ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

立ち上がる

2008年04月03日 | ノンジャンル
乞食には、ものを恵んではならないと教えられた。

自分で立ち上がろうとしないものに、いくら施しをした
ところで、その人のためにはならないという考えだ。

人の通る道端で、何もせずただ座って人の施しを項垂れて待つ。
そこには人間の尊厳もなにもあったものではない。

施しをする方も、哀れんでの事であろうが、どうしても
いやらしさを感じてしまう。丁度、貧しい国の地方で、
紙幣を折って紙飛行機を作り、子供達の方へ飛ばして、
それに群がり奪い合う様を笑いながら見ている唾棄すべき
人間を見るようである。

ものを乞う者にも、ものを施すものにも、共に嫌悪感を
持つのだが、交渉をしてくるものに対しては、さほど
嫌悪感はない。

ただ座っているだけの、覇気も生きる執念も感じられない
ものと違って、見ず知らずの人間に面と向かってお金を無心する
というような、その逞しさには、ある意味好意さえ持つ。
無論、恐喝や脅しなどではなく、あくまでも交渉なのである。

アメリカでもよくあったが、あと50セントあれば、
ハンバーガーが買える、50セントくれないか等という
図々しいことを平気で持ちかけてくる。

子連れのマダムが、財布を落として、空港までの交通費が
ないので、20ドルよこせという。
どちらの場合も、私の知った事ではない。

ともかく無視して通り過ぎる事もあるが、こういう場合、
持ち合わせがあると、まあいいかとくれてやる。
嘘であろうと、何だろうと、人に向かって話をして、
金を巻き上げようとするその不敵さというか、無邪気さが
おもしろい。

反対に、恵んでくれとばかりに紙コップなどを持って、
うろうろとまとわりつく輩は、断固として無視する。
自分の足で立って動ける以上、収入を得る術は何なりと
あるはずである。みなそうして生きる為に頑張っている。
生きるということ自体に中途半端なものに、
共感するものはない。

日本では、ホームレスでさえ、物乞いはしない。
自分の糧ぐらいは自分で算段し、たまに働いて、得た収入を
好きに使う。たまに物乞いも見かけるが、本当に少なくなった
ものだと思う。むしろ、ホームレスの方が生きる事に関しては
今時珍しいほどに逞しい。

少し話がそれたが、要するに乞食にものを与えてはならない
というのは、アル中にお酒を与えてはならないという理屈と
同じなのである。

つまりそのこころは、与えている間は、いつまで経っても
自分で立ち上がれないという事なのである。


最新の画像もっと見る

post a comment