ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

涙花

2019年08月10日 | ノンジャンル
今年も花火大会が開催された。
淀川沿いの我が家では、玄関側で
楽しむことができる。

階下の堤防には大勢の見物客が集まる。
相変わらず賑やかなひと時だったが、
これが終わればお盆となり、短い夏の
終わりを感じさせる。

もう何年も前から、この花火大会を
楽しめなくなっている。
音で始まったことはわかるが、
玄関を出て見物する気になれない。

昔、同じ階の、幼い女の子が病気で
亡くなった。
息子を兄のように慕っていた。

一時退院で、花火を見に帰って
来ていた時の姿、声は、元気な頃とは
まるで別人のように弱々しかった。

花火を一緒に見ながら、花火に
祈るような想いでいた。

だが、それがその子にとって最後の
花火となった。

他所の花火なら何ともないが、
家から見るこの花火は、いつまで
経っても泣けてくる。

あの子は元気に遊んでいるだろうか
などと埒もないことを考えてしまう。

また会える時も来るかもしれない。
いや、またあの笑顔に会いたいと
思うのである。