独断と偏見の歌集評メモから。
「かりん」所属の歌人、日置俊次氏の第一歌集『ノートル・ダムの椅子』(角川書店、2005)について。
*
ネットを見渡したところ、気持ち悪いぐらいに褒めているレビューばかりが目に付きますが、どれもこれも決定力に欠けているようです。。。
〈楽天ブックス・レビュー〉より。
http://review.rakuten.co.jp/item/1/213310_11527492/1.0/
Aさん:日置俊次の『ノートル・ダムの椅子』をひとに薦められて読みました。文体の密度の濃さと、抒情の切なさに引き込まれました。新鮮さでいえば、近年最上の収穫でしょう。わかりやすくはないので、評価されるのに時間がかかりそうですが、現代にくらすにんげんの、孤独やかげりがいやみなく結晶しています。聖堂の暗がりから漏れてくる祈りのような歌集です。
Bさん:「とてつもない才能の出現」といっていいのではないでしょうか。一般大衆にうける歌ではないと思いますが、透きとおった硬質な抒情が新鮮です。この歌集、これからときがたつにつれて、しだいに光芒を増していくでしょうね。
Cさん:胸に響いてくる歌集です! 佐伯裕子さんが「毎日新聞」でこの歌集の歌を引用してました!「何かわからぬもの降りやまぬ東京にあなたを擂(う)てよ わが降らす雪」 都会の喧騒、ごちゃごちゃあふれる情報のいわばどしゃぶりの雨の中で、私の思いのこもった純白な雪が、あなたの肌へ冷たく届いてほしい、私の純な思いを感じ取ってほしい、思い出してほしい・・・という意味でしょうか?・・・とにかく胸にジ~ンときました。
Dさん:「秋にほふ驟雨のこゑの果てもなし『ヴェルテル』を置きて窓に寄りそふ」 日置俊次の歌っていいですねえ~。きゅ~~んときますね~。ヨーロッパの匂いも板についてます。最近歌集にどんどん値がついてきてるみたい~。得した感じかな。
・・・正直、これらはあまり参考にならないような気がします。。。
*
〈記事タイトル:日置俊次第一歌集『ノートル・ダムの椅子』〉
http://www5e.biglobe.ne.jp/~kosakuok/keiji/0230468270174278.html
(奥村晃作氏によるコメント)
「途中で詠風・歌体が変化しており、集の統一・構成の上でやや疑問を感じた。資質を感じさせる歌ではある。」
*
《青山学院大学文学部日本文学科》のサイト
http://www.cl.aoyama.ac.jp/japanese/kaitei-nihonbungakuka-5.html
(更新 05年10月10日)
〈歌集のご紹介〉
金木犀が香っています。青山キャンパスの銀杏並木にはぎんなんが落ちはじめています。
秋、このホームページを担当している教員が、歌集を出版しました。そのなかから幾首かをご紹介します。
日置俊次歌集『ノートル・ダムの椅子』(角川書店、2005年9月)
ノートル・ダムは聖母のからだその胎の闇に木椅子を軋ませてゐる
スーパーのレジにて配る鈴蘭一輪 ひとりわが黄なる肌にはくれず
アカシアの風もさやかに昏れそめて今焼きあがるバゲットを待つ
ノートル・ダムの冷気が胸をつきぬけてささやくリラのたわわなること
剥落の月のかけらを踏むごとくぎんなんを踏む 父の亡き街
以上
☆
この歌集の読後感を一言でいえば、私の感じでは「ごく普通」です。どちらかといえば、奥村氏の言われる「資質を感じさせる歌ではある」との評にいちばん頷ける感じがします。最近出た歌集ということで山下泉さんの歌集『光の引用』と比較すると(やや酷かもしれませんが)、『光の引用』の歌の方が『ノートル・ダムの椅子』の歌よりも一枚も二枚も三枚も上のような気がします。
そうではありますが、一首一首を見て面白い歌集だと思いました。
全体をざっと眺めて私が気になった歌(私好みの)五首をつぎに引いてみます。
定食はブリの照焼き〈おぢんくさい〉といふ声がしてトレイ落としぬ 日置俊次
睡蓮と仰ぐ夕空ひとつぶの鏡しづかに離陸してをり 日置俊次
けふも狸はしる石段影ばかり追ふかたちにてゆふやみに下る 日置俊次
わがうちに超えがたきもの叫びても黙(もだ)してもまた河は夕映え 日置俊次
廃屋となりて久しき理髪店 屋根になづなの髪生えそめて 日置俊次
☆
以下、これら五首について独断と偏見に満ちた感想を少し綴ってみます。。
一首目。正直、非常に「ベタ」な歌だと思います。オチの付け方が「トレイ落としぬ」ではあまりにも平凡すぎて、物足りません。しかしこの一首が、この歌集の頁を繰っていってあるときハッと目に入ってくると、思わずニヤリと笑わずにはおられないのです。笑ってしまう自分が口惜しいです。
二首目。初句「睡蓮と」の「と」は「とともに」の「と」だろうと思いました。「睡蓮の池のほとりで、作中主体は夕空を仰いでいる。すると、遠くにきらきら光りながら『ひとつぶの鏡』が離陸していく様子が見えた」という読みです。「ひとつぶの鏡」というのはここでは飛行機のことだろうと思いました。だだっ広い平原のそれぞれ端っこに、睡蓮の池と飛行場とがあると想像すると、面白い一首です。
三首目。夕闇の中、影を追う形に石段を下りていく狸の姿がなんともユーモラスで、面白いです。
四首目。この五首の中でいちばん惹かれました。三句、四句、結句の表現になんともいえない「凄みのようなもの」を感じました。
五首目。「不気味な風景」を淡々と詠っているところがユニークだと思います。人が住まなくなった地所というのは、年々「人」の記憶が薄れていく一方で、そこに棲みついている「もののけ」の気配がどんどん濃くなっていくものらしい(?)。。。です。この一首を読んでいると、たしかに「もののけ」の気配を感じるのですが、それが不思議とおどろおどろしくないのです。それは、たとえば、『となりのトトロ』に出てくる古い家に近い感覚なのかもしれません。不思議に惹かれる一首です。
☆
この歌集について、たとえば、「収穫の一冊! 」などということを軽々に言いたくはありませんが、面白い歌集にはちがいないと思います。
面白い一冊です(と書いておきます)。
「かりん」所属の歌人、日置俊次氏の第一歌集『ノートル・ダムの椅子』(角川書店、2005)について。
*
ネットを見渡したところ、気持ち悪いぐらいに褒めているレビューばかりが目に付きますが、どれもこれも決定力に欠けているようです。。。
〈楽天ブックス・レビュー〉より。
http://review.rakuten.co.jp/item/1/213310_11527492/1.0/
Aさん:日置俊次の『ノートル・ダムの椅子』をひとに薦められて読みました。文体の密度の濃さと、抒情の切なさに引き込まれました。新鮮さでいえば、近年最上の収穫でしょう。わかりやすくはないので、評価されるのに時間がかかりそうですが、現代にくらすにんげんの、孤独やかげりがいやみなく結晶しています。聖堂の暗がりから漏れてくる祈りのような歌集です。
Bさん:「とてつもない才能の出現」といっていいのではないでしょうか。一般大衆にうける歌ではないと思いますが、透きとおった硬質な抒情が新鮮です。この歌集、これからときがたつにつれて、しだいに光芒を増していくでしょうね。
Cさん:胸に響いてくる歌集です! 佐伯裕子さんが「毎日新聞」でこの歌集の歌を引用してました!「何かわからぬもの降りやまぬ東京にあなたを擂(う)てよ わが降らす雪」 都会の喧騒、ごちゃごちゃあふれる情報のいわばどしゃぶりの雨の中で、私の思いのこもった純白な雪が、あなたの肌へ冷たく届いてほしい、私の純な思いを感じ取ってほしい、思い出してほしい・・・という意味でしょうか?・・・とにかく胸にジ~ンときました。
Dさん:「秋にほふ驟雨のこゑの果てもなし『ヴェルテル』を置きて窓に寄りそふ」 日置俊次の歌っていいですねえ~。きゅ~~んときますね~。ヨーロッパの匂いも板についてます。最近歌集にどんどん値がついてきてるみたい~。得した感じかな。
・・・正直、これらはあまり参考にならないような気がします。。。
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〈記事タイトル:日置俊次第一歌集『ノートル・ダムの椅子』〉
http://www5e.biglobe.ne.jp/~kosakuok/keiji/0230468270174278.html
(奥村晃作氏によるコメント)
「途中で詠風・歌体が変化しており、集の統一・構成の上でやや疑問を感じた。資質を感じさせる歌ではある。」
*
《青山学院大学文学部日本文学科》のサイト
http://www.cl.aoyama.ac.jp/japanese/kaitei-nihonbungakuka-5.html
(更新 05年10月10日)
〈歌集のご紹介〉
金木犀が香っています。青山キャンパスの銀杏並木にはぎんなんが落ちはじめています。
秋、このホームページを担当している教員が、歌集を出版しました。そのなかから幾首かをご紹介します。
日置俊次歌集『ノートル・ダムの椅子』(角川書店、2005年9月)
ノートル・ダムは聖母のからだその胎の闇に木椅子を軋ませてゐる
スーパーのレジにて配る鈴蘭一輪 ひとりわが黄なる肌にはくれず
アカシアの風もさやかに昏れそめて今焼きあがるバゲットを待つ
ノートル・ダムの冷気が胸をつきぬけてささやくリラのたわわなること
剥落の月のかけらを踏むごとくぎんなんを踏む 父の亡き街
以上
☆
この歌集の読後感を一言でいえば、私の感じでは「ごく普通」です。どちらかといえば、奥村氏の言われる「資質を感じさせる歌ではある」との評にいちばん頷ける感じがします。最近出た歌集ということで山下泉さんの歌集『光の引用』と比較すると(やや酷かもしれませんが)、『光の引用』の歌の方が『ノートル・ダムの椅子』の歌よりも一枚も二枚も三枚も上のような気がします。
そうではありますが、一首一首を見て面白い歌集だと思いました。
全体をざっと眺めて私が気になった歌(私好みの)五首をつぎに引いてみます。
定食はブリの照焼き〈おぢんくさい〉といふ声がしてトレイ落としぬ 日置俊次
睡蓮と仰ぐ夕空ひとつぶの鏡しづかに離陸してをり 日置俊次
けふも狸はしる石段影ばかり追ふかたちにてゆふやみに下る 日置俊次
わがうちに超えがたきもの叫びても黙(もだ)してもまた河は夕映え 日置俊次
廃屋となりて久しき理髪店 屋根になづなの髪生えそめて 日置俊次
☆
以下、これら五首について独断と偏見に満ちた感想を少し綴ってみます。。
一首目。正直、非常に「ベタ」な歌だと思います。オチの付け方が「トレイ落としぬ」ではあまりにも平凡すぎて、物足りません。しかしこの一首が、この歌集の頁を繰っていってあるときハッと目に入ってくると、思わずニヤリと笑わずにはおられないのです。笑ってしまう自分が口惜しいです。
二首目。初句「睡蓮と」の「と」は「とともに」の「と」だろうと思いました。「睡蓮の池のほとりで、作中主体は夕空を仰いでいる。すると、遠くにきらきら光りながら『ひとつぶの鏡』が離陸していく様子が見えた」という読みです。「ひとつぶの鏡」というのはここでは飛行機のことだろうと思いました。だだっ広い平原のそれぞれ端っこに、睡蓮の池と飛行場とがあると想像すると、面白い一首です。
三首目。夕闇の中、影を追う形に石段を下りていく狸の姿がなんともユーモラスで、面白いです。
四首目。この五首の中でいちばん惹かれました。三句、四句、結句の表現になんともいえない「凄みのようなもの」を感じました。
五首目。「不気味な風景」を淡々と詠っているところがユニークだと思います。人が住まなくなった地所というのは、年々「人」の記憶が薄れていく一方で、そこに棲みついている「もののけ」の気配がどんどん濃くなっていくものらしい(?)。。。です。この一首を読んでいると、たしかに「もののけ」の気配を感じるのですが、それが不思議とおどろおどろしくないのです。それは、たとえば、『となりのトトロ』に出てくる古い家に近い感覚なのかもしれません。不思議に惹かれる一首です。
☆
この歌集について、たとえば、「収穫の一冊! 」などということを軽々に言いたくはありませんが、面白い歌集にはちがいないと思います。
面白い一冊です(と書いておきます)。