ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

草上の露

2017年07月07日 | ノンジャンル
風の中の湿気はあると言えばあり、ないと言えばない。

物質的にはあるのだが、感覚で認識できないものは
人は、「ない」と判断する。

しかしそれは夜の気温低下で露点を下回れば、
露となって現れる。
つまり、「ある」状態となる。

要するに、人の、あるないの認識などたかが
知れている。
その稚拙な認識力で、己自身を量ろうなど
おこがましい。
まして他人をやである。

露として生まれ出でた以上、再び風となるか、
大地に戻るか、流れとなって大海の一滴となるか。

露が生じるのに意味も意志もない。
ただ、現れたなら、それがどうなっていくのかは
千差万別である。

それを私たちは、「生き方」と呼び、自身の意志で
そこに意味を創っていくのである。





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4 Comments

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Unknown (まーとん)
2017-07-10 00:07:27

みたいなものですね
ただ一瞬をすごしているだけなのかも知れないです。
歴史に名を残そうとか
なんかやり遂げようとか
そんな野望もないです。
自分一人の力はとても小さい。
人間はとても弱いと思います。
今一瞬を精一杯生きる事しかできないとつくづく思う今日この頃です。
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Unknown (jetlinks)
2017-07-10 11:28:03
露を儚いと思うのか、大海の一滴、
大空の一縷としての無限の広がりを
信じるのか。

それも生き方でしょうね。
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Unknown (はる)
2017-07-18 13:40:13
認識論から存在論へ或いはその逆もまた
其を対話の妙でできたらいいなと思う。
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Unknown (jetlinks)
2017-07-19 23:58:31
人は自他共の認識で、存在を意識できる
ということでしょうね。

あるいは、厳たる存在を認識できるかどうかです。 ^^
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