都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

協友社

2024-05-30 | 中央区  
協友社
所在地:中央区 湊1-7-6
構造・階数:木・2
建設年:震災後〜戦前?
解体年:2020(令和2)
Photo 2013.10.13

 中央区湊1丁目の角地に建っていたちょっと洋風な建物。賃貸だったのか年代によって入居している会社は様々に入れ替わっていたようだ。1962年時点では個人宅、1973年では長谷川運輸、1982年では日本商工出版販売所、1991年には(株)協友社と(株)協進精螺になっている。
 また、下記「ぼくの近代建築コレクション」には、「区役所の出張所が置かれていたこともあるらしい。」と記されている。ただ手もとの地図等では把握できておらず、その詳細は不明。

籠平、他/湊1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区 #オフィス #木造店舗 
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友醸社

2024-05-24 | 中央区  
友醸社
所在地:中央区 八丁堀2-14-4
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく?
解体年:2020(令和2)
Photo 2011.5.24

 八重洲通り、八丁堀交差点のひとつ西の角地に建っていたタイル張り看板建築。蔦に覆われたタイル張りの外観と、黒地に金文字の袖看板が印象に残る。道の反対側からは、屋根がコンクリート瓦?で葺かれていることも見て取れる。
 友醸社は醸造用機械器具を扱っている会社だそうだが、現在は入船1丁目に移転している。


 Photo 2019.5.7

 2、3枚目の写真の頃には既に移転していたようで、灯りは点いていなかった。


 Photo 2019.5.7

 1枚目写真の金文字の袖看板は移転先のビルに移設されているようだ。このため3枚目のこの写真では袖看板が既に取り外されている。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区 #看板建築 #タイル張り看板建築 
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エトワール海渡第三ビル

2024-05-18 | 中央区  
エトワール海渡第三ビル(旧海渡ビル、旧小松ビル)
所在地:中央区 日本橋横山町6-10
構造・階数:RC・6+R
設計 :中村與資平
建設年:1928(昭和3)
解体年:2021(令和3)
Photo 2005.3.27

 静岡市役所や静岡銀行などを手がけた中村與資平が設計したオフィスビル。
 最初はエトワール海渡ではなく、小松ビルとして建てられたという。当初は2階から上がタイル張り、1階は石張りで、軒先にはロンバルディア帯もあったとそうで、写真の頃の外観は当初とはかなり違っていたようだ。下記リンク先「中村與資平記念館新館」には当初の写真が掲載されている。

 昭和30年代に海渡(現 エトワール海渡)の建物になり、その後、外壁が改装されて現在の姿になったという。
 2階から上は金属板張り、1階は当初とは異なる石張り。外壁が変わってだいぶん様子が変わっていたが、玄関上部の装飾等は残されていた。タイル張りや石張りをやめてしまったのはメンテナンスが大変だったからだろうか。玄関周りの装飾は華やかだったが、ほかの壁面とギャップができてしまっていて、もったいない感じではあった。

 また、建物はセットバックしていたが、周囲の道があまり広くないので、5階から上はほぼ見えなかった。

小松ビル | 中村與資平記念館新館
海渡ビル、横山町ビル/日本橋横山町 - ぼくの近代建築コレクション 

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東通工・ヤスダビルメン

2024-05-15 | 中央区  
東通工・ヤスダビルメン
所在地:中央区 日本橋人形町3-4-11
構造・階数:木・3
建設年 :震災後〜戦前?
解体年代:2004〜05(平成12〜17)
Photo 1996.10.6

 人形町交差点近くの横丁、前項の家の少し南側にあった木造ビル。3階建てビルのような外観だが、瓦屋根なので木造だったのではないだろうか。(火保図ではRC造で記載されているが)

 写真の頃は2軒の事務所が入っていて、左側が(株)東通工、右側(株)ヤスダビルメン。
 ヤスダビルメンで検索すると、日本橋蛎殻町2-6-5のオフィスが出てくるので、この建物から退去した後はそちらに移ったようだ。一方、東通工は詳細不明。

 正面1階はレンガ張り、2、3階はタイル張りだったようだ。柱の間の窓下や、側面はモルタル塗り。軒先に軒蛇腹があり、窓の下にも幾何学的な模様がつけられている。西洋建築様式を踏まえたデザインではないが、洋風立面を持つタイル張り看板建築だった。
 建設年代の詳細は不明だが、これも震災後〜戦前期のものだったのだろうか。戦後、1949年の火保図では「法律宮代」とあり、当初は法律事務所として建てられたものだったのかもしれない。

一誠、東通工/人形町3丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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三田商店 東京支店

2024-04-30 | 中央区  
三田商店東京支店
所在地:中央区 日本橋小網町17
構造・階数:RC・2+R
設計 :葛西萬司
建設年:1930(昭和5)
解体年:2022(令和4)
Photo 2014.5.6

 このビルの裏側にはかつては東堀留川があった。戦前の地図では日本橋川から北に入り込んだ船溜まり状の水路になっている。そしてこの建物も水路からの荷揚げを想定して建てられたものだったようだ。東堀留川は戦後の1949(昭和24)年までに、戦時中の空襲で焼失した家屋などの瓦礫で埋められたそうで、その後は水辺の建物ではなくなっていた。

 下記、中央区サイトの記事によれば、この建物は辰野金吾と建築事務所を運営していたことで知られる葛西萬司という人が設計したものだそうだ。当初は水平庇をまわした初期インターナショナルスタイルの建物だったという。モダニズム系の建物なので装飾はほぼない。最上階のパラペットが少し出っ張っているところと、左右対称でほぼシンメトリーだったことぐらい。それなので逆に昔風な感じには見えず、小規模ながらモダンな感じであり続ける建物だった。

三田商店東京支店/日本橋小網町 - ぼくの近代建築コレクション
中央区ホームページ/株式会社三田商店東京支店
三田商店東京支店 東京都中央区日本橋小網町 - 墳丘からの眺め
三田商店東京支店 | 新・レトロ建築写真帖

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ArchitectS Office/旧イクタツ

2024-04-27 | 中央区  
ArchitectS Office
所在地:中央区 日本橋小網町16-16
構造・階数:RC・3
建設年:1929(昭和4)頃
解体年:2022(令和4)
Photo 2014.5.6

 かつての東掘留川沿いに面して建てられていた建物。

 下記リンク先の記事によると、最初はワコールの前身の和江商事が倉庫(兼事務所?)として建てたものだったそうだ。川沿いだったので荷揚げ設備もあったという。

 戦後、建物裏の川は戦災で生じた瓦礫の処分のため埋められたが、建物はその後もいくつかのオフィス兼倉庫として利用されていたようだ。写真の時期は建築家の方がリフォームして設計事務所兼ギャラリーカフェとして利用していた。

 外観は装飾もほとんどない地味な建物。それぞれの窓の下に四角い凹みがデザインされているのと、屋上のパラペットにも穴が開けられているあたりが数少ない特徴。またそのパラペットはわずかに外に開いていて、外壁の雨だれ汚れを低減するデザインだったようだ。この他、撮影時は全体が白っぽく塗られていたが、1階はタイル張りで、2、3階はモルタル塗装だった。

 この後、2022年に解体され、少し前に解体された南側の建物(写真左手前)の敷地と合わせて新しいビルが建てられた。
 中央区のサイトには平成23年から3ヶ年にわたって行われた近代建築調査によって調査された建物について記したページがあるが、そこに掲載されている約90の建物のうち25軒ほどは現在までの期間に解体・消失しており、残っているのは約7割になっている。

中央区ホームページ/中央区近代建築物調査
中央区ホームページ/ArchitectS Office
川がない橋が秘めた東京の履歴│47号 つなぐ橋:機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター
イクタツ(現・ArchitectS Office)/日本橋小網町 - ぼくの近代建築コレクション

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松屋東別館(旧日本酸素本社)

2024-03-27 | 中央区  
松屋東別館(旧日本酸素本社)
所在地:中央区 銀座3-7-9
構造・階数:RC・4+B1+R(5階は増築)
建設年:1927(昭和2)
解体年:2023(令和5)
Photo 2023.3.28

 銀座松屋がある銀座3丁目で、中央通りのふたつ東側の通りに面してあったビル。日本酸素という会社の本社ビルとして昭和初期に建てられた。同社が戦後の1958(昭和33)年に移転した後は、いくつかの会社に利用され、その後は松屋の東別館となっていた。

 『震災復興〈大銀座〉の街並みから−清水組写真資料』には、このビルの竣工当時の写真が掲載されている。外観に関して、5階は後年の増築だが、その他は当時とあまり変化していない。ただ中央の2本の柱は柱頭部が装飾的だったようだ(もとから古典建築の様式デザインではなかった模様)。

 東別館は売り場ではなく事務所として使われていた。銀座の松屋は裏通りに面した東館も事務棟だが、東別館はその東館と渡り廊下で繋がっていて、東館を介して本館(店舗)まで従業員などが行ける構造になっていたようだ。Googleマップの航空写真を見ると、東館南側の2階建て(これも東館の一部?)の屋上に屋根付きの通路がある。これが東館3階と東別館の3階をつないでいたようだ(本館と東館は5階のブリッジでつながっている。)。

 銀座界隈では少なくなった近代建築だったが、昨年、解体されたという。

参考
『震災復興〈大銀座〉の街並みから−清水組写真資料』
 銀座文化研究 別冊、銀座文化史学会編、秦川堂書店、1995

松屋東別館/銀座3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
松屋東別館が建て替え工事に:大江戸時夫の東京温度
松屋銀座東別館 - ずぼら堂懐古録

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あかね書房

2024-03-15 | 千代田区 
あかね書房
所在地:千代田区 西神田3-2
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく
解体年:2005(平成17)
Photo 2005.3.25

 あかね書房は1949年創立。1964年発行の全住宅案内地図帳で「KKあかね書房」として記載されている。いつ頃建てられたのかは不明だが、会社の創立期、1950年頃だったのではないかと思われる。

 木造2階の小さなオフィス。モダンな外観で小路を挟んで神田蓄電池のひとつ西側に建っていた。奥が前項の神田蓄電池。

 写真の少し後に解体され、同街区は住友不動産千代田ファーストビル南館になった。現在は、あかね書房もこのビル内にある。

あかね書房、再開発で新ビルに 07年11月に竣工 - The Bunka News デジタル

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鉄道日本社

2024-03-09 | 千代田区 
鉄道日本社
所在地:千代田区 西神田2-1-4
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく?
解体年:2018(平成30)
Photo 2008.9.9

 白山通りの西側の裏通りに面してあった、少しだけ洋風なモルタル塗りのオフィス。界隈はかなりの部分が戦災で焼失している。鉄道日本社は1954年発行の火災保険特殊地図には記載があるので、戦後まもなく建てられたものだったのではないだろうか。


 Photo 2010.6.6

 鉄道日本社は過去には鉄道系の書籍や雑誌を出版していた会社。鉄道ではないが「自動車工学」という雑誌も2016年までは出していたようだ。
 窓枠や玄関扉は木製で、玄関は洋風の観音開き。2018年3月時点のGoogleストリートビュー画像には解体のお知らせ看板が写っている。

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西鉄カリテンビル/旧NHK福岡放送会館

2023-10-09 | 福岡県  
西鉄カリテンビル/旧NHK福岡放送会館
所在地:福岡市中央区 天神2-6
構造・階数:RC・4+B2
建設年:1959(昭和34)
解体年:2000〜01(平成12〜13)頃
備考 :1959〜92(昭和34〜平成4)はNHK福岡放送会館
    1996〜99(平成8〜11)は西鉄カリテンビル
Photo 1998.9.12

 1998年に学会で福岡へ行った際に、天神の街を歩いていて見掛けた建物。当時、天神界隈は大規模な建物が既に多く建ち並んでいたので、4階建てでやや地味なこの建物は逆に目立つ存在になっていた。

 当時はなんという建物なのか調べもせずにいたが、最近になってGoogle Mapやストリートビューで調べてみたところ、かなり前に無くなっていたことが判明。そこでこれも国会図書館で当時の住宅地図をあたってみたところ「西鉄カリテンビル」とされていた。「カリヨン」なら鐘楼とか鐘塔の鐘で、施設名などでときどき見掛けるので知っていたが、「カリテン」というのは馴染みがなく、なんだろうな?という感じ。ネットで検索すると、天神の中心部なのにあまりヒットしない。逆に福岡放送会館が一緒に出てくる。そこでもういちどもっと古い住宅地図をあたってみたところ、この建物には1992年まではNHK福岡局があって、福岡放送会館という名だったことが分かった。

 NHK福岡局は、1930(昭和5)年に開局。この福岡放送会館は1959(昭和34)に完成。その後、1992(平成4)年にNHK福岡局は天神から現在地の六本松一丁目に移転したという。昔の写真を見ると、放送会館の西側にかつては送信用の鉄塔も建っていたようだ。

 一方、この近くの西鉄福岡駅北側にあった西鉄旧駅舎には「福岡西鉄名店街」というのがあったそうだが、ビルの建て替えに伴い1996(平成8)年2月末にそこでの営業を終了し、旧福岡放送会館に移転して仮店舗「にしてつカリテン」として1996年3月から営業を始めたそうだ。カタカナで「カリテン」とあったので外国語から採ったのかと思ったが、なんのことはない「仮店」だったのでした。

 私が訪れた頃は、不二家など20軒ほどの店が1階に入居し、2階は天神エフエム、NHK九州メディスが入居。3階は空きで、4階は新名店街準備室となっていた。カリテンの名の通り、仮店舗ビルとして使われていたのは3年ほどで、たまたまそいう時期に私は訪れたのだった。

 住宅地図によれば、その後、2000年にはこの建物は使用されなくなっていて、2002年には既に新しいビルの建設が始まっていた。現在、ここは岩田屋デパートの新館(2004年完成)になっている。

NHK福岡放送局 - Wikipedia
福岡市 教えて!どんなところ?第8回 NHK福岡放送局
アンティーク絵葉書に観る、懐かしの福岡・天神町/岩田屋・松屋/昭和20~40年代の写真絵葉書

日本国内の建物や街並み
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