こたなたよりこんなこと

「登場人物」と「人物設定」は「フィクション」です。人物・企業・団体は実在のものとは関係ありません。

待ち人の日?なんですかね。

2010年04月08日 | 一般

 高校の時、放課後に渋谷で待ち合わせする時は必ず「モヤイ像」で待っていました。その反対側には「日本一有名な待ち合わせ場所」と言っても過言では無い場所「ハチ公前広場」がありますね。そこには当然その広場の名前になっている「ハチ公像」が座っているのは多くの方がご存じなハズです。

 それで、今日はそんな「忠犬ハチ公銅像」と「秋田犬群像維持会」が「ハチ公の日」として制定しました。この事は2006年4月9日付の『朝日新聞』朝刊の東京面の「ハチ公の慰霊祭、50人参列 渋谷」に「慰霊祭は毎年、命日の1カ月後の4月8日に行われている」と書かれた記事があります。

 「ハチ公」映画にも物語にもなっていますから、ご存じな方も多いでしょうが、こんないきさつがあります。「東大農学部」の「上野英三郎博士」に飼われていた秋田犬で、大正12年に秋田県大館市で生まれ、大正13年から上野博士に飼われることになったのです。博士はハチを大変可愛がり、ハチもそれにこたえるように玄関先や門の前で博士を見送り、時には渋谷駅まで送り迎えすることもあったのです。これは有名なエピソードですね。そして、博士が大正14年5月に脳溢血で亡くなった後上野家と交流があった「植木職人」である「小林 菊三郎」に引き取られ「浅草」に住む事になったのですが、その後もちょくちょく渋谷駅前で主人の帰りを待ち続ける事もあったそうです。主人がいなくなった渋谷駅で待つハチ公の一途な姿は人々に感動を与え、忠犬と呼ばれるようになったのです。そして1934年4月、渋谷駅前に銅像が建てられたのです。よく「ハチ公の像」は「ハチ公が亡くなった後に建てられた」と思われている方が多いのですが、実は「存命中」に建てられ「銅像の除幕式」にはハチ公自身も出席しているのです、これは「写真」として残っているので確かな事です。ハチ公はその翌年1935年3月8日に11歳で「フィラリア」が原因で渋谷駅付近の路上で一生を終えたのです。 

ちなみに、ハチ公の銅像は第2次大戦中に供出され、現在のものは1947(昭和22)年8月に再建されたもので2代目なんですよ。

 それでは本日の登場人物は「ハチ公」な話題でしたので、同じ「秋田犬」でも「Cheifille」の「やえ」さんです。ハチ公のその後って知っていますか?実は「上野」にいるんですよ。「国立科学博物館 日本館2F 北翼」に「剥製」として展示されているのです。私は「国立科学博物館」へ行った時には必ず挨拶をしています。背景はその「ハチ公」ですこの後ろにはさらに有名な「あの犬」がいるんですよ。

2010_04_08

コメント (2)
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