39分43秒 | 社会全般
最近、またニート問題が流行りだしてきたのかな。色々な人が書いてますから、またしても後出しなのですが、シリーズなので書いてみたいと思います。一応、ニートの事は以前書きましたので、去年の古い記事ですが、記しておきます。

ニート
ニート再燃


現在そして今後の問題として、どのように捉えて行けばよいか、また、希望格差社会ということと一緒に考えてみたい。
まず、ニートにも様々な理由があり、一概に同じような対策で解消できるとも言えないし、総括的な制度・政策では難しいということ。昨年ネット上でいくつか議論もありましたが、はっきり言うと心の病気になってしまい、就業できない人に、「お前は働けるのに働かないんだろう」と言ってみても仕方がない、ということです。他にも、極東ブログさんが「ニートについて」でご指摘の通り、家事手伝いという人々も存在するわけで、これも昔から存在してました。動物だって、群れの個体数が増加して食物獲得が厳しくなると、過度のストレス状態(ストレス環境)となり、弱い個体は死に易くなるらしい。そりゃそうだろうなと思う。人間だって生物なんだから、ストレス状態で色々な病気も起こるだろう。まさか、そのまま死ぬことを放置する訳にはいかないので、これを救済できるような制度とか環境も必要になる、ということは言えます。


フリーターもそうなのですが、問題は、このようなニートの全体の数が多い、ということで、昔レベル程度に戻せるようにどうにかやってみましょう、ということかな。ニート分類で言えば、ひきこもりタイプ以外は支援で何とかなりそうな感じですね。でも心に大きな問題があればそちらの解決が先決であり、それは専門家じゃないと難しいかと思います。また家族や地域社会の取り組みが必要になってくると思います。


<分類再掲>

Ⅰヤンキー型
 反社会的で享楽的。「今が楽しければいい」というタイプ
Ⅱひきこもり型
 社会との関係を築けず、こもってしまうタイプ
Ⅲ立ちすくみ型
 就職を前に考え込んでしまい、行き詰ってしまうタイプ
Ⅳつまずき型
 いったんは就職したものの早々に辞め、自信を喪失したタイプ


ニート分類の中にもあり、フリーターの記事(格差社会4)でも分類してみましたが、「自信喪失」と「やりたいことが見つからない」(所謂「自分探し」)の問題は共通するように思います。高校生のアンケート結果を紹介した記事(教育を考える8)にも書きましたが、この結果で見ると自信喪失が明らかであり、はなから劣等感に包まれてしまっていることが問題です。これが、山田教授の言う「希望格差」なんじゃないか、とも思えます。敗北感が、より低年齢化しているとも言えます。普通は事業に失敗したり、会社をクビになった大人とかが感じるような敗北感であるのに、です。固定化されているのは、社会の価値観であり、親の価値観であって、子供のやる気や能力ではないはずなのです。そのことを教える大人が減っている、ということではないかと思えるのです。


「自分が必要とされているかわからない」とか「自分に何ができるかわからない」というようなことから、「オンリーワン」へと逃げ込もうとする若者が増えるのではないだろうか。その顕著な言葉が「自分がやりたいこと」「自分に向いてること」で、自己しかない自分の心の世界へと閉じこもり、「将来は見込みがない」「どうせ俺はこんなレベル」「いい学校に行けなかったから、もう落伍者だ」という決めつけが出来上がっているのではないか。この評価は、主に親の考えが反映されているのかもしれない。親の評価は、世の中で言いふらされる評価の、一面的な部分だけが強調されて、親の頭に埋め込まれているのだろう。固定化は、子供にではなく、親の頭の中に出来上がっている。

「オンリーワン」を目指すのは、何かに没頭したり、求道者的な取り組みをする時に、他者との競争ということではなく、自分の中でのより高いレベルを求め続けるときである。相手は自分の中にあるのだ。そういう確たる価値観があれば、自らの仕事に誇りを持つということを意識させ、同時に自分の存在価値を実感できるのではないか。これは、あらゆる局面で「徹底的に良心的な仕事をするという、優れた完全主義という文化」(エリート教育は国際競争力を高めるか)ということと、密接に繋がっているのだ。


一方で、「どのように頑張ればよいか」「道を切り開く勇気と強い意志をどう育むか」ということについて、親も子供も分らないまま何もせず過ぎていくので、親は「のびのびと育てる」「個性や自主性を尊重する」という一見妥当な方向(単に無策なだけということもある)へ進むのである。しかし、これは、親が教育方法の探索を放棄した場合にも出てきてしまう。家庭の教育力低下と呼ばれるのは、こうした探索を止めてしまう親が増えている、ということなのだろうか。おまけに、昔は「親はなくとも子は育つ」などと言っていたが、これは小学卒業後くらいから丁稚奉公に出るとか、中卒で集団就職するという若年の就業があったことや、地域社会の教育システムがある程度機能していたので、社会が育ててくれた面があったのかもしれないが、今はこうした機能は殆ど失われているようである。これも最近言われる「地域の教育力低下」ということと符号するかもしれない。


これらを解決する方法は、よくわかりませんが、やっぱり子供に仕事させるということくらいしか思いつきません。或いは、部活を凄く頑張るとか、スポーツを頑張るとか、そうした経験から、何かを掴めることができれば、少し変わってくるかもしれません。以前に書いた地域の祭り参加も、実体験を積む場として考えると、有効なのではないかと思います。具体的政策・制度については、NPO、教育関係者とか行政の専門家等で、真剣に考えていくしかないと思います。


参考までに、格差社会シリーズをお読み頂ければ幸いです。





コメントスクラムのこと

2005年04月18日 00時12分06秒 | 社会全般
コメント頂いた「てるてる日記」のterutell さんの所にTBしようとしたのですが、何故か上手く出来ません(スミマセン~、方法がよくわかりません)。そこで、記事に書いてみることにします。

もうこのような事態は、悲しいばかりですね。今まで何度も記事に書いてきましたが、本当に前進がないのですね。


terutell さんは、以前小倉先生の所や、「駝鳥」さんのところでもお見かけしておりました。
この度、拙ブログをご紹介頂いて、有難うございます。お互いのお考えは、もう言わずともお判りでしょうから(笑)、割愛させて頂きます。今後、多く方々の自制に期待するしかないとも思えます。今の中国のデモとちょっと似ていますね。とりあえず出来ることは、私も記事に書くことくらいです。

参考記事:
言葉の創造と理解
続・言葉の創造と理解
「株買占め」と言葉の由来
人権擁護法案とネット言論
この他、「カテゴリー:社会全般」にマスコミ批判シリーズとか…


前も記事に書きましたが、言葉の定義とか、造語の妥当性ということについて、いくら説明を求めたり、言語的意味や用法などから検証することも、殆ど意味が無いのですね。いくら「グリーンメール」がグリーンは不適切とか、株関係への意味が合っていないと主張してもしょうがないし、「サイバー攻撃」と言うのがいいのか、「電脳攻撃」いいのか比較しても仕方が無いとしか思えないのですね。言葉に自己の常識やそれまでの定説を当てはめることに、大した意味など感じられませんね。「電脳攻撃」が絶対いいんんだ、正しいんだ、と主張する方は、それを用いていれば済むことなのです。もしも「サイバー攻撃」が認知され使用されなければ、消えていくだけですから。普及し、広く認知されなければ、造語は消えてなくなる運命なのですから。非常に簡単な結論ですね。このように考えることもそれほどまでに困難なのでしょうか。「電脳攻撃」を使用する人間に、「それは違う。サイバー攻撃と言え」ということを、説得して回る意味と言うものがよくわかりません。ですので、「コメントラッシュ」が妥当と思われる方々は、それを使用して世の中に普及すれば済むことです。私も、特段「コメントラッシュ」が不適当とも思いません。それが好みなら、それはそれでいいように思いますが。単に、先に「コメントスクラム」というブログにおける現象面に着目した造語が、先に公表されたということだけです。「コメントラッシュ」派は、自らの記事にそのように書いていけばよいのではないでしょうか。私は、未だ一度も使用したことはございませんが。