ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

高級茶

2019年08月21日 | ノンジャンル
世間の休暇明けに、中国より来客があった。

私がお酒を飲まないことを知っているので、
お土産はいつも中国茶かジャスミン茶である。

お茶は中国でも日本でもピンキリで、
高級茶となれば驚くほど高値となる。

今回は、陶器の壺に入ったジャスミン茶で、
しばらくは楽しめそうである。

接待の機会も相変わらず多いが、私が飲むのは
ウーロン茶か緑茶である。

市販のものである以上、原価などたかが
知れているが、こういう場所で飲めば、
最高級のお茶より高くつくことになる。

バカバカしい限りだが、それがお酒であっても
実情は変わらない。

いわゆる会議室などの公式の場ではなく、
社交の場であるが故である。

つまり、非日常の、特別を提供する場である
からこそ高価なのだが、非日常が日常の私に
とっては、無駄なことでしかない。

ただ、それは、ひとりで行くとした場合であって、
誰かと共に、コミュニケーションの場として
有用するなら、無駄ではなくなる。

その店の雰囲気や女性が、しばしば相互の
壁を崩し、時には殺気を和らげてくれる
からである。

そして、飲まない私はその場で話された
ことは全て憶えていて、できることは具体的に
翌日から進めていく。

それが、ある意味、これまでの信用の
積み重ねともなっているのである。