ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

余波

2019年08月16日 | ノンジャンル
昨年の大きな被害をもたらした台風の記憶も
新しい中、今回の台風にはかなり警戒していた。

お盆を直撃する台風というのは珍しい。
過去においてもあまり憶えがない。

一昨日に相応の準備をして、昨日は引き籠る
ことにした。

中国地方に接近、上陸し、中心が最接近した
前後は、呆気ないほど何ともなかった。
夜になって、もうこのまま終わるのかと
思っていたら、日本海に抜けてから急に
雨風がひどくなり始めた。

もう離れていっているのに不思議だったが、
それからが本番とばかりに、土砂降りの雨と
暴風が吹き荒れ、風の音や飛ばされたであろう
物音で幾度となく目を覚まされた。

中心よりも、南東側に長く伸びた尾っぽの
ようなところが最も雨、風共にひどかった
ようである。

台風の接近は、当然物流に影響を及ぼす。
海上、航空を問わず、スケジュールは全て
リセットされる。

おかげで、このお盆は何年振りかで、休みなし
となった。
昨日は籠っていたが、いわゆる在宅ワーク状態
だったし、台風一過の今日は晴天で仕事
日和である。

週明けには中国から来客がある。

多忙ではあるが、昔の様に、ある意味
ワーカホリック的な要素はない。

飲まずにはいられないというのと、仕事を
せずにはいられないというのは、多少リンク
していたかに思える。

飲まなくなって、仕事は自分のやれることを
やるという事で落ち着いている。

それは、どんな立場になっても変わることはない。

しかし、台風が過ぎたあとの束の間の涼やかさに
少し早めの、秋の疲れを感じている。

今回の、暴風雨を引きずってきたような
台風と同じく、疲れを引きずりながら季節の
変わり目に突入する余波が、自身にとっては
最も警戒するべきことなのである。





初盆

2019年08月13日 | ノンジャンル
今年2月に父親が他界したので、これが初盆となる。

とはいえ、別段、特別な事をするつもりはない。
先祖や、亡くなった人が、お盆に帰って来る
などと、端から信じていない。

供養にせよ、回向にせよ、そんなものは特別に
仕立てるものでもなく、普段の日常にこそあると
信じている。

供し、養い、回し向けるのは、結局は亡くなった
人にではなく、今という現実を生きる人に
対してのことだからである。

父親である自分が、息子に望むことを考えれば、
無用なお金を使って法要などして欲しくないし、
職業坊主を儲けさせる必要もないと思う。

しっかりと、自分で決めた自分の為すことを
していく日々こそが望みであり、何より
元気で過ごす事が最大の望みである。

そして、その元気な顔を、たまに見せに来て
くれればよい。

年に暇を見つけて幾度となく墓参するのは、
それ以上でも、それ以下でもない。

「元気でやってるよ」という事のみなのである。





涙花

2019年08月10日 | ノンジャンル
今年も花火大会が開催された。
淀川沿いの我が家では、玄関側で
楽しむことができる。

階下の堤防には大勢の見物客が集まる。
相変わらず賑やかなひと時だったが、
これが終わればお盆となり、短い夏の
終わりを感じさせる。

もう何年も前から、この花火大会を
楽しめなくなっている。
音で始まったことはわかるが、
玄関を出て見物する気になれない。

昔、同じ階の、幼い女の子が病気で
亡くなった。
息子を兄のように慕っていた。

一時退院で、花火を見に帰って
来ていた時の姿、声は、元気な頃とは
まるで別人のように弱々しかった。

花火を一緒に見ながら、花火に
祈るような想いでいた。

だが、それがその子にとって最後の
花火となった。

他所の花火なら何ともないが、
家から見るこの花火は、いつまで
経っても泣けてくる。

あの子は元気に遊んでいるだろうか
などと埒もないことを考えてしまう。

また会える時も来るかもしれない。
いや、またあの笑顔に会いたいと
思うのである。





熟夏

2019年08月06日 | ノンジャンル
異常に暑い日が続いている。

今年も夏の休暇が近づき、お盆を迎えれば
もう秋の気配も感じ出す頃となる。

今年は前半で、もう一年分悩んで動いた
気がしている。
それほど公私共に多忙であった。

こういう時は要注意である。

少し涼しくなり出す頃に、春から夏までの
疲れが出やすい。

見えない不安に囚われるのもその頃である。

とはいえ、家内はますます元気になっている。
新婚でもあるまいに、玄関先までだったのが
エレベーターのところまでついてきて、
見送りの手を振る。

苦笑しながらも、明るい姿に胸を撫で下ろす
ような想いにもなる。

なんでもない一日が、なんでもないことに
幸せを感じる一日であるなら、上出来であろう。

お盆を過ぎれば、また慌ただしくなるだろうが、
今は気怠い暑気に耐えている。

頑張るのでもなく、頑張らないのでもなく、
自分なりに生きている。

なんとなくアンニュイな気分も、夏のせい
という事にしておこう。





やっぱり

2019年08月03日 | ノンジャンル
しばらくは、ゆっくりとなどと言っていたが、
三日と経たないうちに、何やら動き出している。

どうやら、睫毛と眉毛のケア資格を取る方向で
勉強を始めるようだ。

これでヘアカット、眉毛、睫毛ケア、ネイルと
美容全般をカバーできる技術を持つこととなる。

国家資格とは無縁の私には、羨ましい限りである。

同時に、髪結いの亭主で良かったと思う。
自分が楽をできるからではなく、自分亡き後も
生活に苦労することはないだろうという安心である。

後顧の憂いなきをもって最上の幸せとも
言うべきか。

自分でも自分の落ち着きのなさが可笑しいのか、
私に照れ笑いをしながら出かけて行った。

見送った私は、やれやれとひとり苦笑している。