ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

倦怠

2021年01月25日 | ノンジャンル
腰の痛みも治まり、それなりに課題もひと段落して
迎えた誕生日は雨の日曜日。

取り立てて、欲しい物があるわけでもなければ、
食べたいものもない。やりたいことがある
わけでもなく、もし明日死ぬとなったとしても、
特に後悔はない。

無気力というわけではないが、終活という意識が
より現実的になってきて、家族や会社の未来を
踏まえて、その布石を残された時間で打つこと
のみを考えている。

思えば、断酒も幼い子供たちを残してはいけない
との思いで覚悟した。
その子供達も、もう一人前になった。

覚悟とか決意とかいう、そういう気張った思いも
今ではなくなった。

お酒を飲むつもりは無論ないが、飲もうと
飲むまいと、どうでもよくなっている。

こういう倦怠感に包まれた年の初めというのは
本当に久し振りである。

やるべきことは、迅速にやるものの、
あえて進んで何かに取り組む気力がない。

コロナ禍で、明日をも知れぬ不安な日々を
過ごしておられる人達には申し訳なく思うが、
それとて、つまりは他人事である。

死ぬのは他人ばかりであり、自らの死の不安も
死と共に消え去る。

これからの生きる糧は、どれだけあるかわからない
残された時間の意識と、その時間を
どう生きるのかの問いかけに他ならない。

そして、問いかけとは、迷いでも逡巡でもなく、
行動なのである。





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