ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

総仕上

2018年01月24日 | ノンジャンル
今日、亡くなった母親と同じ歳になった。
親の歳に追いつくというのは、なんとも感慨深い。

詳しい事情は知らないが、幼い頃に両親と別れ、
養父母に育てられた彼女は、兄弟もなく、
孤独であった。

結婚して家庭を持ち、4人の子供を儲けた。
彼女の最初の血のつながった家庭である。

くも膜下出血で倒れ、生死をさまよったが生還し、
その後の10年間で、6人の孫をそれぞれ見守り、
その手に抱いて、一人逝った。

孤独だった彼女は、10人の血の継承を遺して
逝った。

大きな節目であるこの歳になって、さてこれからの
10年をどう生きるか。

ダメダメで、ボロボロな人生だったかもしれない。
だが、母と同じように、この10年で自身の総仕上げを
していくつもりである。

少なくとも、母親の人生を越える生き方をして
いこうとするなら、それが最大の親孝行であると
信ずるものである。





最新の画像もっと見る

5 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (はる)
2018-01-25 00:19:52
己の今後を真摯に思う時、たとえば先祖のことどもを慮るだけではやはり「型」に過ぎないと思う。現世人類の未來を例えば「二ヒリリズム的な完成でだけとらえるというスタンスは、それなりの「覚悟」が必用だ。この病の困難性は完治は有り得ないとしても
生きているだけでも其なりに多くの物事や友人関係や家庭を破壊して期待してきた。家人にとっては当に地獄である。出合いがないという人は、昔から有った。人はあくまで、関係性のなかで生きている。病を正確に理解しておられるはずの、たとえば奥さんはある意味、地獄を其なりに見てきた。

破綻の予兆を感じながらも、決断を迫られる事もあるだろう。

今後も、アルコール依存は増えても、簡単には減らないだろう。悲観論・ニヒリズムは、必ずしも悪ではない。よい悪いを越えて救済をその射程においている。

未来はどうなるか。過去の事どもがどのように影響しているのか。実は分からない。個人の力だけでは、今後の「人生をなるたけプラスにもって行きたいという願望があるからこそ家族会があるのだろうし、当事者だけのミーテイングもあるのだろう。

もちろん、希望はある。二匕リズムはある意味では力を持っている。だがその横溢は危険である。生きようと思うことだ。



返信する
Unknown (はる)
2018-01-25 00:22:27
完成 X
感性 ○
返信する
Unknown (jetlinks)
2018-01-25 01:11:38
これからも、人との関わりの中で生きて行きます。
必然的に関わりの取捨選択はあるでしょうが、
基本は己を虚しくしつつ、自他共にその可能性
だけは信じることを諦めず、精進して行きます。

節目の餞の言葉として、
ありがたく頂戴します。^^
返信する
Unknown (まり)
2018-01-25 10:21:12
>己を虚しくしつつ、自他共にその可能性
だけは信じることを諦めず
勝手に頷いておりました。
このような境地でいらっしゃることを存じ上げずにおりました。
返信する
Unknown (jetlinks)
2018-01-25 11:14:09
境地ではなく、生きようと思う、
生き方でしょうね。 ^^
返信する

post a comment