カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

芥川也寸志作曲『弦楽四重奏曲』のこと(メモ)

2006-02-16 14:41:00 | Weblog

 昨日のメモです。

 午後、麻布の日本近代音楽館に出かけ、芥川也寸志氏作曲の、1947年10月18日完成の『弦楽四重奏曲(Quatuor)』の自筆スコアの写本(オリジナルのスコアを1ページずつ写真に撮って原寸サイズに編集して綴じたもの)を閲覧しました。

 この曲は『弦楽のための三楽章~トリプティーク』の原型になったと言われるだけあって、スコアにはところどころ芥川氏による『トリプティーク』への改作メモも残っていました。

 『弦楽四重奏曲』(1947年)の各楽章構成は以下の通りでした。(大雑把なメモで申し訳ありません。不正確なところはお赦しください。。)

 第一楽章:Allegro(四分音符=192)

 イ短調。はじめ第一ヴァイオリンが力強く第一主題を提示し、各楽器が第一主題を展開。やがてテンポがMeno mosso(四分音符=92)になり、ヴィオラが流麗な第二主題を提示。この旋律は第一ヴァイオリンに引き継がれて展開。その後、第一主題、第二主題が順番に再現されて、Meno mossoでfffのコーダに。

 第二楽章:Presto(四分音符=152)

 ロ短調。『弦楽四重奏曲』と『トリプティーク』での気づいた異同点。メロディはコーダを除いて『トリプティーク』の第三楽章のメロディとほぼ一緒。楽器編成は、『トリプティーク』の場合コントラバスが加わっている。また、随所で拍子の変更(『弦楽四重奏曲』での四分の三拍子が八分の三拍子に変えられたり、八分の二拍子×3小節が八分の三拍子×2小節に変えられたりしているところ)が見られる。コーダは、『トリプティーク』では2小節分が追加され、音楽的により効果が出るように書き直されている。

 第三楽章:Andante(四分音符=84)

 変ホ長調。『弦楽四重奏曲』と『トリプティーク』での気づいた異同点。メロディは『トリプティーク』の第二楽章のメロディとほぼ同じ。メトロノーム数値は、『トリプティーク』の場合(四分音符=72)。スラーの掛け方は、『弦楽四重奏曲』の方が大括りになっており、『トリプティーク』ではそれらが細分化されている。『トリプティーク』の第二楽章に付けられている『Berceuse(子守歌)』のタイトルは、『弦楽四重奏曲』の譜面には見当たらない。

 第四楽章:Allegro assai(四分音符=126)

 ヘ長調。冒頭からfff。ヴィオラとチェロのピチカートから始まる。その後すぐに第一ヴァイオリンが第一主題を奏でる。第二主題は、いかにも『芥川節』という感じのメロディ。コーダになると、Adagio(四分音符=66)、p になる。第二楽章のコーダの手前のAdagioを思わせるメロディがどんどんディミヌエンドして、pppで消えるように終わる。

                *

 それから、先日問い合わせたヴァイオリン協奏曲について。学芸員の方によると、「芥川也寸志文庫の楽譜資料の中にヴァイオリン協奏曲のような資料は見当たりませんでした。」とのことでした。

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memo(宮内さんの『焼身』)

2006-02-16 12:32:58 | Weblog
 メモです。

【朝日新聞・書評記事】
焼身 [著]宮内勝典
[掲載]2005年08月07日
[評者]宮崎哲弥

 記憶とは本来当てにならないものだ。ところが、私達(わたしたち)の実在感はその不確かな記憶に深く根ざしている。

 「9・11」をきっかけとした世界瓦解(がかい)の感覚と誤記憶の自覚。この物語は実存を支える足場の崩れから始まる。

 作者の分身である「私」は、冒頭から現(うつつ)を逸し、夢幻界にまろび出ている。泡や影のように覚束(おぼつか)ないこの世にあって、なお「信じるに足るもの」を希求し「私」は旅立つ。ヴェトナムへ。

 ヴェトナムで一夏を費やして、「X師」の生の痕跡を辿(たど)ると決めてあった。「X師」とは、アメリカの支援を受けたゴ・ディン・ジェム政権の仏教弾圧に抗議するため、自らの身を焼いて果てた僧侶である。一九六〇年代前半、ヴェトナム戦争の泥濘(でいねい)の入り口で起きた事件だった。その火定(かじょう)(焼身入定)の姿はメディアを通じて全世界に配信され、人々を震撼(しんかん)させた。

 四〇年以上も前に死んだ、名前すら知らない一仏僧が、この「私」にとって、世界、そして記憶の要となり得る唯一の存在だったのだ。

 妄想、なのかもしれない。賢(さか)しき疑念が幾度となく脳裡(のうり)に浮沈する一方で、官能の膚(はだ)が熱帯の空気に触れて、はしたなく蕩(とろ)けてしまう。

 そんな「私」の迷いを映すように、「X師」——渡越してほどなく、ティック・クアン・ドゥックという名だったことが判明する——の実像は杳(よう)として掴(つか)めない。

 「私」は寺院を巡り、当時の事情に通じていそうな僧侶に質問をぶつける。だが、その実、虚空に向かって問い掛け続けている。クアン・ドゥック師よ。どうして、あなたは自らを焼き滅ぼすという挙に出たのか。ブッダは苦行を否定し、中道を説いたではないか。激しい思いや行いを吹き消すことを理想とし、暴力を悪として退けたではないか。

 「9・11」の自他の命の尊さを省みないテロリズムと、焼身による抗議を分かつ線が引けるだろうか。その差は「紙一重ではないか」。

 ある老僧から、その答えは「法華経」にあると告げられる。確かに、薬王菩薩(ぼさつ)の焼身供養を賞揚(しょうよう)する章がみえる。

 だが、「私」は得心できない。彼が何者なのか、依然としてわからない。

 帰途に着く直前、クアン・ドゥック師がガソリンを被り、炎に包まれた十字路に立つ。

 そこで「私」は官能を全開し、火定を追体験する。「印を結んでいた両手がほどけて、ゆっくり、上へあがっていく。ひじが曲がり、なにかを抱きかかえる格好だ。両足のひざも曲がり、ぐらっと左右にひらいている」

 「女が、いとおしい男を深々と迎え入れる体位にそっくりだ」と「私」は感じる。また「出産の姿勢にも似ている」。この直喩(ちょくゆ)は暗喩を含んでいる。焼身は、いとおしい世界を受け入れ、世界を再生する行(ぎょう)だったのだ、と。

 信仰告白か、私小説か。人によって読みが異なるだろう。宗教の側に立つ評者には、当今稀(まれ)な、紛(まが)う方なき「文学」であった。

http://book.asahi.com/review/TKY200508090149.html

                ☆

《ベトナム僧の実像に迫る『焼身』上梓~作家 宮内勝典氏へのインタビュー記事から》

 一九七〇年代後半に『南風』(文藝賞受賞)でデビュー以来、世界各地を遍歴した実体験に基づき、日本文学の枠を超えた世界性を追求する作品の数々を生み出している宮内勝典(かつすけ)氏。文学者の立場からオウム真理教問題を論破した『善悪の彼岸へ』、巨大新興教団を描いた『金色の虎』をはじめ、人間存在の光と闇を透徹したまなざしで浮き彫りにしてきた宮内氏の新作小説『焼身』(集英社)がこのほど出版された。ベトナム戦争中の一九六三年、ゴ・ディン・ジェム政権の圧政に抗議し、街頭で焼身自殺を決行した仏教僧「X師」の足跡をたどり、その実像に迫った意欲作である。長年の構想を経て本作を世に送った宮内氏に、『焼身』執筆の背景や宗教と文学の接点などについて話を聞いた。 (聞き手=高橋由香里)
 (平成17年7月9日の中外日報紙面から)

 世界各地を旅されて、これまで六十近い国へ行かれたそうですね。

 宮内 子供のころ、誕生日のお祝いに地球儀をもらって、眠る前、枕元に置いていつも回して眺めていた。そのとき、この地球という惑星が一体どのくらいの大きさで宇宙空間に浮かんでいるのか、それをすごく知りたかった。ほかのことは独学できるし、本を読めば分かるけれど、地球の大きさを実感できるようになるには旅をする以外ないなと。それが僕の出発点になっている。高校を出て、日本各地を四年くらい歩いた後、アメリカに渡った。それ以来、地球を何周もしてきたから、地球の大きさを大体イメージできるよ。

 作家を志したのはいつごろですか。

 宮内 はっきり意識したのは高校二年の時。オートバイ事故で火だるまになって、生死の境をさまよった。四ヵ月間入院していた。それまでは画家になりたいと思っていたけど、人間が生きるとか死ぬとか、死んだらどうなるかということは文学でしか表現できないと確信して、しだいに美術から文学に関心が移っていった。

 新作小説『焼身』の着想を得たのは。

 宮内 そのオートバイ事故の体験も伏線だったけど、ベトナムのお坊さんが坐禅を組んだまま燃えている写真、あれは全世界にものすごいショックを与えたんだ。
 でも当時はショックを受けただけで、そのお坊さんのことを書きたいと思ったのは湾岸戦争の時。そのころはニューヨークに住んでいて、自分は欧米とアジアの中間のような存在だと感じていた。生活は欧米人とあまり変わらないけれど、僕はアジアの方にどうしても後ろ髪をひかれていた。それで湾岸戦争の時に、なぜかあの焼身自殺のことを思い出して、あの人について書かなくてはいけないと思った。でもそのころは別の小説を抱えていたので、何となくそのままだった。
 ところが9・11が起こって、今書かなくては一生この人のことは書けないと思った。それで翌年の夏にベトナムに行って、そのお坊さんの足跡をたどり始めたのです。

 9・11以降の混乱する世界で「信じるに足るものは何か」という思いがあったと書かれていますね。

 宮内 自分が信ずるに足ると思っていた文学者や思想家の名前を心の中から一つ一つ消していって、やはりこのX師、ティック・クアン・ドゥックという仏僧が残っていると思った。もちろんガンジーも残っているんだけど、すでに表現され尽くしている。だからまだ表現されていないクアン・ドゥック師のことを追っていった。もしこの人が偽者だったらアウトだと思った。ところがどこを追求していってもこの人は本物だという感じがして、やはり信じるに足る人だと確信した。その確信がなければ書けなかったと思う。

 ベトナムへの旅を通して、X師は何者なのかという問いに対する手応えを得ることはできましたか。

 宮内 一つの精神が誰かの中で生き返るという意味で、やはり仏陀の生まれ変わりだと思った。仏陀は二千五百年も前の人だけど、その思想はわれわれに伝わっている。僕らはそれを知っているだけ。でも、このベトナムのお坊さんは、まさに仏陀の精神が乗り移るようにして、あのような焼身供養を実行したわけですね。戦乱の真っただ中で。

 今回の『焼身』をはじめ、宗教をテーマにした数々の作品を執筆されていますが、文学者として宗教をどのように見ていますか。

 宮内 宗教と文学は絡み合い、せめぎあっていて、分離できないものだと思う。例えば仏教にもキリスト教にも「悪魔の誘惑」が出てくるでしょう。僕はあのシーンがものすごく好きでね。あの場面には、人類の精神のドラマが最も凝縮されているような気がする。そこには真実の全体というか、矛盾の全体がある。その矛盾のむきだしの塊そのものが真実だとすれば、悪魔の誘惑のシーンはほとんど文学だよね。きびしい修行をすれば、ある段階でかならず悪魔の誘惑に出会うと思う。それに向き合い、考え抜いた人が本物の宗教者だと思う。僕は小説家だから、どうも誘惑者というか、悪魔の側にいるような気がする。今回の小説では、その悪魔の側からX師に迫っていっても、この人には脱帽ですという感じがあったね。だから小説家である僕は、あの人のことを誠心誠意書いた。世の中にはものすごい人がいるね。

 ベトナム政府の仏教弾圧に対して訴えるべく身を焼いたX師のように、ある目的のために自らを犠牲にするというのは、宗教者の究極的なあり方と考えますか。

 宮内 つきつめると、そうなるんじゃないかな。やはり自ら発心して宗教者になった人は、本気で人々に訴えかけてほしい。聖職者になった以上、命がけでやってほしい。例えばイラク戦争の時、もしもローマ法王やダライ・ラマや日本の宗教界が一丸となって人間の楯になったら、空爆は絶対にできなかったと思う。それくらい宗教って力を持っている。そういうことが試されている時代に来ているんじゃないかな。
 僕は宗教に関しては外野にいる人間だけど、文学においては本気だよ。文学はいまやタイタニック号のように沈みかけている。かつての仲間の作家たちは、沈みかけた船からエンターテインメントの方に行ってしまった。だけど僕はここから逃げない。救命ボートには乗らない。この船が沈むなら一緒に沈んでいく。最後まで船に残る。文学に関してはそれだけのことは言えるよ。

 今の世の中で、文学はどのような力を持ち得るでしょうか。

 宮内 僕は早稲田大学で三年間教えていたけれど、若い人たちを見ていると、この世界が空っぽで、生きるに値しないと思っている。自分自身に価値を見いだすことができず、生きることに意味がないと感じている。そうではない、この世界は生きるに値する、人生には意味があるということを何よりも強く出すのが文学であり宗教であると思うんだ。
 そういう意味で僕は、文芸を復興させたい。宗教界の人たちもがんばって、宗教を復興させてほしい。それは教団を強くするという意味ではなく、宗教の本質である人間の魂の力を復興させるということだと思う。魂の力って、今の世に一番足りない力じゃない。僕は小説家だから小説でやるけど、そういうことをそれぞれが自分の持ち場でやればいいと思う。

 今回の作品では、人間は死とともに消滅するのか、そうではないのかという根源的な問いかけをされていますね。

 宮内 オートバイ事故で十日くらい意識不明になった時、こん睡状態で、臨死体験も、神秘体験もなかった。顔中、包帯をぐるぐる巻きにされて目をふさがれていたけれど、天井の灯りだけがぼうっと見えた。あの灯りを意識している限り生きている、意識できなくなったら死ぬんだなと。それ以外に何もなかった。死というのは案外そういうものかもしれない。
 だけど人間の営みが無意味かというと、そうは思わない。仏陀の精神がベトナムのお坊さんを通じて生き返ったように、キリストの精神を生きている人もいて、中には本当に偉い人もいると思う。
 そのように人間の精神の営みには、きっと意味があるような気がする。たとえ個人の意識は消えても、人間の営みの総体として残ると思う。それを仏教では「阿頼耶識(アラヤシキ)」と言うんじゃないかな。
 それは生命が発生してからずっと続いている海のようなもので、人類のアーカイブ、意識の貯蔵庫のようなものだと思う。単に貯蔵するだけではなく、その意識の海からまた人びとが生まれてくる。クアン・ドゥックというお坊さんも、仏陀もキリストも、ソクラテスもドストエフスキーも、その海を大きく豊かにしている人たちだと思う。無意識の深いところからわれわれを動かしている海のような力がある。そういうものに向かっていきたいね、次の小説は。 

http://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-interviews/Nint/n-d050709.htm

                ☆

《ネット掲示板:本の話をしよう》
http://www2.ezbbs.net/15/k-miyauchi/

『最近読んだ本について、感想、おすすめ、批評など、どんなことでも自由に語り合ってください。』

→宮内勝典氏も書き込みをされている掲示板。

                ☆

《ブック・ナビ~今月の本棚》
http://www.book-navi.com/book/

『焼身』宮内勝典著【集英社(272p)2005.7.10 2000円+税】

 素手で世界に立ち向かっている──それが宮内勝典の書くものを読んで喚起される作者のイメージだ。彼は、ある「もの」や「こと」に相対するとき、武器になるようなものを何ひとつ身につけない構えを、意識的に取っているように見える。

 武器とは、たとえば知識だ。「もの」や「こと」に対する知識を持っていればいるほどに、そのことに対する理解は早く、広く、深くなるように見える。それは確かだけれど、一方で、知識は「もの」や「こと」を歴史的また空間的に整序された世界のなかに位置づけ、その居場所を指し示すことによって、「もの」や「こと」が持つ一回限りの原初の力、その熱や光を剥ぎとってしまうことにもなる。

 宮内勝典は40年にわたって世界を放浪してきた。本書から伺える限りでも、諏訪瀬島のヒッピー・コミューンに暮らし、ニューヨークで不法滞在者として働き、イスラム諸国を巡り歩き、中南米で先住民の反政府ゲリラ活動に身を投じてきた。そのひとつひとつが素手で世界に立ち向かう行為だったことは、例えば『グリニッジの光りを離れて』ひとつ読んでもわかる。

 著者自身が小説ともノンフィクションとも名づけていない『焼身』の冒頭にあるのは、9.11の記述。「あの超高層ビルがくずれ落ちたときから、世界が裏返って、なにかリアルなものが噴き出してきた」と感じた「私」は、ある記憶を呼び起こす。1963年、ベトナムで仏教僧がアメリカの傀儡、ゴ・ディン・ジェム政権に抗議して焼身自殺した映像。

 路上に蓮華座を組んだ僧が、不動の姿勢のまま炎に包まれている写真は世界中に配信された。ベトナム戦争を主題にした本のなかで必ず言及される有名な写真。それを不法滞在していたニューヨークで見た(と信ずる)「私」は9.11の衝撃から、僧の姿勢に「なにか、信ずるに足るもの」を見いだし、「過激なまでに開花した蓮の花のようなアジアの思想」をたどりたいと、僧の名前もわからないままホーチミン市に飛ぶ。

 手がかりは、フエのティエン・ムー寺は「住職が政府に抗議して焼身自殺したことで有名」というガイドブックの記述のみ。通訳もガイドもなく、無論アポイントなどなしに、「私」はここでも素手で「X師」(と彼は呼ぶ)を求めて動き回る。

 実はガイド・ブックの記述は誤りだったのだが、X師を知る僧を求めて闇を手探りで進むような探索のなかで、「私」に次々に扉が開かれる。ティエン・ムー寺の住職。X師の寺だったホーチミン市観世音寺の、師の甥に当たる住職。X師の恋人だったかもしれないと「私」が妄想する信仰厚い、ある夫人。焼身自殺の影の演出者だった仏教大学の教授。

 「私」はインタビューを重ねてX師の生涯と焼身にいたる足跡を知ろうとするのだが、「生まじめで愚直」である以上の師の実像はなかなか見えてこない。そのかわり「私」には、この国で仏教が占めている位置と、それを取りまく風景が徐々に見えてくる。

 仏像の光背にネオンが光り、塔の頂上に巨大な金色の蓮の花が咲く、「キッチュで遊園地のような」寺。しかしそこへ出入りしているうちに、「私」は公安にマークされていることに気づく。

 ゴ・ディン・ジェム政権下で仏教界は最大の反政府勢力だったけれど、社会主義体制になった今も寺と僧侶は警戒され、当局の監視下にあるらしい。いきなり飛び込んだ「私」に僧たちが最初、取りつく島もなかったのもそのせいらしかった。

 『焼身』はX師の実像を求めて「私」がベトナムやカンボジアを歩きまわる、一見ノンフィクションふうの体裁を取っているけれど、宮内がここで目論んでいるのは、X師が実際にどんな僧侶だったかを解明することではない。むしろ読む者にくっきり見えてくるのは、X師ではなくX師を求めて歩きまわる「私」の一歩一歩の足取りのほうだ。例えばホーチミン市の喧噪に身をおく「私」に熱帯のスコールが襲いかかる、官能的な描写。

 「ほんの二、三分、雨に打たれただけなのに、もう下着までずぶ濡れだ。足もとは浅い濁流だった。肉厚のピンク色の花が流れていく。果実の皮、野菜くず、ゴム草履、コンドームも流れてゆく」

 「雨は一気に吐きだされて、黒雲が消えていった。……街はふたたび乾きはじめ、もうもうと水蒸気がたち昇っていく。濃い霧がたちこめる密林のようだ。こうして一夏、あなたの足跡を追ってきたが、私にはまだ何もわかっていない。X師よ、あなたはいったい何者なのか」

 「私」はX師を知る人たちを求めて対話を繰り返すが、対話しているのは実は彼らとだけではない。「私」は、「私」が身を置いている熱帯の都会の「ピンク色の花、野菜くず、コンドーム」とも身体のレベルで対話している。そして「私」は、意識のなかで過去の「私」のさまざまな記憶の海とも対話している。

 「人の心というやつは、おぞましく醜悪な暗黒部から、グレーゾーンや、きよらかに澄みきった領域まで、広大で、複雑なグラデーションをなしているはずだ。そして、わたしたちは日々、その濃淡のなかをふらふらと揺れながら往き来している。少なくとも私はそうだ。灰色の日もある。淡いグレーや、暗黒の日もある。稲妻が光る夜もある……私もまた地雷原を歩きつづけているのだから」

 ここまで来て明らかになるのは、探し求められるべきはホーチミン市の路上で炎に包まれたX師ではなく、X師に9.11以後の生きる根拠を幻視した「私」であり、そんな「私」の彷徨の過程こそが『焼身』の主題であることだった。

 ベトナムを発つ前日、「私」はX師が炎に包まれた十字路に行き、「小便で黄色く染まったポルノ雑誌やピンク色した肉厚の花びら」が散乱する歩道の片隅に、X師がそうしたよう座りこむ。すぐに警官や公安が駆けつけて「私」を尋問しはじめる。おばあさんがやってきて、座りこむ「私」の足の間に500ドン札を押し込み、合掌して去ってゆく。

 ここでもまた素手で世界と相対している宮内勝典の鮮やかな姿がある。(雄)

【書評者:(雄)氏のプロフィール】
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1947年生まれ。某出版社勤務。週刊誌記者、月刊誌編集長、単行本発行責任者などを経て、現在は窓際の席で、一見優雅に(?)年数冊の単行本をつくりながら「ブック・ナビ」の原稿を書いている。最近、遅ればせながらDVDレコーダーを導入し、ロバート・アルドリッチ監督とドン・シーゲル監督の映画完全コレクションを目指しているが、10年がかりのウィントン・ケリー完全コレクション(ジャズ)と同様、道は遥かに遠い。

http://www.book-navi.com/book/syoseki/shoushin.html

                ☆

《Amazon.co.jp:焼身: 本》
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087747646/250-2864992-6211420

《レビュー》

【出版社 / 著者からの内容紹介】
サイゴン街頭での焼身自殺。その謎を追う。
ベトナム戦争のさなか、一枚の写真が全世界に配信された。サイゴン街頭で炎に包まれた僧侶の姿。9.11に対する無力感のなかで「私」はベトナム行きを決意する。あの僧侶の真の姿を求めて。
【内容(「BOOK」データベースより)】
9.11―すべての価値が崩壊したとき、信じるに足るものを求めて「私」はベトナムへ。40年前サイゴンの街頭で、炎に包まれた彼は、なにものだったのか。
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