goo blog サービス終了のお知らせ 

都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

尚美学園大学 上福岡キャンパス

2024-10-21 | 埼玉県  
尚美学園大学 上福岡キャンパス
所在地 :川越市 下松原655
建設年 :1981(昭和56)
解体年代:2013〜15(平成25〜27)
備考  :上福岡キャンパスは2013年に廃止・閉鎖
Photo 2002.4.9

 尚美学園大学の上福岡キャンパスは、東武東上線の上福岡駅からスクールバスで10分ほどの場所にあった。1981年に尚美音楽短期大学(1986年からは尚美学園短期大学)のキャンパスとして造られたもので、2000年に4年制の尚美学園大学が設立された際、上福岡キャンパス(芸術情報学部)となった。

 同大学は2000年の設立時に川越キャンパス(総合政策学部、川越市豊田本(現在の豊田町一丁目))を新設したため、2キャンパス体制になっていたが、川越キャンパスに芸術情報学部の校舎が増設されて2013年にキャンパスが一元化され、上福岡キャンパスは廃止された。

 私はこの大学で2001年から2023年まで非常勤講師をしていて、上福岡キャンパスにも2002年〜2012年までの11年間、春期に週1回だけ講義をしに訪れていた。

 上写真はキャンパス入口。校門を入ったところの広場には立体トラス構造の大屋根が架けられていた。


 Photo 2012.6.29 以下すべて同日

 上福岡駅とキャンパスの間はスクールバスが走っていたが、キャンパス側のバスのりばは校門を出て少し歩いた先の駐車場内だった。キャンパス入口内の屋根付き広場は、学生の憩い、待ち合わせの場所だった。

 立体トラスの大屋根は、恐らく水勾配のため、わずかに切妻屋根状に山型になっていた。
 また、校門を入った右側にはメディアセンターがあった。この建物には200人が入れる大教室があり、私はそこで100人ほどの学生に講義をしていた。

 校門を入って左へ向かうと事務棟。非常勤講師の控室などもここにあったので、私はいつもとりあえず奥の玄関へ向かっていた。

 大屋根奥から左へ向かうと、校舎群がならぶキャンパス中央の通路。教室を移動する学生や先生の多くがここを通るため、友人や担当の先生に会うことも多かった。通路わきの木陰のベンチで話す学生も多く、この空間は出会いの場、情報交換の場としてちょうどよいスケール感で、実は上福岡キャンパスで大切な空間だったのではないかと思う。

 上福岡キャンパスは北東から南西方向に延びる細長いキャンパスだった。川越街道と直交する方向で、昔からの土地所有形態が街道から短冊状に細長く延びるものだったからかもしれない。このため校舎は通路沿いに連なる形で建ち並んでいた。

 通路の奥の方には並木はなく、レンガタイル張り低層の校舎が両側に並んでいた。もともと短期大学で学生数もさほど多くなかったので、4年制大学になって以降も総合大学ではなく単科大学のようなスケール感と雰囲気となっていた。

 上福岡キャンパスの校舎からキャンパス北側の農地  Photo 2002.7.26

 キャンパスの東南側は戸建て住宅地で、南側には工場などが点在していたが、西北側は農地(畑)だった。初夏にはカッコウやキジ、トンビの鳴き声も聞こえてくるなんだかのどかな場所だった。

 2013年の廃止後は訪れたことがない。Googleストリートビューを見たところ、校舎群は解体されて2015年には更地になっていた。現在は戸建て住宅が建ち並ぶ住宅地になっている。

尚美学園大学 - Wikipedia

日本国内の建物や街並み
#失われた建物 埼玉県  #大学  #広場  ブログ内タグ一覧

東京大学 理学部旧1号館

2022-08-16 | 文京区  
東京大学 理学部旧1号館
所在地:文京区 本郷7-3
構造・階数:RC・3+増築1
設計 :岸田日出刀/小野薫
建設年:1926(大正15)
解体年:1994(西棟)/2003(中央棟)/2013(東棟)
備考 :4階部分は1965年の増築。2017年に東棟(6F)が竣工
Photo 2002.4.7 後方は新1号館西棟

 東京大学本郷キャンパス、安田講堂の裏側(東側)にあった大正時代末に建てられた建物。ロの字型をしていたが、戦前の国土地理院地図(1926〜36)や火災保険特殊地図(1934〜39)では、南側と東側のみのL字型で数学物理学教室と記されており、いちどに全部が建てられたわけではなかったようだ。北側と西側の建設時期は未把握。
 安田講堂裏は本郷台地から藍染川の谷地への下り斜面で、旧1号館は安田講堂より低い位置に建っていた。このため1965年に4階が増築されても安田講堂前の広場や銀杏並木からは背後に見えることはなかった。しかし、建て替えで背の高い建物になったため、残念ながら現在は講堂の背後に新建物が大きく見えてしまっている。ただ、そうでなくても、キャンパス外の池之端方面の高層ビルがそのうち見えるようになってしまったかもしれない。


 旧1号館中庭部分  Photo 2002.4.7

 旧1号館の建て替えは3期に分けて段階的に行われたそうだ。私が初めて旧1号館の写真を撮ったのは第1期工事の後だったため、建て替え開始前の全景を撮ることは出来なかった。
 ロの字型の校舎は、1994年に西側の1/3が解体され、そこに1998(平成10)年に新建物が建てられた。続いて2003年頃に中央部が解体され、中央棟が2005(平成17)年に完成。そして2013年に残る東側が解体され、2017(平成29)年に東棟が完成。こうして3期に分けた工事が終わり、全てが建て替えられたのだった。

 本記事掲載の1〜3枚目は西棟が建て替えられた後で、旧1号館がコの字型をしていた頃のもの。

 他サイトの記事などによれば表現主義のデザインだったという。たしかにレンガタイル張りの柱やアーチ部分は縁が丸められていて、新古典主義などの様式建築とは異なっている。とはいえ周辺の様式建築校舎とも違和感なく共存している感じだった。


 Photo 2002.4.7

 建て替えが段階的に進められたため、途中段階では切断されて残された建物の断面が見えている状態だった。


 東側から、後方は中央棟、更にその奥が西棟  Photo 2007.2.3

 中央棟が完成すると、残されたのは東側部分のみになっていた。


 東側部分  Photo 2007.2.3

 この東側部分だけは文化財的に残すのかと思ったが、結局取り壊されたのだった。


 東側の残存部分を北側から  Photo 2007.2.3

 残った東棟部分を使用するため、この時期はわざわざ避難階段などが設置されていた。ここまでしっかりやっていたので残すのかと思ったのだが、やはり暫定利用だった。


理学部旧1号館の記憶 - 特集
理学部 旧1号館 特設ページ
理学部1号館東棟の設計が固まり3期工事が始まる
理学部1号館東棟が遂に完成
    - 東京大学 大学院理学系研究科・理学部

東京大学理学部旧1号館/本郷7丁目 - ぼくの近代建築コレクション
東京大学 理学部旧1号館 | 収蔵庫・壱號館

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 文京区  #大学  #岸田日出刀  #表現主義  #近代建築 
ブログ内タグ一覧

東京女子医科大学 1号館

2021-10-27 | 新宿区  
東京女子医科大学 1号館
所在地:新宿区 河田町 8
構造 :RC
階数 :5+R1
設計 :増田清
建設年:1930(昭和5)
解体年:2016(平成28)
Photo 2009.4.18

 十字型平面の病院建築。
 下記、東京女子医科大学の記事によれば、設計した増田清が機能的で合理的な設計として、日本で初めて「十字放射型病院建築」プランを提案したという。十字放射型プランは、①壁面が多いため多くの窓が設置でき採光や風通しがよい、②エレベーターを用いた効率のよい動線計画が可能、③交差部から各病室への目配りがしやすい、④増築がしやすい、などのメリットがある。
 創立者の吉岡彌生は「学校の附属病院は、暗い冷たい部屋が一つもないように、理想的な病院をつくりたいと思い、十字形放射状という面白い設計を選んでみた」と述べていたという。


 Photo 2003.9.25

 見る方角によっては1枚目のようにシンメトリーになり、両翼が手前に広がる形に見えるが、別の位置から見ると真っ直ぐな建物から出っ張りが手前に出る形に見えるなど、少々意外な見え方をする建物だった。

 機能的に当時としては斬新な造りだったのだろうとは思うが、外見だけを見ると十字型が上手く生かされていたのかよく分からない感じに思われた。勝手なことを言ってしまうと、十字のそれぞれの腕(翼部)がもう少し長ければ壮麗で格好良いプロポーションに見えたのではないだろうか。敷地の広さの制約もあるので無理な話ではあるのだが。


 Photo 2009.4.18

 正面玄関の庇には、校章をモチーフとしたテラコッタ製のレリーフが付けられていた。またその庇から連なる1階と2階の境や屋上のパラペット部分にも、帯状にテラコッタの細長いタイルが張られ、外観のアクセントになっていた。


 Photo 2009.4.18

 外壁全体はスクラッチタイルだが、1階の壁面には大きめで出っ張りのある他では見掛けないタイルが張られていた。

 跡地には2020年に彌生記念教育棟が完成した。新棟には旧校舎にあった特徴的なタイルやアーチ型の窓のデザインが継承されている。

ピックアップ - 東京女子医科大学
施設将来計画-2020年2月完成 新校舎棟 | 東京女子医科大学
新・レトロ建築写真帖 東京女子医科大学病院1号館 (東京女子医学専門学校病院1号館)
うめ日和 | 東京女子医大 1号館 (建築探偵見習日記⑦)

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 新宿区  #近代建築  #大学  #病院  タグ一覧

東京慈恵会医科大学本館

2021-10-09 | 港区   
東京慈恵会医科大学本館
所在地:港区 西新橋3-25
構造・階数:RC・3F
建設年:1933(昭和8)
解体年:2017(平成29)〜
Photo 2013.3.29

 H型の平面をもつ低層だが大きな建物。外壁はスクラッチタイル張り。他の校舎や病棟、研究棟が多くあるので、街区外側の通りから見えるのは玄関がある北側が中心。
 このうち東側はベランダがあり、中央部は壁面にガラス面を合わせた形、西側は庇が出る形で、内部の利用形態に合わせたのか外観が少しずつ異なっている。


 Photo 2006.4.15

 玄関・車寄せ西側、道路沿いの部分は、各階で連続する庇が回っている。後付けの避難階段やエアコンの室外機・配管があるため整ってきれいな外観とは言えなかった。

 病院建築はやはり古いと耐震性、設備、屋内環境に問題がありそうで、古い建物を使い続けるのはやはり困難なのだろう。中庭など緑地があってゆったり安らげる環境が理想だが、都心では土地の高度利用も求められてしまう。そのようなわけで2000年頃から建て替えが検討されていて、他の病棟などを順次建て替えた末、この建物も解体・建て替えとなった。

東京慈恵会医科大学/西新橋3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
東京慈恵医科大学本館 - ゆる~り、ゆるゆると~

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 港区  #近代建築  #大学  #病院   タグ一覧

東京電機大学 1号館

2021-01-20 | 千代田区 
東京電機大学 1号館(本館)
所在地:千代田区 神田錦町2-2
構造・階数:RC?・5F
建設年:昭和初期頃?
解体年:2012〜13(平成24〜25)
Photo 2005.3.25

 1926年に錦町2丁目の土地を取得して校舎を建設したようなので、建物のデザインからみても恐らく昭和初期に建てられたものだったのではないかと思うが、Websiteなどには記載がないため、詳細は不明。創立100年史などを見てみないと分からなそうだ。

 東京電機大学は2012年に北千住駅東口側に神田キャンパスの全てが移転。跡地にはKANDA SQUARE(神田スクエア)が2020年に完成している。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区  #近代建築  #大学  タグ一覧

早稲田大学 旧3号館 その2

2020-01-20 | 新宿区  


 正面玄関扉と玄関内の小窓

早稲田大学旧3号館
所在地:新宿区西早稲田1-6
建設年:1933(昭和8)
構造・階数:RC造・4F
設計 :桐山均一(早稲田大学営繕課)
解体年:2011(平成23)
備考 :2014(平成26)に新3号館が完成
Photo 2007.9.20(以下すべて同じ)

 学校建築なので壮麗な装飾が内部にあるわけではないが、クラシックな建物らしいデザインが各所に見られる建物だった。記憶が曖昧だが、以下3枚は2階の廊下の様子。南側と北側で建設年が少し異なり、両者を結ぶ部分もあるため、廊下のデザインも場所によって異なっていたようだ。

 幅木の部分は大きめのタイル。床も石のように見えるが左官仕上げかと思われる。

 別の場所では1.2mほどの高さまで木製の板が腰壁として張られている。手前には丸柱が廊下に張り出している。ここの床はリノタイルだろうか。

 さらに別の場所は、ほとんど装飾がなくちょっと素っ気ない感じ。左側は給湯コーナーのようだが、後から廊下の途中に造ったのだろうか。衝立で区切った奇妙なものになっている。


 階段室

 この階段は高い位置までタイル張りの腰壁が立ち上がっており、床もタイル張り。階段わきにはトイレがあった。


 4階から階段室

 なじみのない建物だったので、この階段室がどこにあったのか、中庭側と外側どちらの側だったのか覚えていない。踊り場の角はカーブを描いていて、最上階では天井から灯りが吊されていた。


 階段室見下ろし

 このようなタイル張りの階段は、建物内では最近はあまり見掛けない。


 階段手摺

 上3枚の階段とは別の位置にあった階段。こちらは3枚の板を重ねたような手摺。この手摺のデザインは現在の建物でも再現されている。


 消火栓と火災報知器

 電気系は建設当初はあまりなかったので、壁にはたくさんの配線パイプなどが張られていた。スプリンクラーなどではなく、壁面にホースを収納した消火栓。これも古い建物ではときどき見られるもの。

都市徘徊blog > 早稲田大学3号館つづき

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区  #早稲田大学  #大学 
#桐山均一  #近代建築  #屋内階段 

早稲田大学 旧3号館 その1

2020-01-18 | 新宿区  
早稲田大学旧3号館
所在地:新宿区西早稲田1-6
建設年:1933(昭和8)
構造・階数:RC造・4F
設計 :桐山均一(早稲田大学営繕課)
解体年:2011(平成23)
備考 :2014(平成26)に新3号館が完成
Photo 2007.9.20

 全体の平面型はロの字型で南側の両翼が少し張り出した形。屋根は他の校舎同様えんじ色の瓦屋根。


 北西側から Photo 2011.5.26

 北側には4号館との間をつなぐブリッジが架けられていた。新しい3号館ではこのブリッジは無くなっている。また、2011年度に入ると外側に工事用囲いが設置され、解体工事が始まっていた。


 正面玄関 Photo 2007.9.20

 玄関内のようすは異なるが、外側は新3号館でもほぼ忠実に復元されている。


 4階壁面の装飾 Photo 2011.5.26

 中庭側壁面の装飾も同様に復元されているが、旧3号館の中庭部分は新3号館では吹き抜け内になっており、壁面沿いに設けられた通路を歩くと装飾を間近に眺めることができる。


 3号館両サイド中央の壁面 Photo 2011.5.26

 3号館は当初は南側半分だったようで、後に北側半分が造られ、更に両者がつながれてロの字型の建物になっていた。写真はコの字型の南北二つの建物をつないでいた増築部分。ここの部分の4階にはアーチ型の装飾はなく、壁面全体がガラス面の多いモダンなデザインになっていた。


 西側の7号館から増築部分 Photo 2011.5.26

 ギザギザの庇が付いており、その下には水を流し落とす嘴状の装飾が付けられていた。


 2階から中庭 Photo 2007.9.20

 比較的大きな中庭には植栽だけでなく高木もあった。


 中庭南側 Photo 2007.9.20

 中庭上空の4階部分にブリッジがあるのも印象的だった。残念ながらこのブリッジ内部の写真は撮らずじまい。


 ブリッジ見上げ Photo 2007.9.20

 4階の南側に大きな教室があってこの部分に廊下がなかったため、東西を行き来できるようブリッジを架けていたらしい。当初からあったのか増設されたのかは知らず。早稲田キャンパスの他の校舎にはあまりないデザインが印象的だった。

 80年近くにわたって使われていた旧3号館だったが、残念ながら解体され現在は高層の新3号館になっている。

 新3号館の低層部前面には旧3号館の南半分を復元し、メインの軸線沿い低層部の景観の保持を試みている。往時の3号館がそのまま残されているように見えるが、新棟建設に際してはRC造の旧3号館はいちど完全に解体されている。新3号館の復元部分は、S造(一部SRC・RC)で、外観を「再現した」という方が良いのかもしれない。

 旧3号館の内部についてはまたこんど。

都市徘徊blog > 早稲田大学3号館 その2新3号館 その1その2

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区  #早稲田大学  #大学 
#桐山均一  #近代建築 

一橋大学一橋講堂

2019-11-02 | 千代田区 
一橋大学一橋講堂
所在地:千代田区一ツ橋 2-1
構造・階数:RC・2
建設年:1932(昭和7)
解体年:1995〜96(平成7〜8)
Photo 1987.11.1

 撮影時、既に廃墟化していた。いつまで使われていたのか判らないが、前庭には草が繁茂し、ファサードは蔦で覆い尽くされ、まさにお化け屋敷状態。都心にこんな状況の建物があったこと自体がある意味おどろき。

 この建物を見たのは写真の時だけ。いつ頃まで残っていたのか分からないが、ネットなどで検索したところでは1995年頃までは存在していたようだ。跡地には学術総合センターが1999(平成12)年12月に竣工しているので、1995〜96年頃に解体されたものと思われる。

 また、現在はこの学術総合センターの建物内に一橋講堂はある。

 なお、当時の地図などを見ると「一ツ橋講堂」と記されていたりするのだが、下記「ぼくの近代建築コレクション」掲載の門の画像で「一橋大学一橋講堂」と読めるので、ここではこの表記を用いる。

ぼくの近代建築コレクション一橋講堂
建築士から見たマンションについての本音を公開します旧一ツ橋講堂

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #大学  #映画館・ホール 
#近代建築   ブログ内タグ一覧
2022.8.25 一部修正

桜門ビル

2019-10-30 | 千代田区 
桜門ビル
所在地:千代田区三崎町 2-2
建設年:昭和初期
構造・階数:RC・4F
解体年:2002(平成14)
Photo 2002.4.13

 日本大学の同窓会館だった建物。道の向かい側の日本大学本部(図書館)と共にタイル張りの近代建築の街並みを創っていた。東側に玄関と階段室があり、高くはないが塔屋状になっていた。

 片側に塔屋を寄せた姿も格好がよかったが、もしかすると東側へシンメトリーに増築されることも想定していたのではないかと思わせるところもある姿をしていた。

 訪問時は人影もなくひっそりしていた。既に解体されることは決まっていたのだろう。同年中に解体され、翌年末には新しい建物ができたそうだ。

 コーナーは丸く、窓台と庇の水平のラインが強調されている。日大本部と同時期の建物だが、こちらの方がやや新しい時代の雰囲気を感じさせるデザインだった。

 2〜4Fはスクラッチタイル張り。

 西側の通用出入口はアーチ型で、ここだけはやや大振りなデザインになっている。

廃景録桜門ビル
桜門ビル/三崎町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #大学  #近代建築 


日本大学本部(図書館)

2019-10-28 | 千代田区 
日本大学本部(図書館)
所在地:千代田区西神田 2-6
構造・階数:RC・4F
建設年:1927(昭和2)
解体年:2002(平成14)
Photo 2002.4.13

 コの字型をした建物で、奥まったところに中央玄関があった。階段室がそのまま塔屋となり、下からは見えにくいのだが、屋上にはドームが載っていた。

 背後に超高層マンションができて驚いているうちに、建物自体が解体されて建て替えられてしまった。残念。

 西北側から見ると2棟に見えるが、これはコの字型をしているため。平面的に比較的大きな建物だったが、分節されたデザインだったため、通りから見るとさほど大きさを感じさせない建物だった。


 左手前:日大本部、右奥:桜門ビル

 向かい側の桜門ビルと対になって建っていて、この一角には学生街らしい雰囲気が漂っていた。


 東側、玄関上部のディテール

 外壁はスクラッチタイル張り、細かい装飾はテラコッタ。石張りやモルタル塗りの部分もある装飾的な外観をしていた。

ぼくの近代建築コレクション日本大学本部

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #大学  #近代建築  ブログ内タグ一覧