カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

備忘録から(復習をかねて):演奏会情報

2006-02-10 09:32:08 | Weblog
 メモ。

 明日の演奏会情報です。

                ☆

『アンサンブル東風(こち) 第7回定期演奏会』
 ~〈東風が運ぶアジアの響き〉~

日時:2006年2月11日(土・祝)午後2時開演/午後1時30分開場

会場:旧東京音楽学校奏楽堂
〒110-0007東京都台東区上野公園8-48
TEL03-3824-1988

〔全自由席〕入場料=前売券2000円(当日券3000円)
チケットお取り扱い=藝大美術館ミュージアムショップ(TEL03-5685-1176)
お問い合わせ=アンサンブル東風事務局(TEL03-3881-7710,wakako@sym-tokyo.com)

【演奏曲目】

A.ボロディン作曲:韃靼人の踊り(歌劇『イーゴリ公』より)

マウンマウン・ゾー・ティエ作曲:伝統の旋律(2005)

矍 小松(QU Xiao Song)作曲:声と楽器のための「モン・ドン」(1984)

尹 伊桑作曲:室内交響曲第2番(1989)

指 揮:松下功
演 奏:アンサンブル東風(こち)

《アンサンブル東風(こち)》
 作曲家と演奏家により結成され、松下功氏を代表とする現代音楽演奏団体。メンバー個々の活動も含め、アジアでの活動実績が非常に多い。アンサンブルとしては、1999年に韓国21世紀音楽協会主催の記念音楽祭に招聘され、全曲、韓国人作曲家の作品で演奏を行い絶賛された。また「きままに音楽会」、「ながの音楽祭'99」、文化庁主催のアジア・プログラムによる演奏会に出演。また、アジア作曲界の大御所ホセ・マセダ、ドミング・ラム氏を招いて自主演奏会を開催し、両氏より高い評価を受けた。2000年3月には、日蘭交流演奏会をオランダ大使館協力を受けて開催。「きままに音楽会2000」、「アジア音楽週間2000 in 横浜」、「ながの音楽祭2000」に出演。2000年12月、第2回自主演奏会(旧東京音楽学校奏楽堂)を開催。2001年11月には、高橋悠治企画・指揮のクセナキス追悼コンサートに出演し、高い評価を受けた。2002年2月、第3回自主演奏会(旧東京音楽学校奏楽堂)を開催。2003年2月には第4回自主演奏会を開催。2003年2月には、ミャンマー・タイ公演(国際交流基金助成)を行い、各地で大きな反響を得た。
http://www.jfc-i.org/amfalbum/amf2003b.htm

                ☆

 作曲家矍小松氏のこと。

 メモ。

 石田一志著『モダニズム変奏曲~東アジアの近現代音楽史~』(朔北社、2005年7月)303~304ページより。

【以下、引用します】

(前略)矍 小松(QU Xiao Song、チュー シアオ ソン、1952年生まれ)は、文革期に四年間、山岳地帯の集団農場で働いた。1972年、20歳になった年にヴァイオリンの独習を開始して、すぐに文工団に所属し、ヴァイオリンとヴィオラを担当するようになった。1978年に中央音楽学院に入学してからは、杜鳴心に作曲を師事して1983年に卒業した。その後、しばらく同音楽学院で作曲科の講師を務めながら、作曲活動を展開。とくに田壮壮監督の『盗馬賊』(1985)、『狩場の掟』(1985)、陳凱歌監督の『大閲兵』(1985)、『子供たちの王様』(1987)の映画音楽の作曲で、世界的な名声を得た。1989年に、米国コロンビア大学内の米中芸術交流センターの客員研究員として招聘された。十年間、ニューヨークに滞在した後、上海音楽学院で後進の指導に当たるため中国に帰国した。
 初期作品は、曲名からも明らかなように、「尋根(自分たちのルーツ探し)」音楽の典型で、山地での下放体験を描いている。すなわち、ヴァイオリン曲《谷》(1979)、チェロとピアノのための《山唄》(1982)、ヴァイオリン協奏曲《山之女》(1982)、交響組曲《山と風土》(1983)などで、そこには民歌が使用されている。「尋根」は、その後、より幅広い探求となる。バスと西洋楽器と民族楽器の混成合奏のための《Mong Dong》(1984)は、雲南地方の少数民族の岸壁画に着想を得ている。プリミティブだが強靭な線で大自然に表現を刻みつけた人間、その孤独さ、自然との一体感、そして非都会的なエネルギーの存在を、矍小松は声と打楽器を主体としたアンサンブルで描こうとした。この原初的な表現、一種の「原始主義」は《打楽器協奏曲》(1986)や一種の仏教的カンタータである打楽器を使用した《大劈官》(1987)へと展開した。一方、孤独感、自然の静寂さも彼の重要な表現主題であり、たとえば、ニューヨーク時代に、フルート、クラリネット、打楽器、ピアノ、ヴァイオリン、チェロの編成で作曲された《YaYa》(1990)は、まさしく構成された沈黙といった趣きである。そうした孤独感は、スウェーデン・フォーク・オペラの委嘱作品で、ストックホルムで1993年秋に初演された室内オペラ《エディプス》(1992)、その続編である《エディプスの死》(1993)の特徴にもなっている。矍小松は、1990年代に、福岡の音楽祭での一連の委嘱作品や、映画『人生は事の弦のように』(1991)の音楽などで、日本でもかなり知名度の高い作曲家となった。(後略)

【以上、引用終わり】
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