誰もが「落書き」をした事があると思います。多分それは「文字」を書く事ができる前から、「絵」を描いていたのではないでしょうか?「幼児」の頃から人は絵を描けますし、描こうとしています。では、昔の人たち。「原始人」と言われている人たちも絵を描いていたのでしょうか?今から約2万年前の「旧石器時代後期」に「クロマニョン人」よって描かれた絵が「フランス南西部」にある「ラスコー洞窟」にあります。コレは「世界遺産」となっている「ラスコーの壁画」なのです。
今から約76年前の「1940年9月12日」に「穴に犬が落ちて」しまい、それを助けに入った子供4人が「穴」が「洞窟」でそこを探検していて「壁画」を発見。それを「学校の教師」に話、世紀の大発見となりました。「第二次大戦中」でしたが、この話題は多くの見物人を「ラスコー」に招きましたが、あまりに人が殺到したため洞窟は一時的に閉鎖されたのです。その後1948年に「道路・入り口・床・階段」そして「電気照明」が整備され再び公開が開始、さらに「1958年」には「空調設備」まで設置されたのです。しかし、これらの設備工事は「考古学者」などの学識人への相談・監修が一切なく進められていたのです。そしてそれらの結果、「洞窟壁面」に「緑」や「黒」、「白」のシミが発生。対処をしたのですが一向に効果は出ず、状況がやっと快方へ向かったのは「フランス政府」が「ラスコー洞窟」を「入場制限」してからでした。原因は「人間の吐く呼気」によって「バクテリア」、「藻類」、「菌類」が増殖し、「炭酸塩」が分解、沈殿し壁画が破壊されることだったのです。それ以外にも「空調施設」も原因の一つと考えられています。
こうして1963年、「フランス政府」は「ラスコー洞窟」を閉鎖。現在は短時間かつ少数の「応募」により認定された研究者や科学者のみが入れる事が出来ます。ただ、「壁画」は完全に守る事ができましたが、「1日数百人」もの観光客が来ていた「ラスコー洞窟」付近の村は「観光資源」がなくなった事に多くの損害が出ますし、何よりも「旧石器時代」、「フランコ・カンタブリア美術」の「最高傑作」と言われている壁画を見たい人は多く、そこで「1983年」に「ラスコー2」という「レプリカ」が「オリジナル」の洞窟近くに作られたのです。そして「遠隔地展示用」の「ラスコー3」が「2012年」に「ボルドー」で公開。政府機関である「フランス間開発機構」により「世界巡回展」が開催され「パリ」、「カナダ」「U.S」と周り、2016年11月1日に「国立科学博物館 上野本館」にて「特別展 世界遺産 ラスコー展 クロマニョン人が残した洞窟壁画」が開催されたのです。
でもって、「かはく好き」な私、行ってきました「ラスコー展」。
「人類文化」に関心があり、「絵」を描いている私。当然「ラスコー展」は興味がありましたからね。「2万年前」の人たちが見た世界」がどんな物か気になっていましたし、当然「おもしろい」ものである事も解ります。そんな期待で見に行きましたよ。
まず会場へ入ると「イントロダクション」にて「ラスコー壁画」を描いた「クロマニョン人」がどんな人種だったのか?2万年前の環境が解説され「第1章 衝撃の発見。壁画の危機。そして閉鎖」と「壁画発見」から「閉鎖」を経て、現在の状況が「パネル」にて解説されています。
そして「第二章 封印された洞窟を開く よみがえるラスコー」と「閉鎖」されてしまったラスコー洞窟。しかし見たい人が多く、また「壁画」も「人類遺産」として素晴らしいもの。多くの人に見てもらいたいとの事から「ラスコー洞窟」の「レプリカ」を作る事になり、その製作過程、「壁画の模写」。「3次元レーザースキャナ」による「100000ポイント測定」で作られる「洞窟壁面」の完全再現などの技術や方法を紹介。さらにはそのデーターを利用して「1/10ラスコー洞窟」が再現されており、立体的に「ラスコー洞窟」全体を把握する事ができます。コレは「ブロック毎」に分かれて、そのブロックに描かれている壁画が「洞窟模型」の台座に書かれているので、何処にどの壁画があるのか把握できるようになっているのですよ。
「第三章 洞窟に残されていた画材・道具・ランプの謎」」では世界初公開となる「壁画制作」に使った「当時」の「オーク石」や「マンガン」、「線」を彫るための石器。「真っ暗」である洞窟内で作業するために欠かせない「照明」である「ランプ」が展示されています。「岩石顔料」が古代使われていた事は知っていましたが、ラスコーでの「黒」は「黒炭」を使用しているかと思いましたが「マンガン」だったんですね。それと、灯りですが、コレは「獣脂」を燃料とした灯りで、ススが多く発生し決して明るいものではありません。そんな環境下でも絵を描いていたのですよ。そうそう、「原始人」って「洞窟内」で暮らしていたイメージがありますが、実際は「野外」で生活しており、洞窟は「入り口付近」だけを利用していたようです。確かに「洞窟の奥」では「暗い」ですから「生活」するには不便ですよね。
いよいよ「第四章 ラスコー洞窟への招待」。「ラスコー洞窟」を「精密複製」された「ラスコー3」を見る事になります。当然ココは「完全再現」ですから「壁画」は「実物大」。展示も「洞窟」を再現しており、壁画を見た瞬間「ラスコー洞窟」へ入ったような感覚。そして壁面にダイナミックに描かれた絵。ホント素晴らしい光景です。が、さらに楽しませてくれる演出がありまして、展示場内の照明が「1分30秒」で暗くなり「1分後」には明るくなります。その暗くなった時、「線画」が「ブラックライト」によって浮かび上がるのです。確かに「彩色」された壁画も素晴らしいですが、「線画」を浮かび上がらす事により、より何が描かれているか、何があるのかをはっきりさせてくれるのは、ホントに素晴らしい演出ですし、壁画に見入ってしまいますよ。
壁画を堪能したら「第五章 ラスコーの壁画研究」にてさらに詳しい壁画解説がされます。「シアター」では「黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号」に関しての解説がされ、始めは「ウマの列」が書かれており、その後、別の人物が上から「黒い牝ウシ」を描いた事や、洞窟に入り絵を描いたのは「シャーマン」であり、何か術式的な意味があったのかも知れない事などを解説してくれます。
「第六章 クロマニョン人の世界 芸術はいつ生まれたか」。こちらは「日本独自」の追加展示で「ラスコー以外」での「芸術」の歴史を紹介しています。展示されている多くは「彫刻」ですが、それでも「今から4万年前」くらいから「クロマニョン人」が「絵」や「彫刻」をしており、コレは「ネアンデルタール人」では見られなかった兆候なそうです。石器も高度な加工がされ、それに伴い、骨や象牙などの加工技術も向上していったようですね。実際に製作再現をした「動画」もあります。
第一会場では最後となる「第七章 クロマニョン人の正体 彼らはどこから来たのか」ではパネルにより「クロマニョン人」の誕生を説明してくれます。コレで第二会場へ向かいます。
「第二会場」では「第八章 クロマニョン人の時代の日本列島」。なんだかんだで「クロマニョン人」は「欧州」での話し。そこから極東に位置し、遠く離れた日本ではどうだったのでしょう?コレは気になるところです。基本的に「日本」には「原人」がいないので、「大陸から」の移動により土着したところから、根本的に違います。そして「日本の土壌」は「酸性」であり、「骨」や「角」、「象牙」などが残りにくい土壌ですので、その「加工道具」によって判断するしかありません。ただ、クロマニョン人と比較して「絵」「彫刻」「楽器」「ランプ」はなかったようで、「航海術」に「落とし穴」「磨製石器」は日本で発見されていますが欧州では発見されていません。コレは「地域的特色」部分もありますから一概に「どちらが優れている」という判断材料にはなりません。第八章が終われば「ミュージアムショップ」ですが、今回は展示が展示でしたからね「壁画」関連はありますが、その他はパッとしたものありませんでしたね…。
ともあれ、「古代文化」であるため、展示自体の面白さは期待通りでしたが、それ以上に楽しめましたし、何よりも「ラスコー3」は壮観です。少しでも関心や興味があるのなら是非見てみるべきだと私は思います。ただ、「展示」の特性上「お子様連れ」には向いていませんが。
それでは、本日の登場人物は「博物館」の話題でしたので、この方。「ベルジアンタービュレン」の「Chiefille」で「人類学」の中でも「古代美術」を専攻している「ベルギー国立博物館」の「学芸員」である「リリアーヌ・コラフェイス」さんコト「リリア」さんです。「古代美術」を専門としている「リリア」さん。「ラスコー壁画」の実物をいまだに見る事ができないようで、「ラスコー3」を見て…。ちなみに背景が「ラスコー展 「第四章 ラスコー洞窟への招待」の壁画「黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号」でして「線画版」の時なのです。