カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

日置俊次氏の第一歌集『ノートル・ダムの椅子』のこと。

2006-02-13 22:14:45 | Weblog
 独断と偏見の歌集評メモから。

 「かりん」所属の歌人、日置俊次氏の第一歌集『ノートル・ダムの椅子』(角川書店、2005)について。

                *

 ネットを見渡したところ、気持ち悪いぐらいに褒めているレビューばかりが目に付きますが、どれもこれも決定力に欠けているようです。。。

〈楽天ブックス・レビュー〉より。
http://review.rakuten.co.jp/item/1/213310_11527492/1.0/

Aさん:日置俊次の『ノートル・ダムの椅子』をひとに薦められて読みました。文体の密度の濃さと、抒情の切なさに引き込まれました。新鮮さでいえば、近年最上の収穫でしょう。わかりやすくはないので、評価されるのに時間がかかりそうですが、現代にくらすにんげんの、孤独やかげりがいやみなく結晶しています。聖堂の暗がりから漏れてくる祈りのような歌集です。

Bさん:「とてつもない才能の出現」といっていいのではないでしょうか。一般大衆にうける歌ではないと思いますが、透きとおった硬質な抒情が新鮮です。この歌集、これからときがたつにつれて、しだいに光芒を増していくでしょうね。

Cさん:胸に響いてくる歌集です! 佐伯裕子さんが「毎日新聞」でこの歌集の歌を引用してました!「何かわからぬもの降りやまぬ東京にあなたを擂(う)てよ わが降らす雪」 都会の喧騒、ごちゃごちゃあふれる情報のいわばどしゃぶりの雨の中で、私の思いのこもった純白な雪が、あなたの肌へ冷たく届いてほしい、私の純な思いを感じ取ってほしい、思い出してほしい・・・という意味でしょうか?・・・とにかく胸にジ~ンときました。

Dさん:「秋にほふ驟雨のこゑの果てもなし『ヴェルテル』を置きて窓に寄りそふ」 日置俊次の歌っていいですねえ~。きゅ~~んときますね~。ヨーロッパの匂いも板についてます。最近歌集にどんどん値がついてきてるみたい~。得した感じかな。

・・・正直、これらはあまり参考にならないような気がします。。。

                *

〈記事タイトル:日置俊次第一歌集『ノートル・ダムの椅子』〉
http://www5e.biglobe.ne.jp/~kosakuok/keiji/0230468270174278.html

(奥村晃作氏によるコメント)
  
「途中で詠風・歌体が変化しており、集の統一・構成の上でやや疑問を感じた。資質を感じさせる歌ではある。」

                *

《青山学院大学文学部日本文学科》のサイト
http://www.cl.aoyama.ac.jp/japanese/kaitei-nihonbungakuka-5.html
(更新 05年10月10日)

〈歌集のご紹介〉

 金木犀が香っています。青山キャンパスの銀杏並木にはぎんなんが落ちはじめています。
 秋、このホームページを担当している教員が、歌集を出版しました。そのなかから幾首かをご紹介します。

日置俊次歌集『ノートル・ダムの椅子』(角川書店、2005年9月)

ノートル・ダムは聖母のからだその胎の闇に木椅子を軋ませてゐる

スーパーのレジにて配る鈴蘭一輪 ひとりわが黄なる肌にはくれず

アカシアの風もさやかに昏れそめて今焼きあがるバゲットを待つ

ノートル・ダムの冷気が胸をつきぬけてささやくリラのたわわなること

剥落の月のかけらを踏むごとくぎんなんを踏む 父の亡き街

                       以上
                ☆

 この歌集の読後感を一言でいえば、私の感じでは「ごく普通」です。どちらかといえば、奥村氏の言われる「資質を感じさせる歌ではある」との評にいちばん頷ける感じがします。最近出た歌集ということで山下泉さんの歌集『光の引用』と比較すると(やや酷かもしれませんが)、『光の引用』の歌の方が『ノートル・ダムの椅子』の歌よりも一枚も二枚も三枚も上のような気がします。

 そうではありますが、一首一首を見て面白い歌集だと思いました。

 全体をざっと眺めて私が気になった歌(私好みの)五首をつぎに引いてみます。

定食はブリの照焼き〈おぢんくさい〉といふ声がしてトレイ落としぬ 日置俊次

睡蓮と仰ぐ夕空ひとつぶの鏡しづかに離陸してをり 日置俊次

けふも狸はしる石段影ばかり追ふかたちにてゆふやみに下る 日置俊次

わがうちに超えがたきもの叫びても黙(もだ)してもまた河は夕映え 日置俊次

廃屋となりて久しき理髪店 屋根になづなの髪生えそめて 日置俊次

                ☆

 以下、これら五首について独断と偏見に満ちた感想を少し綴ってみます。。

 一首目。正直、非常に「ベタ」な歌だと思います。オチの付け方が「トレイ落としぬ」ではあまりにも平凡すぎて、物足りません。しかしこの一首が、この歌集の頁を繰っていってあるときハッと目に入ってくると、思わずニヤリと笑わずにはおられないのです。笑ってしまう自分が口惜しいです。

 二首目。初句「睡蓮と」の「と」は「とともに」の「と」だろうと思いました。「睡蓮の池のほとりで、作中主体は夕空を仰いでいる。すると、遠くにきらきら光りながら『ひとつぶの鏡』が離陸していく様子が見えた」という読みです。「ひとつぶの鏡」というのはここでは飛行機のことだろうと思いました。だだっ広い平原のそれぞれ端っこに、睡蓮の池と飛行場とがあると想像すると、面白い一首です。

 三首目。夕闇の中、影を追う形に石段を下りていく狸の姿がなんともユーモラスで、面白いです。

 四首目。この五首の中でいちばん惹かれました。三句、四句、結句の表現になんともいえない「凄みのようなもの」を感じました。

 五首目。「不気味な風景」を淡々と詠っているところがユニークだと思います。人が住まなくなった地所というのは、年々「人」の記憶が薄れていく一方で、そこに棲みついている「もののけ」の気配がどんどん濃くなっていくものらしい(?)。。。です。この一首を読んでいると、たしかに「もののけ」の気配を感じるのですが、それが不思議とおどろおどろしくないのです。それは、たとえば、『となりのトトロ』に出てくる古い家に近い感覚なのかもしれません。不思議に惹かれる一首です。

                ☆

 この歌集について、たとえば、「収穫の一冊! 」などということを軽々に言いたくはありませんが、面白い歌集にはちがいないと思います。

  面白い一冊です(と書いておきます)。
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夢日記のこと

2006-02-13 10:34:16 | Weblog
 夢日記のことです。


 たとえば、

《夢要素 夢研究》のサイト
http://www5a.biglobe.ne.jp/~yumeyume/point1.html

                *

《音楽家・細野晴臣さんの夢日記》のサイト
http://www.daisyworld.co.jp/quiet/voice_index.html


                ☆

 メモ。

 昔から、日記文学というジャンルの中でも、夢日記を読むのが好きです。

 本屋での立ち読みも含めて今まで目にしたことがある夢日記の中で、とくに印象深かった夢日記をいくつか思い起こしてみると次のものが挙げられます。

 横尾忠則著『私の夢日記』(角川書店、1979)、島尾敏雄著『夢日記』(講談社文芸文庫)、天澤 退二郎著『夜の戦い』(思潮社、1995)、明恵上人(明恵房高弁、1173〜1232)『夢記(ゆめのき)』、武満徹氏の夢に関するいくつかのエッセイ、精神科医岩井寛氏の夢に関する文章など。

                ☆

 昨日、たまたま立ち寄ったブックオフで『コレクション瀧口修造 3』(みすず書房)を見つけました。

 この本には、瀧口修造氏の夢日記が多く収められています。

                *

 瀧口修造氏の夢日記について。

《多摩美術大学図書館瀧口修造文庫》サイト
http://archive.tamabi.ac.jp/bunko/takiguchi/t-home.htm

にある

《年譜》
http://archive.tamabi.ac.jp/bunko/takiguchi/t-chronology1.htm

によれば、

「1944年、『夢日記』を執筆するが、未完成のまま、翌年の空襲で焼失。
 1945年、5月25日、東京最後の空襲で高円寺の家全焼。シュルレアリストたちから贈られた著書、機関紙、カタログ、パンフレット、ブルトンの書簡、自身の草稿類など一切を失う。罹災後、近所に身を寄せ、のち金沢市の妻綾子の父鈴木寛也宅に寄寓。その後、同市の開禅寺の一室に移る。富山、福井は空襲のため全焼。8月終戦。10月、帰京し、綾子の従弟3人のいた成城町に移る。」

とのことです。

                *

《みすず書房》のサイト
http://www.msz.co.jp/titles/04000_05999/ISBN4-622-04393-9.html
『コレクション瀧口修造 3』
(マルセル・デュシャン/詩と美術の周囲/骰子の7の目/寸秒夢)

著者:瀧口修造
A5変型判・466頁
定価9975円(本体9500円)
ISBN4-622-04393-9 C1370
1996.10.30
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 本巻には、晩年の瀧口が私的な作品に愛用していた変名〈東京ローズ・セラヴィ〉の命名者であるマルセル・デュシャンに関する文章を集めた。『デュシャン語録』のすべて、「本・もうひとつの本」「検眼図」「扉に鳥影」など難解な芸術家デュシャン理解への扉となるだろう。

 雑誌に発表されたままだった詩「大椿事」「若いピエロの話」やエッセイ、さらにクレー、ガウディ、コーネルら芸術家への詩的オマージュ群を「詩と美術の周囲」と題した。ここにはヴォルス、エリュアールの翻訳を含む。

 「骰子の7の目」は自ら監修したシュルレアリスムと画家叢書に寄せた作家論。マン・レイ、ベルメールら7人がその対象となっている。

 そして70年代に集中して試みた夢の記述「三夢三話」「星と砂と日録抄」「寸秒夢」、15篇に及ぶ夢の記録(未発表)は戦火に失われた「夢日記」の復活であろうか。真のシュルレアリストの実験精神あふれる一冊。

 ■月報 加納光於・橿尾正次・合田佐和子

《瀧口修造(たきぐち・しゅうぞう)氏について》

 1903年富山県に生まれる。1923年慶應義塾大学予科に入学。1926年富永太郎・堀辰雄らの同人誌「山繭」に参加。ランボー、ブルトンから新たな啓示を受け、西脇順三郎教授の教えを受ける。1928年シュルレアリスム機関誌「衣裳の太陽」創刊。1931年慶應義塾大学英文科卒業。翌年PCL入社、約5年間勤務。1938年『近代芸術』刊。この前後の時期に、前衛芸術の紹介・翻訳・雑誌寄稿など、旺盛な啓蒙活動を行なう。1941年、特高刑事に逮捕され約8か月拘留される。1945年、自宅が被災全焼、疎開先の金沢で終戦を迎え「しびれるような解放感」を味わう。1947年「日本アヴァンギャルド美術家クラブ」結成に参加。1951年「タケミヤ画廊」開設。「実験工房」発足。美術映画研究会第一回作品「北斎」を企画、シナリオ作成。1950年代半ばから美術界の国際交流に積極的にかかわる。1960年、最初の個展「私の画帖から」。1967年『詩的実験1927-1939』刊行。1969年、詩画集『手づくり諺』ミロと共作。1973年、病身を押してフィラデルフィア美術館デュシャン大回顧展に出席。1979年、76歳で歿する。
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