今の失業率では、仕事したくとも正社員の仕事がないと。確かにそういう一面があるかもしれません。でも、ハローワークにも求人誌にもたくさん求人は出ており、全くない訳でもないと思います。自分のやりたいことやできることと、求人側が求める人材・能力とのギャップはあるかもしれません。それを埋めるのは自分の努力以外ないのではありませんか?ギャップの小さいところを自分で探すしかないのではありませんか?
今後団塊世代の大量定年で労働力人口は減少して、数年後からは労働力の需給は改善する、と以前書きました(新社会保障の重要因子1)。従って、今まで正社員になれなかった派遣社員とかフリーターとかパートの人達にもチャンスは出てくると思います。ただ、企業側が今までの人件費抑制策に味を占めて、それ程雇用人員を増やそうとせずに、正社員以外の労働形態で人員を調達しようとする可能性はあります。しかし、この場合には残された正社員達への負担は大きくなるであろうと思います。就業環境の2極化が起こってくるかもしれません。いつまで経っても正社員になれず低収入のフリーター軍団と、それを使いこなす立場の正社員達やその少し上の中間管理職は、凄く仕事がキツクなり、心労が重なってイヤになる。こんな感じでしょうか。軍隊で言えば、使い捨て戦力的な兵卒やら急造不正規兵(フリーター、パート・・・)達と、下士官クラス(正社員)や小隊長クラス(主任とか係長)の士官あたりが、ヘロヘロになるって具合ですかね。この小隊は強くなれますかね?この可能性は少ないのではないかと思いますけれど(正社員増やすと思う)。
夢に向かって努力したり、頑張ることは必要です。前に少し書きましたが(格差社会1)、ミス日本になりたい、と言う時、応募しなければ永遠になれませんから、チャレンジしたい人はやってみるしかないでしょう。一方で、百回チャレンジしてもダメなものはダメですね。普通は数回チャレンジすれば通常はそれを理解するでしょう。自分に求められるミス日本という条件に自分の能力・個性が合致していなければ、いくら夢見ようが、モデル養成スクールに大枚はたいて通ったり、エステに通ったり、英会話を習得したりして努力しようとも、個人の能力・個性が及ばないことがあることくらい誰でも理解できるでしょう。ミス日本には必ず誰かが選出されますが、不平等によって選出されるとかされないとかではないし、努力したから必ずなれるとか、そういうことではありませんね。要求されるものと自らの持つものとのギャップが埋められなければ、永久に無理ですね。非常にシンプルな結論なのです。
しかし、応募するという競争を選択してみないと、結果はわかりません。この選択をするかしないかは、個人の自由であり、自己責任です。ミス日本に選ばれた人をいくら羨んでも仕方がないでしょ?ならば、落選して自分には到底無理と判明したら、レベルを下げて、現実的に”ミスとうもろこし”あたりを狙ってみるとか(こんなのないと思いますが、笑)、他の道を選ぶしかないでしょ?ミス日本に落選したら、負け組なの?そんなことはないでしょ?もっと別なところで頑張る方法はいくらでもあると思いますが。ミスとうもろこしもダメな場合には、町の農協受付嬢(自分的には”ミス○○町農協”?)で頑張ってみるとか(笑)。そういうことが自分に納得させられるならば、いくらでも頑張ることは可能だと思いますが。ところが、自分はこんなレベルじゃない、とか思って、他の選択肢を拒否すると(「ミス日本がダメでも、ミス東京レベルじゃないと。私はそれ以下には落ちたくないし、レベルを落とすのもイヤだし、他のミスは眼中にはないのよ」というような高慢ちきな女みたいな感じ?)、いつまで経ってもミス日本でもなくミス東京でもなく、勿論ミス農協にもなれない。そのまま時間ばかり過ぎていき、どれもチャンスも失ってしまうのです。
リストラされた人が、仕事がなくて苦しんでいるという話も聞きます。確かにそういう側面はあるでしょうね。家族を養えなくなる、子供の学費が払えなくなる、住宅ローンが払えなくなる、といった様々な悩みがお父さんに襲い掛かりますね。確かにこのプレッシャーは、家族を持つ私にも分ります。でもね、本当に困るなら、これも方法を考えればいいんですよ、きっと。女房・子供に多少の苦労をさせても仕方がないじゃないですか。昔から、不況倒産(父さんだけに・・・下らない駄洒落が好きですみません)は珍しくはなかったでしょ?特別リストラなんかに遭わなくたって、経営者もろともぶっ倒れてしまっていたじゃないですか。これを乗り越えることは、多くの人々が実行してきましたから。時代によって失業率が違う、って言われてしまうかもしれませんが、生きていくのには、失業率の1%くらいの違いなんて大して関係ないだろうね。そりゃ、政策的とか経済的な観点では大違いだろうけど。
本当に困るんだったら、女房も息子も娘も働けばいいんですよ。何を優先したいか、家族でよく話し合って考えるべきです。例えば、住む所を第一に重視するなら、家のローンを皆で払えるように努力するしかないでしょ?息子は私立高校から公立高校に転校する、娘のお小遣いは5千円から2千円にするとか(ウチの子は春から中1ですから、お小遣い値上げして700円になったらしい。これって少ないんですか?)、お母さんは恥ずかしいかもしれないが、見栄を捨てて雇ってもらえる所なら何処でも働けばいいんですよ、パートでも何でも。そうやって、家族皆で支えられるなら、お父さんの給料が半分になっても耐えられるかもしれんよ。お父さんは、「半分になってしまったら、生活できない。だから、この仕事には就けない」というような部分があるから、就業できない場合もあるんじゃないかな?
子供の将来を第一に優先するなら、塾は諦めるが私立学校には通わせ続け、その為に住宅は売却して、安い賃貸に移ればいいんです。その代わり息子や娘には、死ぬ気で勉強頑張ってもらえば?(笑)息子は当然、毎朝新聞配達をしてから学校へ行けばいいんですよ。楽して学校に行かせてもらえるとは限らないってことです。お父さんの給料が半分になったら、これも仕方がないでしょ?娘もファーストフードでバイトすりゃいいんですよ(学校で禁止されてるの?これまた余計なお世話だな)。
お父さんはね、変なプライドを捨てることです。リストラに遭うってことは、何か理由があり、貰っていた給料と人材や能力のバランスが取れてなかったとか、会社の経営状態とか、派閥争いとか、色々だと思いますが、辞めた時に年俸6百万円だとしても、次に同じ給料くれるところは滅多にありませんから。これが3百万円だとすれば、働こうと思うなら、きっとありますよ。でもね、「5百万以上貰えなきゃ、働けない」とか言っていると、仕事がない、ってことですね。あなたの能力と年齢とでは、そんなに払えませんよ、ということになりがちです。そういう時に、考え方を転換できるかどうかですね。
たとえ、昔ミスキャンパスに選ばれたとしても、過去の栄光にしがみついていても仕方がありません。目の前にあるのは、現実です。お父さんが昔はどれほど猛烈に頑張って、給料も順調に上がってきたかもしれないが、リストラされてしまったら、そんなの過去のことですから。これと一緒ですね。ミスキャンパスだった人も、年をとればオバサンになっちゃうし、そこで自分の能力をどれ程信じていて、「今からミス日本にチャレンジだ」とか「ミス東京以下にはなりたくない」とかほざいても、誰も選んでくれないなら意味ないでしょ?そういう現実に気付けば、自分が選べる範囲なんて自ずと狭まるかもしれない。勿論優秀な人で、都銀辞めて地方銀行に勤められる人とかもいるかもしれんが、全ては自分の能力と、求人相手が求めるものの一致によるのです。そういう自分かどうかを、ある程度判断できるようでなければ、いつまでも「ミスキャンパスだったのに・・・昔はよかった」とか「私はミス東京レベルだから、それ以上の待遇で」といった勘違いを続けることになってしまいます。
結局道を切り開くのは、あくまで自分であり、周囲の人(主に家族ですね)の手助けも勿論必要になるけど、「負けない気持ち」を持っているかどうかではないでしょうか。まあ、私はそういう体験がないので、現実に自分が遭遇したらどうなるか、ということは断言できませんが。ウチの家内は、「住宅ローンが払えなくなったら、賃貸でもいいじゃない」と言ってくれるので、多分何とか生活していけると思います。でも、子供の小遣いカットは役に立たないな、元が少なすぎて(爆)。
フリーターとかニートについては、また次の機会に。
参考記事:
格差社会2
今後団塊世代の大量定年で労働力人口は減少して、数年後からは労働力の需給は改善する、と以前書きました(新社会保障の重要因子1)。従って、今まで正社員になれなかった派遣社員とかフリーターとかパートの人達にもチャンスは出てくると思います。ただ、企業側が今までの人件費抑制策に味を占めて、それ程雇用人員を増やそうとせずに、正社員以外の労働形態で人員を調達しようとする可能性はあります。しかし、この場合には残された正社員達への負担は大きくなるであろうと思います。就業環境の2極化が起こってくるかもしれません。いつまで経っても正社員になれず低収入のフリーター軍団と、それを使いこなす立場の正社員達やその少し上の中間管理職は、凄く仕事がキツクなり、心労が重なってイヤになる。こんな感じでしょうか。軍隊で言えば、使い捨て戦力的な兵卒やら急造不正規兵(フリーター、パート・・・)達と、下士官クラス(正社員)や小隊長クラス(主任とか係長)の士官あたりが、ヘロヘロになるって具合ですかね。この小隊は強くなれますかね?この可能性は少ないのではないかと思いますけれど(正社員増やすと思う)。
夢に向かって努力したり、頑張ることは必要です。前に少し書きましたが(格差社会1)、ミス日本になりたい、と言う時、応募しなければ永遠になれませんから、チャレンジしたい人はやってみるしかないでしょう。一方で、百回チャレンジしてもダメなものはダメですね。普通は数回チャレンジすれば通常はそれを理解するでしょう。自分に求められるミス日本という条件に自分の能力・個性が合致していなければ、いくら夢見ようが、モデル養成スクールに大枚はたいて通ったり、エステに通ったり、英会話を習得したりして努力しようとも、個人の能力・個性が及ばないことがあることくらい誰でも理解できるでしょう。ミス日本には必ず誰かが選出されますが、不平等によって選出されるとかされないとかではないし、努力したから必ずなれるとか、そういうことではありませんね。要求されるものと自らの持つものとのギャップが埋められなければ、永久に無理ですね。非常にシンプルな結論なのです。
しかし、応募するという競争を選択してみないと、結果はわかりません。この選択をするかしないかは、個人の自由であり、自己責任です。ミス日本に選ばれた人をいくら羨んでも仕方がないでしょ?ならば、落選して自分には到底無理と判明したら、レベルを下げて、現実的に”ミスとうもろこし”あたりを狙ってみるとか(こんなのないと思いますが、笑)、他の道を選ぶしかないでしょ?ミス日本に落選したら、負け組なの?そんなことはないでしょ?もっと別なところで頑張る方法はいくらでもあると思いますが。ミスとうもろこしもダメな場合には、町の農協受付嬢(自分的には”ミス○○町農協”?)で頑張ってみるとか(笑)。そういうことが自分に納得させられるならば、いくらでも頑張ることは可能だと思いますが。ところが、自分はこんなレベルじゃない、とか思って、他の選択肢を拒否すると(「ミス日本がダメでも、ミス東京レベルじゃないと。私はそれ以下には落ちたくないし、レベルを落とすのもイヤだし、他のミスは眼中にはないのよ」というような高慢ちきな女みたいな感じ?)、いつまで経ってもミス日本でもなくミス東京でもなく、勿論ミス農協にもなれない。そのまま時間ばかり過ぎていき、どれもチャンスも失ってしまうのです。
リストラされた人が、仕事がなくて苦しんでいるという話も聞きます。確かにそういう側面はあるでしょうね。家族を養えなくなる、子供の学費が払えなくなる、住宅ローンが払えなくなる、といった様々な悩みがお父さんに襲い掛かりますね。確かにこのプレッシャーは、家族を持つ私にも分ります。でもね、本当に困るなら、これも方法を考えればいいんですよ、きっと。女房・子供に多少の苦労をさせても仕方がないじゃないですか。昔から、不況倒産(父さんだけに・・・下らない駄洒落が好きですみません)は珍しくはなかったでしょ?特別リストラなんかに遭わなくたって、経営者もろともぶっ倒れてしまっていたじゃないですか。これを乗り越えることは、多くの人々が実行してきましたから。時代によって失業率が違う、って言われてしまうかもしれませんが、生きていくのには、失業率の1%くらいの違いなんて大して関係ないだろうね。そりゃ、政策的とか経済的な観点では大違いだろうけど。
本当に困るんだったら、女房も息子も娘も働けばいいんですよ。何を優先したいか、家族でよく話し合って考えるべきです。例えば、住む所を第一に重視するなら、家のローンを皆で払えるように努力するしかないでしょ?息子は私立高校から公立高校に転校する、娘のお小遣いは5千円から2千円にするとか(ウチの子は春から中1ですから、お小遣い値上げして700円になったらしい。これって少ないんですか?)、お母さんは恥ずかしいかもしれないが、見栄を捨てて雇ってもらえる所なら何処でも働けばいいんですよ、パートでも何でも。そうやって、家族皆で支えられるなら、お父さんの給料が半分になっても耐えられるかもしれんよ。お父さんは、「半分になってしまったら、生活できない。だから、この仕事には就けない」というような部分があるから、就業できない場合もあるんじゃないかな?
子供の将来を第一に優先するなら、塾は諦めるが私立学校には通わせ続け、その為に住宅は売却して、安い賃貸に移ればいいんです。その代わり息子や娘には、死ぬ気で勉強頑張ってもらえば?(笑)息子は当然、毎朝新聞配達をしてから学校へ行けばいいんですよ。楽して学校に行かせてもらえるとは限らないってことです。お父さんの給料が半分になったら、これも仕方がないでしょ?娘もファーストフードでバイトすりゃいいんですよ(学校で禁止されてるの?これまた余計なお世話だな)。
お父さんはね、変なプライドを捨てることです。リストラに遭うってことは、何か理由があり、貰っていた給料と人材や能力のバランスが取れてなかったとか、会社の経営状態とか、派閥争いとか、色々だと思いますが、辞めた時に年俸6百万円だとしても、次に同じ給料くれるところは滅多にありませんから。これが3百万円だとすれば、働こうと思うなら、きっとありますよ。でもね、「5百万以上貰えなきゃ、働けない」とか言っていると、仕事がない、ってことですね。あなたの能力と年齢とでは、そんなに払えませんよ、ということになりがちです。そういう時に、考え方を転換できるかどうかですね。
たとえ、昔ミスキャンパスに選ばれたとしても、過去の栄光にしがみついていても仕方がありません。目の前にあるのは、現実です。お父さんが昔はどれほど猛烈に頑張って、給料も順調に上がってきたかもしれないが、リストラされてしまったら、そんなの過去のことですから。これと一緒ですね。ミスキャンパスだった人も、年をとればオバサンになっちゃうし、そこで自分の能力をどれ程信じていて、「今からミス日本にチャレンジだ」とか「ミス東京以下にはなりたくない」とかほざいても、誰も選んでくれないなら意味ないでしょ?そういう現実に気付けば、自分が選べる範囲なんて自ずと狭まるかもしれない。勿論優秀な人で、都銀辞めて地方銀行に勤められる人とかもいるかもしれんが、全ては自分の能力と、求人相手が求めるものの一致によるのです。そういう自分かどうかを、ある程度判断できるようでなければ、いつまでも「ミスキャンパスだったのに・・・昔はよかった」とか「私はミス東京レベルだから、それ以上の待遇で」といった勘違いを続けることになってしまいます。
結局道を切り開くのは、あくまで自分であり、周囲の人(主に家族ですね)の手助けも勿論必要になるけど、「負けない気持ち」を持っているかどうかではないでしょうか。まあ、私はそういう体験がないので、現実に自分が遭遇したらどうなるか、ということは断言できませんが。ウチの家内は、「住宅ローンが払えなくなったら、賃貸でもいいじゃない」と言ってくれるので、多分何とか生活していけると思います。でも、子供の小遣いカットは役に立たないな、元が少なすぎて(爆)。
フリーターとかニートについては、また次の機会に。
参考記事:
格差社会2